14.そして、現状維持のエピローグ
朝、いつもよりもすっきりと目が覚めた。
自分が極夜の腕の中にいるという状況にも、一瞬戸惑いはしたものの、そう言えばこれは双子の兄だった、と理解した瞬間に気にならなくなった。
我ながら現金なものだ。
一週間前、あれだけ拒絶したのが嘘のように俺は極夜を受け入れていた。
記憶が再接続されて全てを思い出したことで、極夜は俺にとって異物ではなくなり、それどころか失っていた片割れだと自覚できたためだ。
極夜の寝顔を眺めると、随分穏やかに眠っている。
――俺がそうだったように、極夜も悪夢に苦しんでいたのだろう。
顔を歪めて眠っている姿を見たことがあるだけに、極夜も救われていたのならいいな、と思った。
これだけ良く寝ているのを起こすのは忍びないが……馬鹿力の極夜の腕から抜け出せない。
「極夜」
「…………ん……」
「離してくれ、朝の支度をしないと」
「……やだ」
起きてる。絶対、起きてる。
「離してくれ」
意識して声の温度を下げてみた。
途端に極夜がパカリと目を開けて、ぎゅっと腕に力がこもる。
苦しいんだが。
そう訴えようとした時に、極夜の安堵に満ちた声が耳に滑り込んできた。
「あー……一週間ぶりに夢見が良かった……」
「……」
そんなことを言われると、絆されそうになる。
だが、俺には俺のルーティンというものがある。
「お勤め」
「分かったよ、俺も朝飯を作るか……食べたいものあるか?」
渋々だが俺を解放した極夜はそんなことを問いかけてくる。
身を起こして眼鏡を手に取った俺は、少しだけ考えてから言った。
「量が適切ならなんでも」
「――了解、加減はしてやる」
ひらりと手を振った極夜を認識して、俺はベッドを降りた。
さて、身支度を……。
「白夜」
「ん?」
不意に名を呼ばれて、くるりと振り向いた。
極夜は微笑む。
「おはよう」
「……おはよう」
俺が挨拶を返すと、極夜は満足そうに目を細めていた。
――やれやれ、新しいルーティンが加わりそうだな。
そんなことを考えて、俺はスタスタとベッドルームを出た。
***
いつも通りに聖堂と屋外の清掃を済ませ、昨日から対象が変わった事を認識し、多少は増したかもしれない信仰心を胸に祈りを捧げ、一旦戻ってくるとキッチンで極夜が待ち構えていた。
「ちょうど焼けたところだ」
「?」
粗末な椅子に腰を下ろすと、スッと差し出されたのは綺麗な焼き目のホットサンドだった。
「中身は卵とチーズとベーコンな。コーヒーは牛乳たっぷり、サラダはレタスとトマト」
相変わらず、手際が良いというか……この短時間で栄養バランスまで考えて料理をしているんだろうか、極夜は。
向かいに座った極夜が、わずかに顎をしゃくって促してくる。
……向こうは向こうで、俺のルーティンをしっかり把握したらしい。
「父よ、あなたのいつくしみに感謝してこの食事をいただきます」
「いただきます」
「端折るな」
極夜が食前の祈りを短縮しようとしたのを咎めて、俺は続きを口にしようとしてふと考えた。
(あの神は……名前などはあるんだろうか? それともやっぱり濫りにその名を口にしてはいけないとか……?)
昨晩邂逅した異世界の神。
自分を信仰しろ、と言い残した神の事が気にならないと言えば嘘になる。
「極夜?」
「ん?」
「その……昨晩の神は……名前、とかは……?」
どう言ったらいいのか、言葉に迷いつつ尋ねると、極夜は少し考えてから真顔で言った。
「知らん。考えたこともなかった。向こうでは神としか呼ばれてなかったし」
「えっと……その、宗教の名前とかは……?」
「あー……こっちの言葉だと何だ? 光によって陰を祓い給う神を崇めよ……? なっが!」
なんだその長ったらしい名称は。
なんかもう、現地の名称で言ってもらった方が良いのでは?
