【短編ホラー】妙なものが見える山【セミフィクション】
山本倫木
妙なものが見える山
編集部員Kはパソコンに表示されているファイル数を見てげんなりとした。総数3桁にもなるこの文書ファイル群は、今回の怪奇小説コンテストに応募された作品たちだ。今回の公募の優秀作品は、近日出版予定の短編集へ収録されることになっている。そのためか今回も大きな反響があり、沢山の作品が寄せられた。応募数が多いことは、純粋にありがたい。反応が大きければコンテストに勢いがつくし、大賞作品にも『応募総数○○点の頂点に君臨した傑作!』と箔をつけることも出来る。けれど、とKはため息をついた。
Kは下読みがあまり好きではなかった。なにしろ、作者が熱意を込めて書いた作品でも、読者にウケないと判断したら容赦なく切り捨てなければならない。初めて下読みをした時、作品を没にするのは気がとがめて仕方がなかった。流石に今ではいちいち心を痛めないが、それが出来てしまうのは自分の心が摩耗しているようで、心苦しかった。とはいえ、これも仕事だ。Kはコーヒーを一口すすると、仕事にとりかかった。最初の作品の題は『妙なものが見える山』だった。
○
「この山はね、昔は『しおき場』として使われていたんだ」
マサトが薪をくべながらそう言った。燃え上がる炎が、たき火を囲んだアタシ達四人を下から照らしている。よく乾燥した木材は、ぱちぱちと静かな音を立てて燃えていた。
「『しおき場』って?」
アタシは耳慣れない単語を聞き返した。
「昔の言葉で『御仕置』、つまり刑罰を行う場所だね。犯罪者に対して、斬首や晒し首なんかをしていたのがこの辺りなんだよ」
「やだ、もう。やめてよ」
隣に座るケイカが身をすくませた。ただでさえ小柄なケイカは、身を縮こませるとアタシの陰に収まってしまいそうになる。
「また怪談話かよ。マサトも好きだな」
たき火で焼きマシュマロを作っていたエーイチが苦笑をした。はい、出来たよ、と言って差し出す棒つきのマシュマロは、柔らかくとろけて大きく膨らんでいる。砂糖が焦げる匂いと煙の匂いとが混然となって鼻腔を刺激する、絶妙な焼き加減だ。ありがと、とアタシは受け取り、一本をケイカに手渡す。ケイカは小さな口で頬張り、リスみたいに少しずつ咀嚼した。
もう十月も半ばを過ぎている。昼間は他にもバーベキューを楽しんでいるグループも居たけれど、テントを張って宿泊までしようという物好きは他には居ないらしく、アタシたちは広大なキャンプ場の夜を独占していた。山の空気に冷えた頬に、たき火の熱が心地よい。季節外れのキャンプは、思っていた以上に気持ちが良かった。
「だって、せっかくM山に来たんだぜ。ここは関西じゃ有名な心霊スポットで、『妙なものが見える山』だって界隈じゃ有名だよ」
「そ、そんなに有名なの?」
ケイカが微かに震える声で尋ねる。アタシはマサトに呆れていた。キャンプに不慣れなケイカが山を楽しめているのは、山に慣れているエーイチとマサトの力が大きい。テントを立てるのも、火を起こすのも、二人とも手際が良かった。ケイカも感心して見ていたし、マサトにとってもアピールするチャンスだったのだ。だというのに、マサトと来たらさっきから怪談話で、ケイカを怖がらせてばっかり。まったく、マサトはこのキャンプの目的を忘れちゃったのかしら。
「そうそう。来る前に調べてきたんだけど、心霊体験が出来るって、ネットでも噂は持ちきりだったよ。夜中に森の中を歩く白い人影を見たとか、テントの外で大勢が歩く気配を感じたとかね。今日も、出るかもよ」
手をだらりと下げて幽霊のポーズをとるマサトに、きゃ、と小さな悲鳴をあげてケイカがアタシにしがみつく。安っぽい怪談話でも、こうして夜のたき火を囲んで聞くとそれなりに雰囲気が出てしまう。怖がりのケイカが怯える気持ちは分かった。だけど、とアタシはエーイチに目配せをした。
「まあ、それくらいにしておこうぜ。ケイカちゃん、怖がってるしさ」
「あ、ごめん」
エーイチの言葉に、マサトはハッとして慌てたように言った。
「俺、怪談話が好きだから、つい夢中になっちゃって。怖い話、苦手だったかな」
「そうだよ、マサト。罰として、片付けはお前の担当な」
