第6話



 賈詡かく将軍! そういう声で目覚めた。


 冷静な副官の声で、すでに内容を聞く前に良からぬ事が起こったことは分かっていた。


 昨日の今日だ。


 ――何があった。

 

 想定していた、起こり得る悪い出来事を頭に巡らせる。

 賈詡がまず考えたのは、一番何が起こるか分からないと危惧を覚えていた西の動きだ。


 手早く靴を履き、上着を羽織る。

 こんな時は装備だのなんだのは追々でいい。

 大切なのは状況把握だ。

 チラ、と見やった机にまだ燭台の火があった。

 その先に見えた簡易的な寝台に、全く寝た形跡が無い。


 郭嘉かくかの奴。


 舌打ちが出た。




「入って来い! 報告だ!」




 剣を取った瞬間、幕舎の幕が上げられた。


斥候せっこうから連絡が入りました! 

 涼州騎馬隊りょうしゅうきばたいがこちらに進軍中だと。

 百人規模の騎馬隊が先発ですが、後続も存在し、同数程度の規模で展開中とのこと」


 一番聞きたかった情報が無くて、多少気が立った。


 こういうのが「長安ちょうあんで気にならないことが、涼州りょうしゅうで気に障ること」なのだ。


 賈詡が最も聞きたかったのはどの方角から進軍中かということだ。

 まだ明けてない、青みがかった夜と朝の狭間のような空気の中、幕舎を出た瞬間冷気が顔に吹き付ける。


 視線を上げたその先に、昨晩と全く同じ場所に郭嘉がいた。


「どこから来てる。方角は」


「北です!」



 北?



 自然と、西の方向に歩き出そうとしていた賈詡は足を止めた。


 別に、涼州騎馬隊は北に展開中だと聞いていたから、北から来ても全くおかしくはない。

 だが妙だった。

「一団となって動いてるって事か?」

「軍団化していると報告に」


 すぐ別の斥候が駆けて戻って来た。


「北から敵が来ます!

 涼州騎馬隊は軍団化して、進軍中。

 金城きんじょう域にて発見し、現在【鳥鼠山ちょうそざん】東の平原を南下中です。

 急襲の体勢かと! 

 二百人以上の規模を確認しましたが、まだ後続が加わる可能性があります」


「ある意味、想定してなかったな。夜襲掛けて来るなら小規模に分かれて、多方面から襲い掛かって来ると思ったんだが」


 賈詡かくは少し苛立った。


 全く正攻法だ。

 もうすぐ夜が明ける。

 夜襲は意味を成さない。

 それに涼州騎馬隊の強みは少数精鋭だ。

 正面からぶつかって来るなど、遊撃戦に長じている連中にしては、らしくない。


 それに、分からないことがある。



「――率いているのは誰なのかな?」



 そう、それだ。

 郭嘉かくかが歩いてくる。


韓遂かんすいの奴か? 金城きんじょうは奴の本拠地だったな」


 元々斥候も、曹魏そうぎと協調体制を取る可能性がある韓遂と連絡を取り、合流するという使命でも動かしていた。

 曹魏の軍が長安ちょうあんを越えれば、涼州騎馬隊には魏軍の動きは察知出来る。

 長安にも涼州の間者は多く入り込んでいるのだ。


 こんな正面からの戦いを挑んで来るならば、涼州入りした時にすでに迎撃してくるか、せめて夜襲を行ってくるはずだった。


「韓遂の許に集まる騎馬兵の規模は未知数だったが、これだけ集まって、しかも魏軍に刃向かってくるのは予想外だったな。奴にそんな胆力があると思っていなかったが」


「いえ! 涼州騎馬隊を率いているのは韓遂ではないようです。

 韓遂将軍の姿を複数で探したのですが、軍団の中には見つけられませんでした」


「韓遂の姿が無い?」


「涼州出身者が確認しましたが、先陣の部隊を率いているのは龐徳ほうとく将軍ではないかと。

 確かに私もその旗を見かけました」


龐徳ほうとく? 天水てんすい砦を守ってた龐令明ほうれいめいか? あいつは馬騰ばとうの配下で、馬超ばちょうと共にしょくに向かったんじゃなかったのか?」


「龐徳将軍と面識がある者が確認しましたので、間違いは無いと思います」


 韓遂かんすいがいない。

 龐徳ほうとくがいる。


 龐令明ほうれいめい馬騰ばとう馬超ばちょう父子に仕え、長い間天水てんすいで曹魏の戦線と戦っていた部隊にいた。

 非常に忠義に篤く、馬超は近しい者を連れて蜀に向かったと言っていたから、龐徳は共に向かったと思っていた。

 

