お金払って休日出勤

脳幹 まこと

生きるのも大変だ


 キツい仕事だったな――


 吉郎よしろうは三人の後姿を見送りながら、ただぼんやりそんなことを思っていた。

 改札口のゲートの向こう、トカゲのイラストの入ったTシャツを着る篤人あつとは、二人の友人と和気あいあいと話している。


 綺麗な三角形。


 この二泊三日、遂に自分には一度もやってこなかったシーンだ。


 彼らの姿がすっかり消えたことを確認してから、吉郎はバッグを開ける。

 旅の二日目で現地でもらったクーポン券を取り出して、念入りに握り潰す。どうせ使うことのないものを、持っていても仕方がない。


 あのひりついた職場で必死に頼み込んでようやくもらった一日の休み。加えて、本来なら仕事に充てられた土曜日と日曜日の半分、合計二日半。

 明日からのことを考えると身体が震えてくるが、それはまあ自分でやったことなのだから別にいい。

 吉郎の心中は、こんなくだらないことのために注いだのか、という虚無感で満たされていた。



 篤人から旅行の誘いがきたのは一か月前だった。


「ちょうど大学の先輩と東京に旅行に向かうことになったので、吉郎も一緒に来ないか?」


 久方ぶりだった。


 高校、大学と同じだった篤人は、人懐っこく、誰とでも打ち解ける人物だった。真面目で不器用で友達のいなかった吉郎は彼に惹かれ、それとなく一緒にいた。就職は別々の場所となったが、それでも連絡を取り合っていた。


 吉郎は年を経るごとに、仕事にのめり込むようになっていった。鉄火場と呼ばれる案件も幾つかこなした。寡黙な彼は社内でも孤立していたが、成果で何とかつなぎとめていた。

 一言多いで有名なある部長は「吉郎君は良い査定を出さざるを得ない・・・・・・・・子」と評した。皮肉を知らなかった当時の吉郎はそれを誉め言葉だと受け取っていた。

 

 篤人もまた、そのフランクさからパートナーと交際、結婚。公私問わず様々な人物と交流を深めていた。

 そういうわけで、お互いの時間が合わなくなっていたのだ。


 彼からの連絡を受けた吉郎は、どうやって現場のOKをもらおうかを考えていた。「参加しない」という選択肢は不思議と浮かんでいなかった。

 仕事に居場所があっても、職場に居場所のない吉郎は、無意識に交流を求めていたのかもしれない。


 計画が進むうち、篤人は大学の先輩とは別に、後輩も入れようという提案をした。四人旅だ。これには吉郎は少し「おや?」と思った。

 前述の先輩(以降、Aとする)は吉郎も多少は人となりを知っていた。篤人に似た、誰とでもそれとなく話を合わせられる人だ。篤人と懇意であることも知っている。

 しかし、B――後輩に関しては、篤人に聞き覚えはなかった。名前を言われてもまったくピンと来ない。話を聞く限り、どうやら篤人やAとは仲が良いらしい。


 吉郎は少しばかり悩んだ。人間関係に苦労してきた中で、バッドパターンはいくらでも経験済みだ。

 とはいえ、篤人との再会への方に天秤は傾いている。

 久方ぶりに会うのだ。この機会を逃したら、今度はいつ会えるか分からない。


 家族ですら自分の仕事や悩みを「難しい」と理解してくれない。

 等身大の自分を分かってもらえるであろう相手は――彼しかいないのだ。


 最悪・・さえ引かなければ、いけるはずだ。


 それから先の行動は早かった。

 職場にはどうしても外せない用事がある、と何度も念を押した。有給申請も三週間前には出した。自分の代わりとなる人物への引継ぎ、トラブルへの対策も万全にした。


 吉郎の努力は実り、二泊三日の四人旅が始まった。


 改札口で再会した篤人は、雰囲気こそ年齢相応に変わったが、それでも人当たりの良さは変わっておらず、吉郎を安心させた。

 彼の頭には既に旅のスケジュールとは異なる、彼と篤人のためのプランが用意されていたのだ。最後には改めて強固な友情を確かめ合う――メロスとセリヌンティウスのような――そういうゴールがあった。


 数分遅れて、AとBが二人揃ってやってきた。


 篤人が真っ先に二人のもとへ向かっていく。吉郎がその後ろを追いかける。



 もう、お分かりだろう。


 これが吉郎が笑顔でいられた最後の瞬間であり、長い長い残業・・のはじまりである。




 悲しい話をしよう。


 友人にもランクというものがある。ブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナ、ブラック、ダイヤモンド。


 このランクというのは、様々な要素が絡んで決まる。クレジットカードのことを考えると分かるだろう。

 信用、ステータス、利害関係、親密度、交流頻度、代えの有無――色々な条件によってランクが決まるし、それは人によって異なる。


 健全な交流において大切なのは、お互いに同じランクでの交流とすることだ。お互いにブロンズ同士とか、あるいはゴールド同士であれば、それは健全だ。低いランク同士ならビジネスライクであり、高いランク同士なら親友と呼ばれる。


 これを守らないとロクなことにならない。意図的にやってるならカモ扱いだし、意図的でないなら、高いランク側が暴走する。

 俗に勘違い男、勘違い女と呼ばれる――職場やキャバクラやネット上でちょっと親しくされただけで恋人関係だと思い込む人物がよくコメディチックに描かれるだろう。アレの友人版だ。