冗談めかしてエーイチがマサトの肩を叩く。本当にごめんね、とマサトは立ち上がり、ケイカは、ううん、大丈夫、と健気にこたえた。
「さ、片付けはあいつに任せて、今日はそろそろ寝ようか。明日も早いからね」
「あ、じゃあ私もお手伝いしてきますね」
エーイチはそう言ってくれたけれど、ケイカは自然な動作で立ち上がるとマサトに駆け寄っていく。離れていくケイカの背を見て、アタシとエーイチは同時に肩をすくめた。
「やっぱり、ケイカがマサト狙いなのは変わらないね」
「マサトも良い奴なんだけど、空気読めないところがあるからなあ」
アタシたちはそんな事を言い交した。エーイチはアタシのカレで、ケイカは親友だ。ちなみにマサトはエーイチのワンダーフォーゲル部友達。彼氏募集中だったケイカが、アタシの紹介でマサトと会ったのが三ヶ月前の事。だけど、互いに気はあるようなのに、二人は今一つ仲が進展しないようだった。見かねたアタシとエーイチが企画したのが今回のキャンプなのだ。得意分野で良い所を見せよう、という計画だったのに、マサトが怪談話を始めるものだから妙な感じになってしまった。
「ま、なるようになるさ」
「そうね」
暗がりの中、微妙な距離感で紙皿や余った食材を片付ける二人を遠くに見ながら、アタシたちはそう思うしかなかった。
「結局、男女別のテントになっちゃったね」
アタシはシュラフに潜り込むと、隣にいるケイカに目を向けた。真っ暗で何も見えないけれど、ごそごそ身をよじっている気配がある。慣れないシュラフに、ケイカは苦戦しているようだ。
「本当は、アタシとエーイチが同じテントで、ケイカはマサト君と、なんて計画もあったんだけどねえ」
「エイコ!」
ケイカがアタシの名を叫ぶ。赤面しているのが容易に想像できる声だ。
「わたしとマサト君は、そんなんじゃ……」
「でも、彼の事は嫌いじゃないんでしょ」
ズバリと切り込んでみると、押し黙る気配があった。ケイカを見ていれば、マサトが気になっていることはすぐに分かる。エーイチが言うには、マサトは多少ガサツなところはあるけれど、気性がまっすぐでいい男だそうだ。今日も彼を見ていて、その通りだと思った。エーイチに似て、器用ではなさそうだけど、安心できそうな空気をまとっている。
「マサト君の事は、素敵だと思うんだけどね」
暗がりから、小さな声がした。
「でも、わたしが怖がっているのに、しょっちゅう怖い話をしてくるの。この前も、一緒に見るのに、ホラー映画をチョイスしようとするんだよ」
「それが、付き合うのを迷ってる理由なの?」
「だって、嫌だっていうのに勧めてくるんだよ。わたしの事はどうでもいいのかなって」
なるほどね。アタシは納得した。ケイカはかなりの怖がりだ。怖い物を楽しめる人のことも、きっと理解しがたいのだろう。でも、それじゃもったいない。あのね、とアタシは口を開いた。
「男って、精神的には小学生で止まるんだって。ほら、小学生男子って、好きな子に意地悪をすることがあるって言うでしょ。マサト君、少し子供っぽいところがあるし、ケイカが怖がるから余計にホラーを見せたくなるんじゃないかな。マサト君も、ケイカの事きっと好きよ」
「エーイチ君も、エイコに意地悪するの?」
「えー、それは秘密」
「なによ、それ」
ふふっ、と二人で小さく笑った。ランタンも消してしまったテントは真っ暗で、お互いの顔は見えない。だけど、だからこそ、いつもよりも素直に気持ちをさらけ出せるような気がした。目を開けているのか閉じているのかも分からない闇の中、アタシ達はそうして他愛のない話を続けた。もう夜は冷え込む季節に入ったけれど、シュラフはずいぶんと暖かい。話し込んでいるうちに、ごそごそする音もいつしか止んでいた。ケイカも、全身を包み込む暖かさに身を委ねられたようだ。やがて会話も途切れがちになり、アタシはいつの間にか眠りの世界に引き込まれていった。
「ねえ、エイコ。起きて」
ささやき声で目が覚めた。まだ、辺りは夜の闇だ。目を開けても、真っ暗で何も見えない。アタシが起きた気配に気が付いたのか、闇が再びささやいた。
「ねえ、いまの聞こえた?」
ケイカの緊張感のある声に、意識がすぐに明瞭になる。アタシは寝たまま耳を澄ませた。夜の山は意外にも静かではない。木々を吹き抜ける風の音、止むことの無い虫の合唱、時折遠くから聞こえる梟の鳴き声。様々な生命の気配が溢れている。けれど、そこに異質な音が混じることに、アタシは気が付いた。
