太田陽菜の夢枕に立った母親の語り

 ヒナちゃん、わかりますか。あなたのママよ。ちょっとびっくりしてる? そりゃあそうよね。ヒナちゃんにしてみればほとんど初めましてだもんね。


 ごめんね、ヒナちゃんをおいたまま死んでしまって。

 そうよ、ママは死んでしまったの。


 どうしてかなあ。たぶん、ヒナちゃんがママのことをいろいろ調べてくれてるから、こうして会えたんだと思うよ。


 せっかくだから、あの日のこと、ママからもお話ししておくね。


 あの日はね、生協さんが来る日で、ママはお昼ご飯の用意をしながら配達のお兄さんを待ってたの。

 冷凍してたウインナーを出そうと思って冷凍庫の中を見たら、バラ凍結のミンチがもうないってことに気がついて、生協さんの注文の紙に追加しようと思ったの。でもボールペンのインクが出なくなっててね、新しいのがどこかに買ってあったはずなんだけどすぐには思い出せなかったのよ。たぶん、ちゃんと探したら見つかったはずだけど、あんまり時間がないから、お向かいの加藤さんに借りることにしたの。昔ながらの公務員宿舎って、ドアを開けたらすぐ目の前がお向かいさんの玄関だからこういうときは便利なのよ。


 加藤さんが奥の部屋にボールペンを取りに行ってくれて、ママは加藤さんちの玄関の中で待ってたの。そしたら急に胸が苦しくなってきてね、もう痛くて苦しくて、立っていられなくてしゃがんだけど全然ましにならなくて、目も見えなくなって、それでおしまい。


 死んじゃったの。


 たぶん心臓の病気だったんだと思う。ママのおばあちゃんと伯父さんも心臓の病気で突然死んじゃったって聞いてるから、家系的なものがあったのかもしれないね。あんなに急に死んじゃったってことは心筋梗塞とかかなあ。ヒナちゃんも念のために健康診断はちゃんと受けてね。


 それでしばらくして気がついたら、ママは玄関の天井のところにふわふわって浮かんでいて、玄関に倒れてるお母さんの体を見下ろしていたの。


 そこに加藤さんが戻ってきて、びっくりしてママの体を抱き起こしてくれたんだけど、もう息も心臓も止まってたみたい。それでも普通なら救急車を呼ぶんだろうけど、加藤さんは呼ばなかったのよ。だって自分ちの玄関で人が死んだってことになったら大騒ぎになるでしょう。その頃、加藤さんのご主人が東京に転勤になることが決まりかけてたのよ。ご栄転ってやつね。そういうとっても大事なときだったから、面倒な騒ぎに巻き込まれたくなかったんじゃないかな。


 全然うらんでないわ。だって、あのとき救急車を呼んでもらっていても、ママは助からなかったもの。わかるのよ、そういうことは。


 加藤さんはママの体を一番奥の部屋まで運んで、ソファの横に寝かせて、顔に白いタオルを掛けてくれたの。それを見て、ああ、ちゃんとしてくれてるなって思ったわ。


 それから加藤さんはどこかへ出かけて、一時間ぐらいで戻って来たわ。桑園のイオンまで寝袋を買いに行ってたのね。その寝袋にママを入れて、南側の大きな窓からベランダに出したの。ママはもう死んじゃってるから寝袋なんて買ってくれなくても良かったんだけど、誰かに見られたらって思うとそのままってわけにはいかないものね。


 夜になって、宿舎の人たちが寝静まった十一時過ぎに加藤さんはベランダに出てきて、ママの体が入った寝袋抱え上げて手すりから外に落としたの。加藤さんって力持ちなのよ。外はまた雪が積もり始めてたし、一階だから大きな音もしなかったし、誰も気づかなかったはず。そのあと加藤さんは玄関から外に出て、官舎をぐるっと回ってベランダのところまで来ると、ママの入った寝袋をベランダの下に押し込んだの。一階のベランダの下は地面との間が結構広い隙間になっててね、大人でも寝転んだら潜り込めるぐらいなのよ。


 ベランダは南側だけど、その下の隙間にはお日さまも当たらないし、毎日すごく寒いから、ママの体はカチンコチンに凍っちゃった。それから雪もずんずん積もって、もう誰もママのことは見つけられなくなってしまったわ。


 それからどれくらい経ったかなあ。まだ雪が積もってたから二月か三月の初めくらいかな。加藤さんがやって来て、ベランダの下からママの体が入った寝袋を引きずり出して、すぐ近くの家庭菜園のところまで抱えていったの。家庭菜園にも雪は積もってたけど、大きな穴が掘ってあったわ。まだ土は凍ってたはずだから穴掘りは大変だったでしょうねえ。


 その穴の底にママの体が入った寝袋を置いて、上から土をかぶせてくれたの。ママが一生懸命手入れをしていた家庭菜園をママのお墓にしてくれたんだね。


 あれから公務員宿舎は取り壊されて、家庭菜園だったところにはアスファルトが敷かれて道路になってしまったけど――


 今でもママの体はそこにあるはずよ。

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ヤブノナカ @fkt11

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