「現地ではなんて?」
「ラディクルディ教」
なるほど。
なら、便宜的にそれを当てはめるか。
「ここに用意されたものを祝福し、私達の心と体を支える糧としてください。私達の主イエス・キリストと、ラディクルディによって。アーメン」
「……あのクズ神はいいだろ、別に」
ブチブチと悪態を吐いている極夜に、きっぱりと告げる。
「ここは神の家です。あの異世界の神の祝福を受けたからには、私は祈りを捧げる義務があるのです」
「……分かったから、急に神父の口調に戻すな。お兄ちゃん、ぞわっとするから」
嫌そうな極夜の顔に、小さく笑った俺は「いただきます」と告げてから食事を始めた。
どれも美味しいのはこの一週間で分かっていたけど、これは嬉しいものなんだなとしみじみ思った。
***
午前中は誰も訪れない聖堂で、ぼうっとしていた。
強迫的に居もしない神に祈りを捧げていた先日までを思えば、こちらの方が幾分健全なような気がする。――不真面目なのは変わらないが。
正午になるとふらっと聖堂を出て、手を洗ってからキッチンに向かう。
相変わらず、極夜は昼食を作って待っていたようだ。
「お疲れさん、昼は軽くしたぞ」
椅子に座った俺の前にトンと置かれたのは、ホットケーキ。バターを一切れにメープルシロップがたっぷり。
「飲み物は何がいい?」
甲斐甲斐しいにも程がある。
そんな極夜の気遣いを試してみたくなって聞いてみる。
「リンゴジュ」
「リンゴジュースならあるぞ」
「……なんなんだよ、俺の双子の兄は。ちょっと気持ち悪いよ……」
「気持ち悪いとは何だ。お兄ちゃんは培った分割先読み思考をフル回転させてお前の為に使っているだけだぞ、白夜」
言いながら、グラスにリンゴジュースを注いで差し出してきた極夜。
――全力で甘やかしにかかってるぞ、これ……。
それに気付いた時、俺はほんの少しだけ、極夜の執着心に引いてしまったのだが……まぁ、それは伝える必要はないだろう。
いずれ、慣れるだろう。
俺達は、互いに空白が多過ぎたんだ。
それを埋めるために、極夜は俺を甘やかしながら自身が負った心の傷を修復しているんだろうから。
昼食後、俺は歯を磨いてから聖堂に戻った。
長椅子に座って食休みしてから、主祭壇へと向かう。
跪き、新たな信仰対象へと祈りを捧げる。
――なんて背教行為だ。
喚く自分がどこかにいるが、そんなもの知ったことか。
俺は、この世界に神は居ないと見限った。
そして、昨夜、俺を救った異世界の神を信仰すると決めたんだ。
ただ、異世界の神もまた、この世界には居ない。
だから、俺の信仰は――この神の家で不真面目な神父として生きていくことは、背教ではない。
神父としての勤めは果たす。
だが、祈りは本当に居た神に捧げる。
その論理を押し通すだけだ。
――そんな事を考えていた時だった。
背後で聖堂の扉が開く音がした。
直後に、バタバタと騒々しい足音が続く。
眉を顰めて眼鏡を押し上げると、平静を装って立ち上がり、振り向いた。
真っ直ぐにこちらにやってくるのは、俺と大して年の違わないだろう男だった。
「どうかなさいま」
「神父様!!」
その声の大きさに、ビクッと肩が揺れた。
――なんだ? 初めて見る顔だが……。
とにかく、酷く興奮しているその男を宥めることにした。
「落ち着いてください、どうなさいました? 私でお力になれることは……」
「ありがとうございます、神父様のお陰です!!」
は?