 涼州騎馬隊りょうしゅうきばたいの規模も百人規模は想定よりずっと多い。


 涼州騎馬隊は涼州豪族のいくつかの一族がそれぞれ手勢を率いている。

 それぞれが全兵をかき集めれば百人規模にはなると思うが、色々な利害が一致してないため、通常でも一族の数十騎を派遣し、残りは自領の守りに残るのが普通だ。


 そのため多くても三十騎程度がそれぞれ五つほどの部隊に分かれて招集される、つまり賈詡が想定したのは全軍で百五十騎程度は動ける状態にあるだろうということだった。

 二百に、更に後続が就くとなると、自領の守りを半ば捨てても、出て来ている豪族がいるということだ。


 曹魏は涼州の恨みをすでに買っているとはいえ、突然こんな動きに出てくるのは妙だった。


(だが、重要なのは奴らが妙か妙じゃ無いかじゃない)


 すでに敵は迫ってる。

 対応を決めねばならない。




「本陣を引き払おう。賈詡かく




 色々なことを考えていた賈詡は、ハッとした。

 郭嘉が白い息を零して、こちらを見ている。


固山こざんの麓に陣を張っている、張遼ちょうりょう将軍の許まで撤退しよう。

 同時に、彼に出撃命令を出して迎撃を任せる。

 彼の軍の士気は落ちてないし、いつでも出撃できる状態になっている。

 今、叩き起こされて浮き足立ってるこの本陣より、ここは彼に任せた方がいい。

 時間もここよりは多少稼げるしね。


 激しくぶつかる必要は無い。

 迎撃の態勢を見せて、張遼将軍は東へ向かって貰う。

 天水てんすい砦辺りで防衛戦を張ってもいいが、追撃が激しいなら長安ちょうあん方面へ撤退出来る。

 その判断は張遼将軍にお任せしよう。


 楽進がくしん李典りてん祁山きざんで待機させるんだ。

 仮に包囲されても気にするなと。

 固山こざんは敵を誘い込むのにはいい地形なんだよね?

 彼らがそれを知っていて尚も踏み込んで来るなら、そこで我々が迎撃をする。

 敵の規模が多くても、場合によっては【定軍山ていぐんざん】の軍勢を動かしても、祁山の軍は決して孤立させないから心配するなと。


 築城はしばらく休憩だ。

 我々が迎撃を開始したら祁山きざんから挟撃態勢に入って貰わなければならない。

 忙しくなるよ」


 郭嘉かくかが最後に笑みを見せると、斥候はすぐに「ハッ!」と明るい表情と声で拱手し、馬に飛び乗り走り出していった。


 賈詡が髪をわしわしと掻く。


「……あいつ今総指揮権を持ってる俺の許可を得ずに飛び出していったな。

 的確な指示を勝手に出すなよ天才軍師さん」


「いや私はそんな感じでどうかな賈詡将軍、と聞いたつもりだったんだ」


「だったら最後までそう言えよ。あいつ自分が郭嘉殿に命じられたと思って嬉々として飛び出して行っただろ」


「気に入らなかった?」


 フッ、と笑って郭嘉が歩き出す。


「私達も発とう。賈詡。

 兵をまとめておく。君は司馬懿しばい殿に報告を。彼は姿を見せないけど恐らくもう起きて連絡来ないのイライラして待ってると思うよ」


「今、嫌な役目の方俺に押しつけただろ先生」

「頼んだよ」


 微笑んでから郭嘉は歩いて行ったが、瞳が強く輝いていて、いかにも「敵が動いた」という感情が顔に完全に出ていたのでつい、笑ってしまった。


 賈詡は正直、少し狼狽があったため、まず郭嘉に先手を打たれたように感じて若干気に入らなかったが、さすがに曹操が『戦の申し子』と賞賛した才だ。

 郭奉孝かくほうこうがその戦場にいると、まるで太陽がずっと自分達を照らしているような気持ちになると以前荀彧じゅんいくが言っていた。


 曹孟徳そうもうとくにもそういう所があり、

 曹孟徳以外で荀彧がそういう印象を受けたのは、郭嘉だけだという。


 容姿や雰囲気が華やかだからだろと思っていたが、何となく今はその言葉を噛みしめた。


 あいつは揺るぎない。

 心許ないことが多々起きる戦場だから、揺るぎない人間の覇気は、軍全体を照らすことが出来る。

 