タッタッタ
それは軽やかな足音だった。音の出所はハッキリしないけれど、あまり遠くない。小さな子供が走り回っているような音だ。
「……聞こえた」
「マサト君の話、ホントだったんじゃ……」
ケイカが怯えた声を出す。
「まさか……」
怪談なんて、全部作り話に決まっている。マサトはネットでは心霊体験談がたくさんあるみたいと言っていたけれど、これほど信憑性の低い情報源もない。アタシはそっとシュラフを抜け出すと、枕もとのスマホに手を伸ばす。時計は深夜二時を示していた。
「エーイチ君にかけるの?」
黙って頷いて、スマホを耳に当てる。けれど、呼び出し音は鳴るのに、出る気配がない。すぐ隣のテントにいるはずなのに、ひどく遠い場所に居るみたいだ。マサトにもかけなおすけれど、同じだった。
「寝ちゃってるのかな」
「……大丈夫」
アタシは暗闇の中、手探りでケイカを引き寄せた。アタシの手が当たった瞬間、ケイカはびくりとしたが、すぐに身を寄せてしがみついてくる。震えていた。
「男どもがいなくても、アタシはいるよ。だから、大丈夫」
「うん」
耳元でケイカの声が聞こえた。シュラフの外の空気に冷えはじめた体が、互いの体温で暖められる。タッタッタ。テントの外では、相変わらずかすかな足音が続く。気づけば音は増えていた。五人分とも、十人分とも分からない。正体不明の足音達にアタシたちのテントは囲まれていた。時折、バタンと風で何かが倒れるような音や、キャッキャとはしゃぐ声が聞こえ、その度にケイカは体を震わせる。アタシも自分の鼓動の音がうるさかった。
不意に足音が消える。妖しい気配が消えた後も、アタシ達は抱き合っていた。五分なのか、一時間なのか、アタシは時間を忘れて耳を澄ませたけれど、もう風と虫の音しか聞こえなかった。
「いっちゃったのかな?」
「そうかも」
外を確認しようと思った。アタシは起き上がると、手探りでテントの入り口を探す。このテントの出入り口はファスナー式になっていて、スライダーは足元にある。探って指先に金属の感触を見つけ、引き上げようとした時だった。
バザバサッ
沢山の小さな手がテントを外から叩いた。それはテント越しに頭に触れる。乳児が振り回す腕のような、痛くはないが遠慮もない力。
「きゃっ!」
アタシは悲鳴をあげ、飛び跳ねた。アタシが跳ねると同時に、外ではいくつもの足音が遠ざかる。しりもちをついたアタシをケイカが助け上げるが、アタシたちは固まったまま、もうそれ以上身動き出来なかった。
「うわー、これはひどい」
男の子の声で気が付くと、辺りは明るくなっていた。ザッザッと力強く土を踏みしめて歩く音も聞こえる。アタシは膝にもたれていたケイカをそっと横たえると、テントのファスナーを開けてはい出した。昇ったばかりの太陽が、広いキャンプ場をキラキラと照らしている。風もおさまった山は、昨日の夜よりも静かだった。
「エーイチ? マサト君?」
「あ、エイコおはよう。大丈夫だった?」
エーイチが振り向く。アタシはそこに広がる風景を見て息をのんだ。昨日片づけたはずのクーラーボックスが倒れ、余った食材や食器類が嵐の後のように散乱していた。
「エーイチ、昨日は大変だったんだから!」
アタシは昨夜の事を話した。子どもが走り回る足音がしていたし、テント越しに頭も叩かれた。絶対に夢じゃないし、今見えている辺りの散らかり方も風の影響では説明がつかない。
「ここでは心霊現象が起こるって噂、本当だったみたい」
「えー、本物の心霊体験? ケイカちゃんは大丈夫だった?」
マサトだ。感心にも昨日で反省したのか、真っ先にケイカの心配をしている。
「そりゃ怖がってたわよ。まだテントで休んでいるから、行ってあげて」
アタシが言うが早いか、マサトはケイカが寝ているテントに駆けていく。やっぱり、エーイチが言う通り気性はまっすぐのようだ。昨日のうちにこういう所を見せてくれれば良かったのに。
「エイコ、これはたぶん、動物の仕業だね」
「えっ?」
エーイチは散乱したごみ袋を足先でつついていた。袋は無残に引き裂かれ、昨日のバーベキューの残骸が覗いている。
