窓の向こうに、いる。
野々村鴉蚣
ファミレス
放課後、その日は雨が降っていた。豪雨という訳じゃない。まるで霧のような、きめ細かい雨だ。そいつが街全体を覆い隠している。まだ十七時だというのに、やけに薄暗い。
水たまりに踏み込む音も生ぬるい。どんよりとした雲が、今一瞬だけ光った。数秒後、遠くの方から稲妻の声がする。
今日のような天気は、部活をする気にもなれない。
橘ヶ丘高校軽音部トリオのコウ、ヒロト、リョウは、学校近くのファミレスまで全速力で駆け寄った。
楽器を濡らすわけにもいかないので、三人とも音楽室に置きっぱなしだ。
ファミリーレストラン橘と書かれた真っ赤な看板が、雨に濡れたせいか歪んで見えた。
彼らは今日の天気予報を見ていなかったのだろう。誰一人傘を持っていなかった。
「うひー、雨やばすぎ」
コウが濡れた髪を掻き上げながら言う。
「なんで誰も傘持ってきてねぇんだよ!」
ヒロトの言葉はブーメラン。彼自身にも突き刺さっていた。
三人がファミレスに訪れた理由はたった一つ。雨宿りだ。しかし、看板の下で立ち往生するわけにもいかない。店の迷惑になるだろう。
「とりあえず、入らね?」
ヒロトの言葉に、残り二人は頷いた。
カランカランカラン、手動ドアを開けると、心地いい鐘の音が店内に鳴り響く。クーラーの効いた室内から、ヒンヤリとした風が吹いて濡れた体を刺激した。
金曜日の夕暮れ、しかも雨。きっと店内は混んでいるだろうな、なんて考えていた。しかし、パッと見た感じでは、他の客の気配がまるでない。
店員さえカウンターに籠もっているのか、姿が見えない。空調の微かな唸りと、遠くの雷の音だけが空間を満たしていた。
賄いを作っているのだろうか、店の奥から牛肉の焼ける匂いがする。もしこの匂いすら無かったら、閉店していると勘違いしてしまうほどの静寂だ。
「すみませーん、やってますか?」
声を張り上げたのはリョウだった。
「はーい! 少々お待ちください!」
奥の方から女性の声が聞こえた。それからしばらくすると、バタバタ足音を立てて若い女性が顔を出す。
「ごめんなさい、今日はてっきり誰も来ないのかと思って!」
「いえいえ、こんな雨が酷いとやっぱ客足減りますか?」
コウの問に、店員さんは微笑む。
「そうですねぇ、やっぱこういう日の高校生は車で帰りますから。でも、それでいいと思いますけどね。雨の日は危険ですから」
「危険?」
「あ、ほら。交通事故とか、ね?」
彼女は慌てて何かを誤魔化すようにそう言うと、営業スマイルを浮かべた。
「それでは、席にご案内します。どうぞこちらへ」
彼女について行く途中、ヒロトがコウに囁く。
「なぁ、めっちゃ美人じゃね? お前ああいう人タイプだろ」
「は、はぁ? いきなりなんだよ!」
「クスクス、わっかりやすー!」
「なんだとテメェ!」
二人の喧嘩を、リョウが無言で止める。そんな仲良三人組を微笑ましく見つめながら、店員さんはテーブル席に案内した。
「では、ご注文お決まり次第ベルでお知らせください」
彼女は深く頭を下げると、そのままカウンターの奥へ消えていく。
再び店内には静寂が訪れた。
「……なあ、ココさ。変な噂あるって知ってる?」
ふと、コウが言った。メニューを開いたまま、窓の外へ視線をやる。
「うわ、急に来たな。なになに、幽霊でも出るの?」
ヒロトがわざとらしくメニューを逆さにして読みながら問う。
「聞いた話だと……このファミレス、窓に"誰かが映る"らしいんだよ。窓の外から、じーっと店内を覗いてるんだって」
「ははっ、なにそれ。お腹空かせて中覗いてるとか?」
ヒロトは面白がった様子で、噂の窓とやらを目視で探した。
「どれだよ、その窓って」
「ちょうど交差点が見える窓らしい」「交差点? ってことは、交通事故にでもあった幽霊とか?」
「さぁ?」
ハッキリしないコウの言葉に苛立ちを覚えたのか、ヒロトが提案する。
「じゃあさ、三人で同時に窓見に行ってさ、誰が見えるか勝負しね? それで、見えたやつが全員分おごりってことで」
「勝負要素どこだよ……」
「いいけど」と、珍しくリョウが言った。
三人は窓際のボックス席に並んで立つ。
外は雨。曇ったガラスの向こうには、照明が反射してほとんど何も見えない。
「……なーんもいねぇな」
コウが言い、窓を指でぬぐう。そこには、自分たち3人の姿がぼんやりと映っていた。
「……ん?」
ヒロトが言う。
「なに?」
「……いや、今、動いたよな。誰か」
「映ってるの俺らじゃん」
「うん、でも、ちょっとズレてるような……あっ、なんか映ったかも」
ヒロトは一歩引き、肩をすくめて笑う。
けれど冗談なのかどうか、少し曖昧な顔だった。
リョウは、ずっと黙っていた。
そして、ガラスをじっと見つめたまま、ぽつりと。
「……いるな」
空気が変わった。
雷が鳴ったわけでもないのに、誰も声を出さなくなった。
コウが、もう一度、窓の外を見る。半信半疑のまま、目を凝らした。
そこにいた。
ガラスの向こう、濡れたアスファルトの上に、ひとりの人影が立っていた。
傘もささず、ただ突っ立って、動かない。顔は見えない。服も、性別も、なにも。
ただ、確かに、そいつはこちらを見ている。
曇ったガラスの表面に、手形が一瞬浮かび、そして消えた。
その時だった。
「すみません! その席、座っちゃダメなんです!」
若い女性の店員が慌てた様子で駆け寄ってくる。
「……あの、そこ、本当は"清掃中"の看板が置いてあったんです。私、さっき確認したんですけど……消えてて……」
店員は口元を震わせながら言った。
「なんでですか?」とコウ。
「実は……数年前、この店舗で事故があって……いえ、事件かもしれないって……。警察も来たことあるんですけど……。その、閉店間際、窓際で、お客さんがひとり……」
言葉を選びながら続ける。
「"窓に誰かがいる"って言いながら、倒れてたんです。監視カメラにも何も映ってなかったのに……。それ以来、あの席だけは使わないようにしてるんです」
ヒロトは店員と窓とを交互に見た。もう、先程の"何か"は、今も変わらずガラスに映っていて、じっとこちら側を見つめている。
リョウがぽつりとつぶやく。
「その話が本当ならさ……幽霊って、窓の"向こう側"にいるわけじゃなくね?」
「は?」
「だって、手形。内側だったじゃん」
ぞっとする。コウの背中に、濡れたシャツ越しの冷気が走った。
「いや、でも……見たよな? 窓の向こうに、いたじゃん。あれは見間違いじゃないって」
コウは必死で言うが、何が正しいのかわからなくなっていた。
笑っていたヒロトが、急に真顔になって指を差す。
「……やばい、こいつの手元、見てみろよ」
窓の向こうにいる"そいつ"が持っているもの。
それは、プラスチックの板。赤い文字で、こう書かれていた。
──「清掃中」
「ふふふ、見つかっちゃった」
背後から、低く、湿った声がした。
その瞬間、店内の照明が、ふっと落ちた。
窓の向こうに、いる。 野々村鴉蚣 @akou_nonomura
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