火星レシピアーカイブ

火星滞在開始からちょうど18ヶ月。

有人探査第一班、通称〈オリジン・クルー〉は、

火星でのすべての活動を終え、地球への帰還船〈プロメテウス〉に乗り込んだ。


発射直前、ユウタ・タカミは居住モジュールの最後のロックを確認し、基地中枢の扉を閉じた。

その手には、ある端末のファイルが残されていた。


《Martian Culinary Archive:V1.0》

編者:オリジン・クルー5名

ファイル総数:31冊相当


「残すぞ。俺たちの食卓を」


それは、誰からともなく発せられた言葉だった。


火星基地に遺されたもの――

それは科学設備でも、生態系シミュレータでもない。

それは、「食の記録」だった。


31冊分のレシピは、ただの調理マニュアルではなかった。

それぞれが、試行錯誤、失敗、議論、笑い、そして時には沈黙の味まで記録していた。


1冊目は、あの“火星ピザ”の全記録。

試作過程、加熱温度、クロレラとトマトの配合比、

そして「均等に分け合うべし」と注釈されたページがある。

その脇には、誰かの手書きで小さくこう記されていた。


『初めて“文化になった”料理。分け合った記憶が、最初の香辛料。』


2冊目以降には、天ぷら、雑炊、発酵味噌を使った炒め物、クロレラの焼き団子、

乾燥トマトのチップス、さらには“飲み物としてのスープ分類”などが続いていく。


第3班以降の想定到着を見越し、それぞれのレシピには備考が添えられていた。


「現在の設備では不可。次世代機器を想定した再現提案あり」

「発酵失敗ログつき。“不完全さ”も文化のうち」

「このレシピは“調理音”も記憶に残る。ぜひ録音してから再現を」


そして、第31冊目――最後の一冊は、タイトルすらついていなかった。

白紙のまま、ただ表紙だけにこう書かれていた。


『To the next table. ――続く人たちへ』


この本だけは、記録されていなかった。

それは、未来の誰かが書き始める一冊として、意図的に空白のまま残されたものだった。


帰還船内、地球までの船旅は約7ヶ月。

その中で、クルーたちは各自のレポートをまとめながら、何度となく“食の記憶”を語り合った。


「結局、俺たちが最後に食べたのって、なんだったっけ?」

ショーンがふと訊いた。


「サツマイモと火星味噌の焼き団子」

エミリアが即答した。

「味は……完璧じゃなかったけど、妙に懐かしい味だった」


「たぶん、それが“文化”だったってことよ」

ナタリアが言う。「味の完成度より、“残る感覚”があるかどうか」


「なら、俺は火星のクロレラバーガーを忘れたくない」

カルロスが笑う。

「味は酷かったが、名札に自分の名前つけたくなるほど愛着が湧いた」


「……どれも、未来には“レシピ番号”になるんだろうな」

ユウタがしみじみと呟いた。


「でもその番号の横には、“私たちの声”が残ってる」


エミリアの言葉に、誰もが頷いた。


火星で始まった食の記録は、単なる技術や栄養を超えて、“文化の継承装置”になっていた。

人類がこの星に初めて降り立ち、初めて“誰かのために料理を作った”そのときから、

味は記録され、思い出となり、物語となっていた。


その数年後、次なる有人探査隊が火星に降り立ったとき、

彼らは居住モジュールのデータベース内にこう書かれた一文を見つける。


『ようこそ、火星の台所へ。

 あなたがここで作る一皿も、文化になります。

 ――オリジン・クルー一同より』


そして彼らが最初に再現する料理は――

第1冊に記された、あの“火星ピザ”だった。


ミズナは、静かに火星の土から芽を出し、

再びその葉が、赤い惑星の食卓に散らされる。


こうして味は、文化となり、記憶となり、

未来へと続く、“人類の食卓”になっていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

記念すべき人類初の火星料理 技術コモン @kkms_tech

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