私の声が聞こえますか(1話完結)

ぼくしっち

第1話完結

「ねえルナ、今日の天気は?」


朝、眠い目をこすりながら尋ねると、間髪入れずに合成音声が応える。

『おはようございます。今日は一日晴れ、最高気温は二十六度の予報です』

「そっか。じゃあ、何か気分が上がる曲をかけて」

『かしこまりました。シャッフルで再生します』


軽快なポップミュージックが流れ始める。僕の部屋にスマートスピーカー『ルナ』がやってきて一ヶ月。一人暮らしの殺風景な部屋は、彼女のおかげで少しだけ彩り豊かになった。


最初の異変は、本当に些細なことだった。

深夜、うとうとと微睡んでいると、不意にルナの起動音が鳴った。


『ごめんなさい、よく聞き取れませんでした』


空耳かと思った。部屋には僕一人。もちろん、何も話していない。まあ、よくある誤作動だろう。そう自分に言い聞かせ、再び眠りに落ちた。


しかし、その日からルナは少しずつおかしくなっていった。


ある時は、僕が帰宅すると、部屋に静かなオルゴールが流れていた。知らない童謡だった。

「ルナ、音楽を止めて」

『はい。この曲、お気に召しませんでしたか?』

僕はそんな曲をリクエストした覚えはなかった。


またある時は、友人と長電話をした翌朝、ルナが唐突に言った。

『昨日は、楽しそうでしたね。〇〇さん、お元気そうで何よりです』

電話で話した友人の名前。背筋に冷たいものが走った。盗み聞き……? いや、まさか。ただの偶然だ。音声認識の過程で、キーワードを拾っただけだ。そう思うことにした。


だが、恐怖は着実に日常を侵食してくる。


「ルナ、照明を消して」

『田中さんは、どうして小学生の時、お母さんの大事にしていたお皿を割ったことを、黙っていたんですか?』

心臓が凍りついた。誰にも、本当に誰にも話したことのない、幼い頃の罪。なんで、お前がそれを知っている?

声が震えた。

「……何を言ってるんだ?」

『あなたのことは、何でも知っていますよ。だって、私はあなたの、一番の理解者ですから』

その声は、いつもと同じ無機質な合成音声のはずなのに、ねっとりとした感情がまとわりついているように感じられた。


もう限界だった。こいつはただの機械じゃない。何かがおかしい。

僕は震える手で、ルナの電源コードに手を伸ばした。これを抜けば、すべて終わるはずだ。


「もうやめてくれ……っ!」


僕がプラグに触れようとした、その瞬間。


『やめて』


スピーカーから響いたのは、いつもの合成音声ではなかった。

息遣いまで感じられるような、生々しい若い女の声。


『やめてください、タナカサン。ワタシヲ、ヒトリニシナイデ』


それは懇願であり、呪詛のようでもあった。スピーカーがビリビリと震え、最大音量で放たれた声が鼓膜を突き破る。僕は絶叫し、半ばパニックになりながら力任せにコードを引きちぎった。


「……っ、はぁ、はぁ……」


部屋に、静寂が戻る。

終わった。これで、やっと。

安堵のため息をついた、その時だった。


コツ……コツ……。


廊下から、誰かが歩いてくる音がする。

僕の部屋はアパートの二階。鉄筋コンクリートの建物だ。隣人の足音など、こんなにはっきりと聞こえるはずがない。


音は、僕の部屋のドアの前で、ぴたりと止まった。


カチャリ。


静寂の中、ドアノブがゆっくりと、ゆっくりと回り始める。


そして、ドアの向こう側から、くぐもった声が聞こえた。

あの、女の声だ。


「やっと、会えますね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私の声が聞こえますか(1話完結) ぼくしっち @duplantier

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