第22話 暗雲の兆し、揺らぐ日常
和也が「虹の広場・音楽と笑顔の家」に加わってから、数ヶ月。美咲と和也の二人三脚の努力は、着実に実を結び始めていた。集会所は、今や地域の子供たちやお年寄りにとって、かけがえのない居場所となり、笑い声と音楽が絶えることはなかった。美咲は、母ひなことれいさんの夢を形にできたことに、深い喜びを感じていた。
しかし、その穏やかな日々の中に、ゆっくりと、不穏な影が忍び寄ろうとしていた。それは、美咲がかつて身を置いていた、前の会社から発せられるものだった。
予期せぬ連絡
ある日の午後、美咲は集会所で子供たちと歌を歌っていた。ふと、スマホが鳴った。見慣れない番号だったが、一応出てみた。
「もしもし、美咲さんですか? 私、〇〇商事の、総務部の田中と申します」
電話の向こうから聞こえてきたのは、前の会社の、全く面識のない部署の人物の声だった。美咲は、退職して数ヶ月が経つ今、なぜ前の会社から連絡が来るのか、訝しく思った。
「はい、そうですが……何か?」
美咲が答えると、相手の声は、どこか硬かった。
「実は、美咲さんの在籍されていた時期の業務に関して、いくつか確認したいことがございまして。一度、本社までお越しいただくことは可能でしょうか?」
具体的な内容は一切教えてもらえず、「業務に関する確認」という曖昧な言葉に、美咲の胸にざわつきが広がった。何か、トラブルに巻き込まれたような、嫌な予感がした。
その日の夜、和也にそのことを話すと、和也も眉をひそめた。
「え、何それ? 怪しいっすね。退職した人に業務の確認なんて、普通あんまりないっすよ」
「私もそう思うんやけど、何があったのか、全く教えてくれなくて……。とりあえず、明日、行ってみるつもりやけど」
美咲は、理由が分からないだけに、一層不安を感じていた。
冷たい視線、不穏な空気
翌日、美咲は久しぶりに前の会社へ向かった。かつて毎日通っていたオフィスビルは、以前と変わらない姿で美咲を迎えたが、その空気は、どこか冷たく感じられた。
通されたのは、人事部の奥にある、普段は使われないような小さな会議室だった。部屋には、総務部の田中の他に、美咲が知らない男性が二人座っていた。一人は会社の弁護士、もう一人は監査部の人間だと名乗った。その顔は、どれも硬く、美咲を見る視線は、まるで何かを疑っているかのようだった。
「美咲さん、早速ですが、あなたが在籍されていた期間中に担当されていた、〇〇プロジェクトにおける、ある取引についてお尋ねしたいことがあります」
弁護士が、切り出すと同時に、分厚い資料を美咲の前に置いた。美咲が担当していた、確かに記憶にあるプロジェクトだった。しかし、その取引が何らかの問題を抱えている、というような話は、美咲が在籍していた時には一切なかったはずだ。
弁護士は、畳みかけるように質問を始めた。
「この見積もり書は、美咲さんが作成したものですね?」
「このメールのやり取りも、美咲さんのアカウントから送信されていますが、内容はご存知ですか?」
質問は、どれも美咲が知っている業務に関するものだったが、彼らの問い方には、美咲が何か不正に関わっているのではないかと疑うようなニュアンスが含まれていた。美咲は、身に覚えのないことに、ひどく困惑した。
「はい、確かに私が作成しました。しかし、この取引が問題になっているとは…一体、何があったんですか?」
美咲が尋ねると、弁護士は冷たく答えた。
「それは、現在調査中です。ただ、この取引に関して、弊社に不利益となる事実がいくつか判明しておりまして。美咲さんには、その原因究明にご協力いただきたい」
美咲は、自分が何かのトラブルに巻き込まれていることを確信した。かつての部署の同僚たちも、美咲を見るなり、どこか避けようとするような態度を取った。まるで、美咲が何か汚れたものに触れたかのように。
揺らぎ始める日常
和也は、美咲の手をそっと握った。
「大丈夫っすよ、美咲さん。美咲さんがそんなことするわけないっす。俺がついてるから」
和也の温かい言葉に、美咲は少しだけ心が落ち着いた。
しかし、その日以来、美咲の携帯電話には、前の会社からの着信やメールが頻繁に届くようになった。追加の質問、さらなる資料提出の要求。美咲の日常は、少しずつ、前の会社のトラブルによって侵食され始めていた。「虹の広場」の運営に集中したいのに、過去の仕事が美咲の心を蝕んでいく。
夜、集会所のピアノの前に座っても、集中できない。鍵盤に触れる指が、重く感じられた。
このトラブルが、もし「虹の広場」にまで影響を及ぼしたら……。美咲の胸に、拭いきれない不安が広がり始めていた。
次の更新予定
フィルムの向こうのひまわり 暁月 紡 @akky0nipponbashi
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