 長々と説明したが要するに、吉郎にとって唯一ダイヤモンドだと思っていた篤人にとって、吉郎は量産品ブロンズだったということだ。

 たかだか同じ高校、大学だっただけの付き合い。違う場所で暮らし、業種も違い、付き合いも異なるのだから、変わり続ける中で友人という関係だけが変わらないなんて間抜け極まる。

 社畜の友人が社畜とは限らない。吉郎が必死こいてスケジュール計画を練っていたが、向こうは有給をバリバリ使っての単純なお遊びだった。


 加えて最悪・・だったのは、吉郎にとってブロンズ未満のAとBは、篤人にとってはゴールド相当にはランクの高い友人だったという点である。

 関係図を描くのなら、下向き三角形(▽)の各辺を三重線(≡)で結び、そのうち下にある一点(篤人)から一本だけ、長く薄い線を伸ばしその先に点を一つだけつける。それが吉郎だ。

 彼らは吉郎の知らないゲームを一緒にプレイしあっており、お互いの現状や性質を掴んでおり、そして何より彼らは単独でコミュニティが存在――つまり、仮に切り離されても十分にやっていけるだけの世界があったのだ。


 仕事だけが世界の吉郎とは最初から訳が違った。


 責められる謂われはない。最初から最後までそういう気軽な旅行で計画されていた。そこに勝手に意義を追加したのは吉郎の脳内なのだ。



 一日目の夜。

 吉郎のお人形遊びは既に終わっていた。


 彼の身に降りかかったモノは、たった一言で表現できた。


 ついていけない。

 

 相手達の話すものについていけない。


 話題のアニメ、ゲームの体験、料理、ファッション、推し活、恋バナ――


 そして、自分の話せる内容はない。


 話そうと思うなら、哲学や世界のおこり、資本主義の将来、あるいは普段通う道の手前を曲がる意義を、自分なりの言葉で語ることは出来た。

 しかし、それはあまりにも私的で抽象的なトピックであって「難しいこと」と言われるものだった。

 数分話すだけで退屈され、欠伸をされるような、そういう類のものだった。


 そういう類のものに興味関心が寄ってしまったのもまた吉郎の不幸であった。

 長く険しい社畜の中、彼は何としてでも生きていく必要があった。

 たったひとりで世界を生きる、その拠り所とするために歴史を学び、統計を学び、哲学を学び、主義主張を学んだ。


 スティル・ライフの一節がお守り代わりだった――世界はきみを入れる容器ではない。

 皆、ちっぽけな存在なんだとそう噛み締めた。それを感じた時、吉郎は嬉しかった。

 彼の心はあまりにもひとりに適応しすぎた。



 二日目の夜。

 吉郎はカプセルホテルの中、一日を振り返った。


 最初のうちこそ、篤人はとぎれとぎれ吉郎に話を渡していた。だが、それはやむなく・・・・やっていることで、徐々に間隔が長くなり、会話が短くなり、最終的に三人が並んで歩く後ろに、金魚の糞のように付くようになった。


 AもBもまったく話を振らない。篤人がAと話す時、Bはひとりでスマホを触る。篤人がBと話す時、Aはひとりでスマホを触る。

 AとBが話す時、篤人は吉郎に話を振るが、口調は硬く、話題は噛み合わない。吉郎にとっての世間は学生時代で止まっている。

 吉郎が篤人とAまたはBとの話に割り込んだことが一度か二度あったが、「は?」という返答が全てを物語っていた。


 観光地は美しかった。写真を撮ることになってピースを出した。

 ただただ、惨めだった。


 人生で初めて体験したサウナは、真夏の車内みたいに怠さで満ちていた。

 自分の気持ちとよく似ていた。

 そんなことを考えていたら置いていかれ、その後のやり方も分からなかったので、せせこましく部屋を出て、みすぼらしく汚らわしい全裸を狭い世間にさらし、彼らが何回かのサイクルの後、戻ってくるのを遠巻きでずっと見つめていた。


 生きるのって大変だな、と思った。


 真面目に生きてきたつもりだ。真面目に生きる以上の何かが、社会的な営みには必要なのだ。そうでないとこうなってしまう。


 苦しいばかりになってしまう。


 ジリ貧になってしまう。


 負担になってしまう。


 迷惑をかけてしまう。


 死ぬか殺すかの話になってしまう。



 自宅に帰り、吉郎はバッグに入っていた現地土産を食べた。


 味はさっぱりしないが、ホワイトチョコがすっかり溶けてベタベタだというのはよく分かった。べったりついた個包装。迷惑な燃えないゴミ。俺みたいだな。


 なあ、これはなんだ。何の仕打ちなんだ。俺、確かにちょっと要領が悪かったかもしれないさ。でも、忙しいところ一日空けて、土曜日も一日空けて、日曜日も午前中まで空けた。


 金だって払った。サウナだって必死に入った。


 なのになんなんだ、なんなんだよこのざまは。


 彼らは何を思っていたのだろうか。三人旅・・・の間ずっと、仏頂面でついてきた男に対して。特に何の接点もなかった篤人の後輩、Bは。

 どういう説明があったのだろう。


 先輩曰く「自分の知り合い」とのことだが、ただただ気色悪かった。あの人さえいなければもっと良い旅行だった。


 いや、そんなこと眼中にすらないか。


 もういい。ばからしい。


 明日のことを考える。

 二日半の損失を取り戻さなければならない。


 仕事は待ってはくれない、延々と追いかけてくるのだ。


 そうか、仕事だけはこっちを見てくれるのか――と吉郎は思った。

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