Epilogue

10 微睡みの世界

 青白く赤みのない肌、シーツに広がる若葉色の髪。身じろぎもせず、何の表情も浮かべず、陽翠は眠りについている。


 その固く閉ざされた瞼が開いて、きょとんと鈴のような声で「綾世先輩?」と俺を呼んでくれる。そんな都合の良い夢から飛び起きた。まさか死んでしまってはいないかと、小さく上下する胸を確認する。暴れる心臓を落ち着かせるように、息を吐いた。


「……行ってくるね、陽翠」


 返ってくるのは静寂だけ。いつものように寮を出て、学校へと向かう。


「法月先輩! おはようございます!」

「今日もかっこいいですね!」

「笑顔、キマってます……!」


 きらきらとした瞳を向けてくる後輩たちに「ありがとう」と声をかける。女子生徒はきゃーきゃーと悲鳴を上げて、男子生徒は嬉しそうに笑う。


 学校の王子様……以前、そうやって陽翠と揶揄いあったことがある。あの時は現実のものとなるなんて思ってもみなかった。俺が王子様なら陽翠は確実にお姫様だ。もしかすると「お似合いの黒の異能者ペア」だなんて言われるかもしれない。


 ……そんな話をしたら、きみはどんな風に笑ってくれるかな。


「おはよう、響」


 3年A組に入って、隣の席の幼馴染に声をかける。響は空色の長髪を揺らしてメガネをくいっと上げた。そしてクラス中から集まる視線にため息を吐く。


「相変わらずだな、……おはよう」

「俺だって好きでやってるわけじゃないからね?」

「好きでやっていたらそれはそれで問題だ。……だがまあ、そのいつでも余裕のある笑顔をやめたら少しはマシになるんじゃないか?」

「アドバイスありがとう。でも俺、いつでも笑顔でいるって決めてるから」


 そうしないと、陽翠に顔向けなんてできない。陽翠自身を犠牲にして成り立っているようなこの世界で、俺は幸せにならないといけない。


「……お前、逆にいつ泣いたり怒ったりするんだ?」

「うーん、いつだろうね?」


 ずっと、ずっと泣いてるよ。それに怒ってる。……他でもない、俺自身に。間違いだって気づいていたのに、気づかないふりをしていた俺自身に。俺のために泣いてくれて、幸せになってと祈ってくれた陽翠を救えなかった俺自身に。


 ふと、響の視線が俺の後ろの何かを追う。振り向いたら、黄緑色のロングヘアのクラスメイトがいた。


「響、どうかした……?」

「っ、あ、ああ。何だろうな……何か、こう……」


 最近の響は髪色が陽翠と似ている子を無意識に追っている。……思い出せない。そんな感覚でしょ? でも、そんなことはきみに限ってあり得ない。「覚えた」ものは決して忘れないその異能があるからこそ、信じられないよね。


 それでも、忘れたままでいい。そのことすら気づかないままでいい。思い出してしまったらきっと、響の今の幸せは消えてしまうから。


「……もしかして、あの子が好きとか?」


 揶揄いを込めて、内緒話をするように言ってみる。


「それは違う! 断じて違うからな!」

「本当に?」

「違うと言っているだろ!?」


 思い切り否定する響の後ろには、いつの間にか、薔薇色の髪を横に一つ結びしている後輩がいた。


「何が違うんですかー?」

「っ!?」


 思い切り肩を跳ねさせた響に、その子は笑う。


「響センパイ、驚きすぎですってー」

「そう言うのなら、突然僕の後ろに立つな……」

「はーい。次からは気をつけまーす」


 響はその気の抜けた返事にため息を吐いた。


「それでだ、十川汐梨。僕か綾世に何か用でもあったのか?」

「あ、そうだった! 法月センパイ、台本について話があって……」

「分かった、向こうで話そうか」

「はーい!」


 元気な返事をして、十川さんは教室から出て行く。


「演劇部か?」

「うん、行ってくるね」


 行ってらっしゃいと言わんばかりにひらりと手を振った響へ、俺は笑みを返す。


 3年生の5月下旬からという異例な時期ではあるけど、俺は演劇部に入った。自分以外の誰かを演じるというのは、思った通りぴったりとはまり、あれやこれやという間に名前のある役に抜擢された。


 その役は、最愛の人を失って悲しみと怒りに暮れている悪役。この劇みたいに、新たな最愛を見つけてハッピーエンド、そんなのは絶対にごめんだ。


 いつかきみが目醒めた時、いつかきみがいった時。一番に言葉をかけるのは、一番に追いかけるのは、絶対に俺がいい。……もう、一人になんてしないから。


 そんな心を隠して、「おまたせ」と声をかける。元気が標準なはずの十川さんは、いつもの屈託のない表情を消して、ぼんやりと俺の黒いネクタイを見つめていた。そして、ぽろりと涙をこぼす。


 俺は苦笑して、そっとティッシュを差し出した。突然泣き出した自分自身に驚いたのか、十川さんはわたわたと謝罪と感謝の言葉を繰り返す。


 ……陽翠、きみの親友は、きみのことを覚えているよ。記憶にはなくても、きっと心で覚えている。


「おいおい、一体どういう状況だー?」


 苦笑しながら現れたのは、紫色の目隠しをしている金髪の先生。はっと俺の方を見て「まさかお前……」なんて言わないでほしい。


「布目先生? 違いますからね?」

「センパイの言う通りですよ……ボクが勝手に泣き出しただけで。法月センパイには何もされてないです!」

「本当か……?」

「泣いてるボク本人が言ってるんです。本当に決まってるじゃないですか!」

「そ、そうだな」


 すまん、と謝った後、布目先生は俺に「一瞬いいか?」と聞く。十川さんに許可を取って、2人で人気ひとけのない職員棟へと繋がる渡り廊下に出た。


 布目先生は、言葉を探すように中庭の方を向く。空は清々しいほどに晴れている。


「法月、……いや、。方波見の様子はどうだ?」


 琥太郎兄さんは言った。


「……相変わらず、ですね。昨日も今日も、ずっと変わらない。……ただ呼吸をして、ただ心臓が動いているだけ。目醒める気配はないです」


 琥太郎兄さんは「そうか」と、どうしようもなさをぐっと飲み込んで、いつもみたいに、にかっと笑う。変に俺を気遣うでもなく、変に俺を安心させるでもなく、ただ、この現実を受け止めるように。


「……さて、そろそろホームルーム始まるな。も間に合うようにしろよー?」

「分かってますよ、布目先生」




 ——陽翠は、この世界から消えた。異能者が嫌われる世界の記憶と共に、忘れ去られた。


 異能者が好かれるこの世界で陽翠を覚えているのは俺と琥太郎兄さんだけ。方波見陽翠という黒の異能者は、最初からどこにも存在しない。真っ白な台紙の真っ白なパズル、そのピースが欠けたことに気づかず、世界は今日も回っていく。


 回り続ける世界を壊さないように、今日も俺は笑う。きみが書き換えてくれたこの世界で、今日も俺は笑顔でいる。するりと、眠り続ける温度のない頬を撫でた。


「……ねぇ陽翠。いつか、また一緒に笑おう?」




 ——……きみと笑い合った何気ないあの時間が「幸せ」だった。そんな簡単なことに、全てが終わってからやっと気づいたどうしようもない俺を許してほしい。




【微睡みの世界で、まやかしの幸せを】


   —end.—

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微睡みの世界で、まやかしの幸せを 色葉充音 @mitohano

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