第27話

その日、森山奏汰は、決意していた。


夕食後の食卓。テレビはついていない。

静まり返ったダイニングに、父・清志(きよし)と、母・早苗(さなえ)が向かい合って座っていた。


父は大手企業の経理部門に勤める几帳面な男。

母は元・看護師で、現在はパートと家事を両立していた。


2人は、奏汰を「まっすぐで立派な人間」に育てることに人生をかけていた。


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「……お父さん、お母さん。ちょっと、話したいことがある」


奏汰の声に、両親は箸を止めた。


「何? 学校で何かあったの?」と母が聞く。


奏汰は、震える指で膝の上を握りしめながら、言った。


「……ぼく、最近、クラスの友達と遊びました。

放課後に、バスケをやって、すっごく楽しくて、帰るのが少し遅くなった日もありました」


父の眉がぴくりと動いた。


「遊びすぎると、勉強が疎かになるぞ」


母も少し顔を曇らせる。


「楽しむのはいいけど、時間はきちんと計画的に使わないとね」


奏汰は、深呼吸して言った。


「でも……ぼく、今までずっと、“楽しい”って思うことを我慢してきた。

“勉強がすべて”って言われて、遊んじゃいけないって思ってた。

でも……そうじゃないと思ったんだ」


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両親は沈黙した。


奏汰は続けた。


「たしかに、勉強は大事だよ。でも、

ぼく、**自分が何が好きで、何が嫌いかさえ、わからなくなってた**。

ずっと“正しいこと”ばかりやろうとして、

でも、心の中はすごく寂しかった」


「友達が笑ってるのを見ると、なんで自分はこんなに我慢してるんだって思って、

自分が間違ってるのかって、毎日、わからなくなってた……」


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母が、そっと声を震わせた。


「……でも、それは、あなたにちゃんとした道を歩んでほしかったから……」


父も言う。


「楽をさせたら、君が苦労すると思ったんだ。

子どもに“努力”を覚えさせるのは、親の責任だ」


「わかってる。ありがとう」


奏汰は、目に涙を浮かべながらも、まっすぐ言った。


「でも、“努力”って、自分で選ばないと意味がない。

“誰かの正しさ”を押しつけられてばかりじゃ、

“生きてる”って思えないんだよ」


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ふと、ダイニングの奥。

障子の外に、人影が見えた気がした。


白い着流し、木刀の男――**宮本武蔵**。


武蔵は静かに、ひとりごとのように言った。


「子が“己の道”を選ばんとする時、

親は“己の理想”を一度、斬らねばならぬ。

それは、親としての痛み。されど、誇るべき痛みなり」


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やがて――沈黙ののち、父がぽつりと言った。


「……奏汰。

お前が、“楽しい”を知ることも、大事なことかもしれないな。

父さんも、昔はゲームで夜ふかししたこと、あるんだ」


「……えっ」


「ファミコンだ」


母が笑う。


「私もマンガ、こっそり読んでたよ。“NANA”とか」


「うそっ」


3人の間に、少しずつ、笑いが生まれ始めた。


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その夜。


奏汰は、家の裏の小さな庭に出た。


フェンスの向こう、夕暮れの中に、武蔵がいた。


「ありがとう、武蔵さん……」


「礼には及ばぬ。されど、これからが“始まり”なり」


「始まり……?」


「“遊び”とは、己を知る旅なり。

お主は今、自らの手で“人生”の門を叩いた。

その一歩は、小さくも、誇らしい剣なり」


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武蔵は、背を向けて歩き出す。


草履の音が、夜の風にまぎれて、やがて消えた。


奏汰は、星を見上げながら――

“好き”という言葉の意味を、噛みしめていた。


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武蔵、片山中に現る パンチ☆太郎 @panchitaro

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