 敵襲の報告を受けても微塵もあいつは動揺していなかった。


 長安ちょうあんの都ではあんな感じなのに、戦場では頼りになるから本当に嫌になる。


(そういえば……)


 自分が多少不意打ちを食らったように感じたのは、来襲するなら西の険しい山岳地帯から気付かれぬように近づき、襲いかかって来るだろうと思い込んでいたからだった。


 規模などは分からなくとも、きっとこれだけ動きが無いということは、韓遂かんすいの指揮下に完全に入り、統率されているために北方で待機しているか、韓遂の命に従わずに魏軍にぶつかってくる者は少数精鋭で西からだと、その強い確信はあったのだ。


 北からの来襲を告げられた今も、実は賈詡はそれだけは釈然としない。

 釈然としないことは他にもたくさんあるため、これから調べて明らかにはするが、何かがおかしいとは勘が告げているので、自分の予想が全て外れた訳では無いと、そう思っている。


 北。


 歩き出した足を止め、賈詡は思わず振り返った。


 すでに遠く、郭嘉かくかは長い外套の裾を揺らしたまま歩いていた。


 昨夜、不意に星空の下で見つけた時、郭嘉は北の方角を見ていた。

 今日も同じ姿を見た。

 北から来襲したと報告を受ける前に、郭嘉はすでにそちらに目を向けていた。


 西から敵が来るというのは、賈詡かくだから気付いた直感というわけではない。

 恐らくこのまま北にも動きがないと報告を受けていれば、司馬仲達しばちゅうたつも、他の軍師も、余程の馬鹿で無い限り、西に敵がいると読むはずだ。


 南に姿を見た者がいないと報告を受けていた。

 北方に涼州騎馬隊はいるとされ、

 東は自分達が通ってきたからだ。


 当然、軍師が目を向けるべきなのは西なのだ。


 その時、他に見るべき興味が無いかのように、背中を向け北だけを見つめていた郭嘉の姿が思い浮かび、本当に背筋がぞわ、とした。


 はっきりと全身に鳥肌が立ったのが分かった。


 涼州に来てから陣をウロウロしているのを何度も見て、

 この荒野の真ん中で、景色なんぞ何も変わらないからそんなウロウロするなよ……と何度も注意をした。

 それがこの二日間、いつの間にか郭嘉は北の方角しか見なくなっていた。


 今頃になって気付いて、単なる偶然だろと言えない何かが郭嘉にはあるから、背筋がざわめいた。


 曹孟徳そうもうとくもきっとこの感覚を味わったことがあるに違いないと、何故かそんな風に確信する。


 ――赤壁せきへきにもし郭奉孝かくほうこうがいたのなら。


(あいつがいたら何もせず、何も察知せず、大船団を焼かれたりしただろうか?)


 思わず過ったそんな考えを、賈詡は浮かれている場合じゃないと自分に言い聞かせて断ち切った。


 

(何かを感じ取る奴がいるんだよ!)



 普通の人間には、見えない何かを。


 例えば稲光は、落ちた音は大勢が聞くことが出来る。

 しかし音よりも早く瞬く光を、見逃す者は多い。

 光を見なかった人間は、数秒後の轟音が唐突に感じられ驚くが、

 光を見逃さず捉えた者は、そのあと響く雷鳴に驚くことは無い。



 雷鳴よりも早く走る、一瞬の光の瞬き――、



 ……その光よりも更に捉えにくい、何かがあるのだ。




(だけどそれを捉える奴がいる)




 戦が始まるのだ。


 夜と朝の狭間で、

 賈詡は喜びに喚きたくなった。



 


【終】



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花天月地【第47話 月と太陽の狭間で】 七海ポルカ @reeeeeen13

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