第16話 日向の匂い

そしてカッパがまたやってくるとしたらこのタイミングである、翌日、魔王城下にほど近い山の中のキャンプ場と化した川べりに向かう。来てみると妙に賑やかな気配は失せて、川のせせらぎばかりの静かなものである。昨日までに滞在していたカッパは元の場所へ帰ったのだとエヴァレットが教えてくれる。ほとりに座ってぼんやりとワープ地点、二股の木のあたりを眺める。


「なさそうですねえ」


派遣から戻ってきてすぐに合流した八番がラムネを飲みながら言い、そうだと思って私も冷やしキュウリを齧る。


「また面白そうな時に私をのけ者にしましたね」

「面白いとかじゃねえんだよ」


八番にしてみればよく分からない立ち位置の悪魔が付いていって置いていかれるのは不満だろうが、蟹との戦闘に巻き込まれた挙句に勝手に寺が焼けていたのは面白くなかった。


「でもこれで解消したんでしょ、よかったよかった」

「うん……」


三番は歯切れ悪くキュウリを齧っている、


「なにか?」

「牛頭天王の話を流してしまった」

「忘れな、一旦忘れちまいな」


背中を叩いてやるとタイミング悪く噎せてしまった。「ばか」とか言われながら小突き返される。落ち着いてから、はあ、と分かりやすいため息をつかれて、


「報告書か」「大変そうだね」「大変だわ。最後蟹出てくるところとか」


八番が伸びをして、「そろそろ行きますね」


「ここで『手伝います』だろ」

「ンン?」

後輩狼はすっとぼけている。


「でも打ち上げしましょうよぉ、皿うどん食べ損ねちゃったからそれで」

「麺は駄目だ」


麺じゃなけりゃいいのか、打ち上げなくても食ってばかりだった気がする、等の感想が思考を横切り、なんにせよ野暮というものなので成り行きを見守る。


「肉」「肉」


仲が良くて素晴らしいと思う。


「短足くんは」

「え、ここから意見が出せるの」

「もう多数決で肉だけど」


それなら意味がない。と思っていると呪文の詠唱が始まり、


「鳥、豚、牛、羊、人、ワニ、カンガルー。希望ある?」


思ったよりも選ぶ余地が多すぎるかもしれない。私は普通の悪魔なのでそんなに好きな肉質とかのこだわりもないのだ。


「ワニ以外ならいいかな」

「あっ、蟹食べませんか!?」

「おっまえ、その連想凄えな」


えへへと八番が朗らかに笑う。彼女がいたら勝てたかもしれない。

手持ち無沙汰にしているカッパにも水を向けてみる。


「エヴァレットくんもどうだね」

「打ち上げスかあ、キュウリのあんならよかですよ」


割りとあり得る。何やらかにやら、終わりよければ。


***


『それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。

 すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになっていました。』


「宮沢賢治は」

「アニメを観たことがあるよ。銀河鉄道の夜」


あまり詳しくはないが、夏のまひるの頃に暇を持て余して色々読み漁った中にそんな絵本もあったかもしれない。


「自己犠牲の精神……というのを検めると、そもそも生きているだけで他の命を奪うとか、限られた資源の奪い合いをしているとか、とにかくただ欲を耐えただ死ぬというだけでも他人にそれらを譲るという自己犠牲が起こっているのではないか。そういう自己犠牲を賛美する是非ではなく、なぜそれに至ったのかを」


「考えてどうするの」


カッパのワープ事件打ち上げの後にしばらく三番狼に当選メールを送って遊んでいたら、そのうち暇なのかと返事が来て気づいたら飲みに連れてこられていて率直に嬉しいところだ。手元には約束の魔王、ではなく黄桜を弄んでいた。金印。浴びるほど溺れるほど飽きるほど黄桜がある状態と言い、もはや寄付としてこの小料理屋の『おろち』に渡していたがウチだってこんな急に困るのよとかラミアの女将に言われながら何も言わずにドンドンと何かの焼き物とともに供された。白身魚のような、白い身ながらしっかりとした弾力が強い肉質であり、味は淡泊であり、


