第15話 ああもう無茶苦茶だよ
「さっきの蟹と同じ刻に」
地獄の門番の爺さんが渋い顔を見せて何か言いかけるが、狼男がそれ以上に渋い顔で睨んでいたからかため息混じりに「まあええや」と門を開いた。
目掛けるのは室町時代で、アジア顔狼男の狼抜きはともかく私の金髪碧眼はいよいよ誤魔化しようがない。そもそも蟹を見かけて気がはやるあまり目立つも何も着の身着のまま。
「河童と蟹の間に紛れ込むんだ、もういいだろ」
「適当になってきたね君も」
歩きながら肩をすくめている。大股にどんどん月光を進む彼を追うように歩いていく。
「魔界の方のタイムラインでは蟹、もう戻ってるかもしれないな」
時間遡行で律儀に過ぎただけの時間を経過させて帰る必要は特にないようで、このように時間旅行者が入り乱れることもあり、魔界的に面倒が起きるのが予想されるので特別に頼まなければ門番がそのように対応するはずだ。考えてみると同じ時間に無限に自分を集めることもできるのだし、そうなる際に止めるための門番なのだろう。
「ことと次第では魔界で蟹を仕留めた方がよさそうだ」
「蟹の光線なら任して」
拳をつくってアピールすると狼は振り返り二度見。
「マヨビームとかかな……」「カップ焼きそばの霊?」「麺の霊ってなんだよ」「知るわけないだろ」
まだ夜の帳も落ち切らない、夕暮れ過ぎの仄明るい空に降りる。深い木々の中だが潮の香りもする。時代は錯誤していないが場所が違いそうな羊皮紙を開いて地図を出した。
「近くか」「多分、そんなに。北どっち?」「日……月……くそ満月じゃねえか」
クロスが頭上の耳をぴんと立てる。
「狼男って日本でもマズいかな」
「良くはないだろ」
まだ薄っすらと浮き上がる程度の月の影だが、昇っていけばいずれ丸く輝くだろう。普段はケモミミのおっさんとしか形容し得ないが、見えている顔周りの毛が濃くなりながら骨格の変形、さらに筋肉量の増加、まさにリカントロープという感じに狼でも人でもない巨きい獣になろうとしている。
「服ってどうなんの」
「これは制服だから大丈夫」
「特製ってことね」
「あんまり見んな」
「無理だろそれは」
言いながら上着の腕を抜いて上裸になっている。柔軟な対応だ。右腕にアームカバーのようなインナーを着ていたが、そちらは伸びる生地ではあるようだ。毛だか肉だかで満ち満ちである。
「え、ていうかどうなるの君」
「正気を失うようなことにはならないと思う」
「思うて」
「立って歩くデカ狼で落ち着くか、普通のデカ狼になるか……」
今のところ目測2.5Mの立って歩くデカ狼だが、私は普通のデカ狼が何なのか知らない。いやデカさは問題なのだろうか、これから巨蟹の坊主が焼き討ちに来たカッパと戦うのだと思うのだが、さらに狼の妖怪変化が寺をなぎ倒したって大勢に影響はないのではないか。
「よし行くぞ狼さん」
「なんか今あんま動きたくない」
「散歩拒否犬?」
揶揄すると渋々歩き出した。しばらくして、はるか上の三角耳が動く。
「大勢集まっているような、話し声が」
「それでしょ、多分カッパが集まってんでしょ」
「走る。もう乗ってくれ」
促されるままに肩あたりに腕を回してよじ登ると、四足で走り出した。巨体なので走りづらいのではと思ったが低木などはお構いなしにばきばきと折って直進していく。
そう遠くもない開けた場所に、案の定カッパが集まっていて、同時に巨大な蟹の頭の僧侶も反対側から姿を現したところだった。
「カッパだ!」
「山犬!?」
「蟹!?」
「無茶苦茶だな」
他人事のように蟹が俯瞰している。
「えいカッパどもカッパども、とりあえず君たちだ、目論見はわかっている!焼き討ちをやめるんだ」
「なにーっ」とか「えー」とか「あれなに?猿?」とかカッパから声があがる。ざっと三十カッパ前後というところか。各々農具のようなものや棍棒のようなものを握りやる気十分である。