「ほら、これ、生ごみが入っていた袋が荒らされてる。多分、小動物がやったんだろうね、タヌキか何かじゃないかな」
割りばしや紙皿に混じって、スペアリブの骨や焼き鳥の串が見えていた。確かにこれは、野生の肉食獣を引き寄せるかもしれない。
「でも、軽い足音とか笑い声もしたんだよ」
「小動物だから足音がするなら軽いだろうね。笑い声に聞こえたのも、そういう鳴き声なんじゃないかな?」
エーイチは自信ありげだ。アウトドア慣れしているエーイチの言う事だから、そうなのかもしれない。幽霊の正体見たり枯れ尾花。怪談に惑わされずに冷静に物事を観察する辺り、流石に頼りになる。
「ごめん。昨日の片付け、荒らされないようにする処置が甘かった。怖かったでしょう」
「そうよ。電話にも出てくれないし」
アタシはエーイチの胸を一つ小突いた。エーイチは困ったような顔でもう一度、ごめんと言って頭を掻く。エーイチの困った顔が面白くて、アタシはプッと吹き出した。丁度同じ時、マサトが消えていったテントの中から、アハハと二人分の大きな笑い声が聞こえた。ケイカと、マサトの声だった。
「あっちも上手く行ったみたいだね」
アタシはエーイチと顔を見合わせて、もう一度笑った。
「じゃあ、改めて片付けないとだね」
アタシは無事だったゴミ袋を取り出した。散乱してしまった紙皿や生ごみ類を拾い集めて、袋に入れていく。ゴミは広範囲に散ってしまっていて、アタシはあちこち歩き回らないといけなかった。炊事場の近くにまで来た時、アタシはそれに気が付いた。
足跡だった。
差し渡し十三センチほどの人間の子供の足跡が、水道脇の水たまりの泥にくっきりと残っていた。しかも、指の跡まではっきりと残る裸足だ。昨日の足音は、野生の小動物のものじゃないかってエーイチは言っていた。だけど、だとしたらこの足跡は何? 見る限り、足跡は新しいもので、でも、昨日ここに来ていたグループに子供連れはいなかった。背筋に冷たいものが流れ、ぶるりと震えが来た。
「エイコ、ごめーん、私も片付け手伝うよ」
ケイカがマサトと並んでこっちにくる。その表情は明るく、楽しげだ。アタシは反射的に泥をかき乱し、足跡を消した。ケイカがこれを見たら、卒倒しかねない。
「エイコ? どうしたの?」
「何でもない。じゃあ、あっちの方に飛んじゃったのをお願いしていい? アタシはこっちやるから」
足跡を消す動作が不自然だったのだろう。不思議そうに尋ねるケイカを、アタシは適当にごまかした。はーい、と素直に応えて、ケイカはマサトとゴミ拾いに駆けていく。とりあえず、このキャンプに来た目的は、達成できたようだ。
今は足跡の事はアタシ一人の胸に納めておこう。笑いあってゴミを拾う二人を遠くに見つめ、アタシはそう考えていた。震えは、まだしばらく収まりそうになかった。
○
狙いは分かるけれどパンチが弱いな、とKは思った。ファイルを『没』フォルダに移そうとした時、後ろから声をかけられた。
「へえ、妙見山の話かい?」
編集部長のMだった。いつの間にか、Kが下読みしているのを覗き込んでいたらしい。
「いや、作中では具体的な地名は伏せていましたね」
「だって、タイトルが『妙なものが見える山』で怪奇小説だろ。しおき場とか、心霊スポットとか出てきたんじゃない?」
「あれ? 読んだんですか?」
意外だった。多忙なMは、下読みにはめったに参加しない。同じ作品を重複して読んだのかと思ったが、Mは首を横に振った。
「妙見山は心霊スポットだって、関西じゃ有名なんだよ。タイトルしか見えなかったけど、ひょっとしたら、作品は実話だったりしてね」
「ははっ、だったら面白いですね」
邪魔したね、と言うとMは自席に戻っていく。Kはパソコンに向き直ると、検索窓に『妙見山 しおき場』と打ち込んだ。どうやらそれは実在する山で、『しおき場』と呼ばれる場所も確かにあるようだ。
Kは少し考え、作品を「OK」フォルダに移した。ノンフィクション、あるいはセミフィクションの怪奇小説。売り文句で面白くなるかもしれない。編集者としてのKが、そうささやいていた。
【了】
【短編ホラー】妙なものが見える山【セミフィクション】 山本倫木 @rindai2222
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