「ワニ?」

「うんそう、ワニ」

「日本酒にワニ合わせるか?」

「文句言うなら帰れ駄犬」


女将に言われて駄犬はわざとらしく耳を伏せた。


「なぜ急に宮沢賢治の話?」


「銀河鉄道の夜にあなたの神さまはうそ、私のほんとうの神さま、神さまはひとり、とかなんか揉めてるところがあって」

「うん」

「遠藤周作が沈黙で批判されてたのを思い出して」

「待って」

読んだかどうかを思い出す。多分読んだ、映画も観た。

「キリストが踏んでいいよ〜って言うやつね」

「雑だな。でもまあ、日本の神を大日如来の化身として消化した後にやってきたデウスを同じように説明しなければ理解できなかった、結局そのように受け止め沼地で根を腐らせた、日本人とキリスト教の向き合いについて、優れた導きのない中で救いとはなにかという自らの問いに自ら答える、そこんところがもはや宗教の議論ではなく個人的な小説である所以だよな」


「だよなって言われても俺あんまり覚えてないんで」


一旦曖昧に返答する。機嫌がいいということだけが確かである。


「しかしキリシタン、彼らがデウスのつもりで大日如来を奉じていたとかいう構造上の話と、それでも信仰による救いを得ていたのかという個人の話とが分かちがたいじゃない、悪魔としてはね。あそこに牛頭天王でもモロクでもデウスでも居たとして、捧げる信心が本当なのになぜ問題が?」


おそらく言いたいのはモロクの話だろうと枝葉をなるべくカットして返答してみた。枝葉に付き合ってあげてもいいが(小説の話が好きなようだ)付き合えるだけの日本文学への思い入れがない。


「未来に原因がある結果もある」

「ジャンヌ・ダルクが復権してのち列聖に至るみたいな?」

「いやそれは、人間社会としては発見、同定しているみたいな解釈だろ……まあ見かけ似たことにはなるか」

「じゃあ、既存のいかなる神にもあらざる異端の邪悪な神性を祀っていたと責められる隙を見せていれば、時間を超えて悪魔は利用することが可能」

「それかな」


お互い考えながらワニをつつく。悔しいことに美味しい。


「それじゃモロクか……」

「観測者として利用された節も……」

「それやばいね」

「正直詰めるには証拠が足りん」

「マジだったら普通に戦争じゃん」

「担当にされたら嫌だ」

「握り潰せばあ?報告に入れなくても成立するよお」

「悪魔め」


悪魔だからそうもなる。山椒魚の時は正直ふざけていたが、今にしてみると本当に山椒魚の件も魔王モロクが噛んでいるのかもしれない。その重大性は理解のうえで、別にどうでもいいと答えられるのも雑魚悪魔だ。


「嫌だな、どういうリスクを負うのも」


狼は素直に嫌そうな顔を見せている。


「あんた自分自身が魔王陛下のリスクなんだからな」

「ふはは」


魔王みたいに笑ってくれた。魔王の笑い方は知らない。


「どうなってもいいよ」

「あーあ、言っちゃったね」

「でも俺がやるんだよ」


上を向いて顔を押えて口角を上げた左の口元だけ見えた。首元から赤くなっている。


「ねえ」「ん」「このあといい」


狼は目を閉じてしばらく沈黙した。


「だと思った」

「どうですか」


目を合わせて薄っすら笑う。


「高いよ」

「それは支払えばいいって言ってるから」

「そう」


それで何を払うのかをこちらが示すわけだ。なんとも売り手市場である。


「1ポンド、私のどこの肉でも好きに」

言いながらも左胸を指す。


「ふ」鼻で笑い、「足りない」

「今ならなんと沸騰しそうな血もお付けしてさらに送料手数料もジャパネットが負担!」

「1ポンドじゃ足りない」


よほど空腹の狼だ。


「どうも150ポンドは必要だ」

「よろしいでしょう。頭のてっぺんから爪先まで全部あんたのです」

「それで。頭のてっぺんから爪先まで今夜はあんたに」


ふたりでくすくす笑って「恥ずかしい奴」とか彼が言えたことではないことを言い、「どっちが恥ずかしい奴か今にわかる」と言っておいた。

ヒラには悪いが、付き合ってるかどうかなんて宙に浮かせている方が、彼には気楽そうでいいんじゃないか。今は。

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もう明るいし、もう暗くならない 紫魚 @murasakisakanatsuki

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