「そうはいかん、このためにさんざ用意してきたんだからよ。山犬だろうが蟹だろうがこの頭数で負けるわきゃなかろ」
一際貫禄のあるカッパが啖呵をきると、カッパたちが騒ぎながら得物を振り上げる。
「聞け!俺たちが代わりに寺を焼こうっていうんだからな」
「なにをーっ!……何?」
狼がデカめの声で言うと、カッパは余計に混乱した。
「それじゃあオイらを止めてくれんなよ、一緒に寺を焼こうや」
「それはやめてほしい」
「なんなんや?」
他のカッパもざわざわしながら振り上げた腕を下ろし、トーンダウンしていく。そこに蟹が、
「ところで私は金比羅山和迩坊、焼き討ちを止めに参った者である!」
「ワイらは仲間ではないんかい!」
「あんたは一旦待ってくれ、先に河童と話つけさせろ」
「否、貴殿らまとめて断念させればよいこと、私が待つ理由はなし」
ああもう無茶苦茶だよ。
「とりあえずさ、カッパの皆さんは穏便に帰ってほしいぜ。俺が責任持って焼くから」
「別に焼きたいけん焼き討ちに行くわけじゃなかもん。こいはオイたちん神聖なる祈りっさ、あまねく地上の河童をも見守りくださる主の導きにお応えせんとならん」
急にカッパに似つかわしくないことを言い始めた。「導きってやつ詳しく教えてほしいな」
「それは、こん、おクエが御告げば聴いたとげな。な」
ふん、と女っぽいカッパが頷いた。
「ヒトに追われて夜の山に入って、横穴で一晩過ごしとったわけ。そしたら奥で火の燃えよって、なんなん?って近寄ってみたら立派な体躯の牛頭天王が居らして、今まで河童を観とらした牛頭天王も主の仮の御姿でらっしゃること、切支丹を害するものたちに屈せず立ち向かうよう啓示を授けてくだすったとです」
「クロスさん、ゴズテンノウて」
「牛の頭って書いてゴズだよ……」
「あの、それって」
そういう説明をしたということは、同じようなことに思い当たっているのだろうが、
「まだ泳がせとこう」
ややこしい時なのでいいだろう。
「そういやあんたはよく見ると南蛮人やないか?宣教師様か何かか?」
カッパたちが私を見る。インパクトと体が大きいやつらのせいでこのイニシアチブ発揮が遅れたのは惜しい。
「いかにも!私はイエスズ会修道士ヨハネス、この地の人々とカッパ方のために主の愛を届けに来ました」
クロスが物言いたげな目で見ている。犬の表情は結構分かりやすいのだから乗ってほしい。
「ああ憐れな子羊カッパたち、よく聞いてください、我らの主は生贄を嫌う。異教徒であれ血肉を捧げてはなりません」
「本当のことしか言ってないな」
「本当のことしか言ってないでしょ」
狼とふたりで頷きながら話す。
「でもさ、生贄ってつもりじゃなかし、必要な犠牲っていうか、寺焼いたら死人もでらぁな」
「そ・こ・で、こちらでね、やろうじゃないかと。火の手は上げて切支丹見縊んなと言いつつ、なんかうまいことやるから」
カッパは訝しんでいる。「うまいことってどう」
「やるから。うまいこと」
狼もしらっとした目で見てくる。先ほどから味方なのに視線が冷たい。
「焼いてはならぬとは言いませんが、いまは見ていて。そのうちにマリア様がやって来ます。それまで来る主の遣いは誘惑の試練です、心の内で強く信じて今は一旦寺を焼くのをやめて」
それまで来る主の遣いは誘惑の試練です(私を含む)。
まだ困惑しているカッパをまあまあと曖昧に、しかし自信満々にいなして。
「いいからとっとと帰るがいい、さもなくばお前らの皿を俺が噛み砕くか、蟹が殴るかする」
あまり鳴かない狼が吠えるとカッパはしんと静まり返って、もう一度吠えるのと一緒に散り去ってしまった。
「お前、交渉に向かないな」