なんなんだ、俺は初対面の人間に礼を言われるようなことはしていないが……。
怪訝そうな表情でもしていたのだろう。
俺の様子に、男は少し落ち着きを取り戻したようだった。
「あれ、今日は眼鏡を掛けていらっしゃるんですね?」
「え……あ、はぁ……いつも掛けていますが……?」
どうも話が噛み合っていない気がする。
男はそれでも、めげずに訴えてきた。
「そんなことより! 神父様のお陰で救われました、本当にありがとうございます!!」
「はぁ……あの、失礼ですが……」
「神父様にお話を聞いていただいた後、言われた通りにロト6買いに行ったんです! 半信半疑だったんですけど、藁にも縋りたかったので……そしたら、当たったんです、一等二億円!!」
…………。
え? 何の話?
困惑する俺に、男は勢いよく頭を下げた。
「ありがとうございます! 本当にありがとうございます! 借金を全て返済して転職したら、これからは真っ当に生きていきます!! 当選金を受け取ったら、必ず寄付に訪れます!」
寄付はありがたいが……本当に何の話なんだ、これ……?
理解不能のまま、男の礼を受け止める。
「そう、ですか……貴方に神の愛が降り注ぎますように……」
俺のお決まりの言葉に、男は何度も頭を下げながら聖堂を後にした。
「……なんだ、これ……?」
呆然と呟いて、ふと気付く。
「眼鏡を掛けている……?」
つまり、あの見知らぬ男は〝眼鏡を掛けていない俺と同じ顔をした神父〟に……恐らく告解を聞いてもらったのだろう。
「は?」
理解すると、一気に血が下がる感覚がした。
それは、つまり。
「極夜!?」
「当たりー」
すっとぼけた声が飛んできてガバッとそちらを向くと、ニヤニヤ笑っている極夜がやって来ていた。
「よしよし、あのクズ神もちゃんと仕事したみたいだな」
「な、何をした!?」
「ん? お前が寝ている間にあの男が来たから、代わりに懺悔? 告解? それ聞いて、まぁ、神の力でちょちょいと小細工を」
「な、なんて事を! 聖職者でもないのに勝手に告解を聞くなんて……!」
「え、そこ?」
「あのラディクルディ神が本物の祝福を授けられるのは分かってるからそれはどうでもいい! それより、ここは俺の仕事場だぞ!? それなりに神聖な場所なんだぞ!? それを……!」
「あー、細かいことをごちゃごちゃと……禿げるぞ?」
「禿げない!!」
目の前まで歩み寄ってきた極夜は、軽口を叩いて、俺の腰に手を回した。
「白夜、そろそろ理解したか?」
「何を!?」
語気を強める俺に、極夜がクスクスと笑い声を零す。
「俺に甘やかされてること」
その言葉に、ふっと思考が冷静になる。
……理解している、この一週間でデロッデロに甘やかされた。
正直に言えば、この状態で極夜が再びいなくなったら、俺はもう生きてはいけないだろう。
「まぁ、それは……」
「俺から離れられないだろ?」
「……うん、まぁ、うん……」
歯切れ悪く肯定したのは、当初の俺の拒絶っぷりと、それでもめげずに俺を甘やかし続けた極夜を思えばこそだった。
ちょっと俯けていた顔を持ち上げると、驚くほど近くにあった極夜の視線とぶつかった。
「だから言っただろ、お前は俺から離れられなくなるって」
そう言って、悪魔の様な笑みをニタリと浮かべた自称・未来人……他ならぬ双子の兄は俺の腰を引き寄せた。
ほら見ろ。やっぱりこの世界に神なんていないんだよ。
いや、異世界にはいたけどさ。
というかなんだ、この距離感の近さは?
――それでも、拒絶する気なんてとうに失せていた。
だって、これはどれほど強引で
俺はため息を吐いて抵抗を放棄し、そろそろ夕陽のオレンジ色に染まり始めた聖堂で、ぎゅうぎゅうと抱き締めてくる極夜にされるがままになったのだった。
【完結】未来から来たと言う双子の兄が俺を離してくれないんだが? 西海子 @i_sai
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