一冊しかない図書館

にとはるいち

一冊しかない図書館

 リョウタは道に迷っていた。人生や進路においてといった意味ではない。実際的な問題だ。


 登山は何度か経験していたが、一人で来るのは初めてだった。それがマズかった。

 

 リョウタは好奇心に勝てず、正規のルートではない脇道に入ってしまった。


「はあ、参ったな……。こんなことなら、本来のルートから外れるんじゃなかった……」


 彼はため息まじりに道をさまよっていた。

 しかし、鬱蒼とした木々が立ち並ぶ道をしばらく行くと、舗装された道路に出た。


「やった! この道路に沿って行けば、人に会えるはず……!」


 リョウタはしばらく道路を進むと、道路沿いに大きな施設があるのを見つけた。


「施設だ……人がいるといいんだが」


 施設の看板には『あなたの図書館』と書かれている。


「こんな山奥に図書館があるのか……?」


 リョウタは不審に思いながらも、図書館の扉を開けて中に入った。


「すみませーん! 誰かいませんかー!」


 リョウタは声をかけたが、返事はない。

 彼は図書館の中を歩き回ってみたものの、人は見つからなかった。


 そのうちリョウタは、ある不思議なことに気づいた。

 それは、図書館だというのに、どの本棚にも本が一冊も入っていないのである。


 彼は、ここはもう廃墟なのだろうかと一瞬思ったが、電気も点いているし、中は清潔で整っており、そのようには見えない。


「改装中とかなのかな……?」


 さらに歩き回ったリョウタだが、そんな中で、あるものを見つける。


「一冊だけ、ある……」


 それは、図書館の中央の長机に置いてあった。一冊の本だった。


 表紙に題名はない。黒く、擦れた革表紙。

 本の真ん中あたりのページを開くと、妙に読みやすい文字が並んでいた。


―――――――――――――――――

「リョウタはその日、図書館に足を踏み入れた。

 それが彼にとって、はじまりであり、終わりでもあった。」

―――――――――――――――――


「何だこれは……? 俺の名前が書いてあるぞ」


 リョウタは不審に思いながら、数ページめくってみた。


―――――――――――――――――

「彼は本をめくる手を止められず、

 次に何が起きるのかを知りたがった。」

―――――――――――――――――


 彼は驚いて本から離れた。

 何かのいたずらだろうかと思い、誰かが影からこっそり自分のことを見ているのではないかと周囲を見回したが、誰もいない。


 リョウタは不気味に思ったが、好奇心に勝てず、本を最初のページから読んでみることにした。


―――――――――――――――――

「19XX年12月10日

 高宮リョウタは東京都○○区で生まれる。」

―――――――――――――――――


「まさに俺のことじゃないか……!?」


 リョウタの生誕について書いてあった。リョウタはさらに、ページをめくっていった。


 めくるほどに、そこには自分の人生が書かれていた。子供のころの些細な出来事。誰にも話していない後悔。忘れかけていた初恋の人の名前……。


 そして、今まさに起きていることまで、まるで実況するように文字になっていく。


―――――――――――――――――

「彼は本をめくる手を止められず、

 次に何が起きるのかを知りたがった。」

―――――――――――――――――


 先ほど見たページまでたどり着いた。リョウタはさらに続きを知りたがった。

 そこには、未来の出来事が記載されていた。

 失恋。出会い。結婚。昇進。老い。病。そして最後の行。


―――――――――――――――――

「リョウタは、本の最終ページを読み終えると、

 その場でページの中に吸い込まれる。

―――――――――――――――――


 その文字を読んだ瞬間、手が震えた。ページを閉じ、辺りを見渡す。外に出ようと扉を開ける。

 ――そこには、また同じ図書館があった。


 まるで無限に反射する鏡のように、図書館が連なっていた。外などなかった。


「なんてことだ……一体何が起きているんだ……!」


リョウタは仕方なく長机に戻り、本を開くと、次の行が現れていた。


―――――――――――――――――

「リョウタは図書館を出ようとしたが、

 そこには図書館しか存在しなかった。」

―――――――――――――――――


「そんな、バカな……」


 逃げられないと本に書かれた以上、逃げることはできない。


 リョウタは怒りと恐怖に任せ、そのページを破り捨てた。

 しかし、たちまち本からページが再生され、元通りになった。


 さらに彼は、持っていたライターで本に火をつけた。

 しかし、本はまったく燃えず、火は消えた。


「こんな……こんなバカな話があるかよ……!」


 叫んだ声は、本の中に吸い込まれたように、どこにも響かなかった。

 ページを破っても、火をつけても、本は元に戻る。

 書かれたとおりにしか、動けない。それが、この本の、いや、この世界のルールらしかった。


 だが、ふとした瞬間、リョウタは気づく。

 まだ書かれていない最後のページが一枚だけ、白紙のまま残っていることに。


「そうだ、もしかしたら……!」


 彼は長机に置いてあったボールペンを手に取って、自分で一文を書き加えた。


―――――――――――――――――

「リョウタは本を閉じ、図書館を出た。

 そして、誰にも記述されない人生を生き続けた。」

―――――――――――――――――


 書き終えたとたん、本がふっと閉じた。

 図書館の扉が、キー……と音を立てて、開いた。


 扉の奥は、まばゆい光に包まれている。

 リョウタは走って光の中に飛び込んだ。


 光の先は、彼がよく知っている駅前の街並みだった。周囲には大勢の人が歩いている。後ろを振り向いても、図書館は存在していない。


「なんだ、駅前じゃないか。でもとにかく、助かった……」


 リョウタは一歩、足を踏み出した。その時、あることに気づいた。

 自分の足が、地面に影を落としていないのである。


「あれ? どういうことだ」


 足元を見ていると、歩いてきた人にぶつかりそうになる。


「あっ、すみませ……」


 しかし、リョウタはぶつかりそうになった人の体をすり抜けてしまった。


「……!」


 さらに大勢の群衆がこちらに歩いてきたが、同様に、彼はすり抜けてしまった。

 そして、誰も彼のことを気にも留めていない。


「そんな……どうなってる!?」


 彼は、誰にも触れられない。彼の声は誰にも届かない。


―――――――――――――――――

「リョウタは本を閉じ、図書館を出た。

 そして、誰にも記述されない人生を生き続けた。」

―――――――――――――――――


 誰にも記述されない人生――それは、存在しないも同義だった。

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