ひとり暮らし
成阿 悟
ひとり暮らし
「ただいまぁ」
誰もいない部屋に向かって、そう声をかけるのが習慣になっている。
軽量鉄骨の2階建てアパート、その2階の階の角部屋。
引っ越してきて、まだひと月も経っていない。
1LDKの室内は、充分すぎる広さ。
リビングには、32型のテレビと円形のローテーブル、それにソファ。
隅の壁際には観葉植物。
仕切りを隔てた寝室には、シングルベッドと姿見。
そして窓際にはパステルブルーのカーテン。
クローゼットは思ったより奥行きがあって、洋服を季節ごとに分けて吊るしている。
午後10時。
コンビニの袋をテーブルに置くと、見栄で買ったブランドバッグを床に投げ出し、息をついた。
連日の残業で、足も腰も重い。
スマートフォンを取り出し、ロックを解除。
SNSを開く。
同期は温泉旅行。
大学の友人は婚約。
中学の同級生は赤ちゃんの動画を毎日アップしてる。
それに比べて私ときたら、今日も1日中、職場で数字と上司の顔色ばかり。
「あーあ、私って、何が楽しくて生きてるんだろ」
つぶやきは、空気の中にしずんでいった。
お風呂の準備を済ませ、温めた鶏そぼろ弁当を頬張りながら、明日の会議資料のことをぼんやり考える。
だけど、頭の片隅にはどうしようもない焦りがあって、
画面の向こうで楽しそうに笑う同期や友人たちのことを思い出しては、胸がひりりと痛んだ。
コンビニ弁当を食べ終えると、リビングの明かりを落とし、服を脱いだ。
浴室のドアを開けると、暖かい湯気が肌を撫でる。
体を洗ってから、ゆっくりと湯に沈んだ。
肩まで浸かると、全身がふわっとほどけていく感じがした。
天井を仰ぎながら、息を吐く。
ほとんど誰とも喋らなかった一日の終わり。
それでも、湯の温かさだけは平等に与えられる。
ぽちゃん、と右手を軽く動かして、湯面に小さな波を立てる。
そのさざ波が浴室の壁にゆらゆらと映って、まるで見えない何かが静かに呼吸しているようで、時間も空間もぼんやりと溶けていく感じがした。
お風呂から上がると、髪を乾かすのもそこそこにベッドへ潜り込んだ。
カーテンの隙間から月が見える。
ひとり暮らしは静かで、少しだけ寂しい――。
だけど、ようやく自分の場所を持てた気がして、嫌いじゃなかった。
明かりを消すと、すぐに意識が遠のいていった――。
スマホのバイブで目を覚ました。
午前3時。
ゆっくりと起き出して、大きな音を立てないようにクローゼットを開ける。
手早くいつものルーティンを済ませると、玄関を出て鍵を閉める。
夜の外は肌寒かった。
階段を下り、舗道に出る。
アスファルトには昨夜の雨の名残がまだ濡れた筋を残していて、月の光がそれを細く照らしている。
この時間は、誰ともすれ違わない。
コンビニで、湯気の立つケースを覗き込んで、ちくわと大根を選ぶ。
レジ上の蛍光灯が、おでんのつゆに白く反射していた。
帰り道、レジ袋を提げて歩く。
横断歩道の白線が、まるで切り絵のようにくっきりと浮かび上がっている。
街路樹の影が歩道に黒く落ちて、風が吹くたびに形を変えた。
アパートに着くと、部屋の鍵を差し間違えて、思わず苦笑いする。
もう三度目だ。
改めて正しい鍵を使って部屋に入り、レジ袋をテーブルに置く。
そのまま床に座って、ノートPCを起動する。
ファイル内容を確認してから、タイトル、タグ、サムネイルも設定して、投稿ボタンを押す。
いつもの作業。
静かな夜のルーティン。
PCのファンが止まり、部屋がしんとする。
ゆっくりと床に横になり、真白い天井をじっと見つめる。
「この部屋の真上で――奈緒ちゃんは、なーんにも知らないでぐっすり眠ってる……」
ひとり暮らし 成阿 悟 @Naria_Satoru
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