クロスは痺れを切らしていたらしい。カッパが去ってすっきりしたところで、蟹と向き合う。
「結局待っててくれたねえ」
「河童が寺を焼くことを止めるにあっては私も目的は同じ、邪魔立てするまでもないと思い直して見ていたのだ」
そうなのだ。それは一致しているのだ。
「先にあんたと話し合ってから時間遡行すればよかったのだ」
「話し合いか。魔性の貴様らと通じ合うとは思えぬがな」
言うなり蟹が水平方向に走る。サイドステップを踏むとは思っていなかった私たちは出遅れた。
「離れる!」
「何したら」
「掴まって適当に何かやれ!」
完全に巨大な狼であるところのクロスが慌てて駆けて、私も首に掴まりながら適当にやる。
「矢より疾い、風より疾い、思想より疾い」
僅かに速まった狼が駆けたあとに、木が倒れてくる。蟹が素早く横移動して叩き折った木である。
「やり返せば?得意だろ木を折るの」
「あの蟹、横走りも叩き折るのも早いぞ」
蟹だから横方向に強いのだ、盲点だった。そして大した時もなく大木を折るほどの爪の威力。
「近寄りたくねえ」
「狙撃したら、もっと離れて」
「いま、四つ足から……戻れなくて……」
狼男のガンマンの脆弱性が致命的すぎる。根本的に性能が噛み合っていない。S&WM500にこだわっている場合か。
毛皮の奥に引っ込んでいるベルト辺りを探って、噂の大口径を探り当てる。
「厳しいだろ」
「俺とて人外だぞ、たかが人間基準の最強の拳銃とかなんとか」
ただ、脱臼でもなんでもやっていいとして、当たらないことには。そしてただでさえ反動が強いのに素早い横移動の蟹に当てられるかといえば、自信はないが一発やってみよう。
蟹は私たちが距離をあけるつもりと見るや、横走りで真っ直ぐ追ってきて異常な速度で距離が詰まっていく。命中精度が低い拳銃を撃つなら今とも言う。両足と尾で狼にしがみついて両手で構えて引き金を引く。案の定全く抑え込めず、反射的に力を逸らしてしまい、銃弾は予定よりも上を抜けていき。
「あーあ!」
「ノーコンじゃねえか」
豪快な音だけ残して蟹は無傷で引き続き突進してくる。コントロールどころではない。慌てて手で三角形を作る、火を表す仕込みの魔術式だ。
即座に熱が集まり火が眼前を漂う。さらに集めて押し出す、ファイア・ボールだ。早い段階で蟹はファイア・ボールを見切り飛び退いて、また距離が開いた。
「最初からこれでよかった」
「おい、あっち火が」
「あっち?」
言われて振り返ると、少し離れたところで黒煙が上がっている。
「え、カッパか?」
「どうだか。蟹坊主、休戦だ!」
「異議なし」
蟹も素直に同意して煙の方へ向かう。私たちにしろ蟹にしろ時間遡行者としてはもう一度やり直すことになるのだろうが、何が起きているかは確認しなければ。
***
煙の元を辿るとやはり寺であろう建物から火の手が上がっている。それ以前に、人々が右往左往、逃げているのも追っているのも人間。
「人間だな」
「カッパおらん」
私と狼と蟹は顔を見合わせた。
「えと、カッパが放火しない場合は人間が放火してしまう仕組み?」
「仕組みというか、そもそも河童がやりおおせる方がイレギュラーなのかもしれないな。似た世界はいくらもあるが……」
結局人間が焼いてしまうとは、何か虚しい心地になる。
「あんたはどうする」
「始めたからには止めたいのは山々ではあるが」
やはり蟹から表情は読み取れないが苦渋の決断をしているようだ。
「河童を止めたとて人が焼く、そうでなければ貴様らだろう。この因果は蟹ひとりの手に負えぬものやもしれん」
そして魔界の我々としては迷惑をかけてこないなら別に人間に干渉する理由はない。
「帰るか……」
誰ともなく呟いて、帰った。
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