台詞に方言を取り入れると物語に奥行きが出る《後編》

 台詞に方言を取り入れると、登場人物の背景を冗長することなく描写することが可能になり、物語にも臨場感と奥行きが出る、というのが前回のお話。

 さて《後編》の今回は、方言を調べているうちに執筆の勢いが削がれるのは嫌だから勢いを殺さずに使える方言を探した、の続きです。



 東京で生まれ、育ちもほぼ東京という自分が思いついたのが「下町言葉」。下町言葉というのは江戸の下町(時代によって範囲が変わる)で使われていた言葉の名残なんですね。俗にいう「べらんめぇ口調」です。

 実は亡父が生粋の下町生まれ下町育ちでして、典型的な「下町っ子」でした(私は違います)。


 余談ですが、東京生まれなら誰しも江戸っ子、というわけではありません。昔は三代続いたら「江戸っ子」なんて言われていましたが、今は時代が下っているので四代続かないとダメかな? つまり遡ったときに、ご先祖様が江戸時代に江戸に住んでいた、というのが「江戸っ子」のスペックとなります。慶應ボーイみたいなもんですね。幼稚舎から大学まで慶應義塾に在学していた方でなければ「慶應ボーイ」と呼んではいけません。


 話を戻します。下町言葉を知るには下町気質も知っておかねばならないでしょう。

 これはあくまでも亡父の例であって、すべての下町っ子にあてはまるわけではないことをご承知おきください。


 亡父はお洒落な人で人当たりが良く、内外問わず普段は紳士的な口調で話していました。が、導火線に火が点くと途端にべらんめぇ親父に変貌。

 道で見ず知らずの他人とすれ違うとき肩がちょっと触れただけで……まぁ、あれだ、「火事と喧嘩は江戸の華」を地で行ったような人ですよ。

 火事と言えば、近所で小火ぼやがあったときももき腹巻姿(バカボンのパパのあれ)のままですっ飛んでって、その後ろを母がズボン持って追いかけてったことがあったっけ。コントではありません。

 ああ、祭りも大好きでしたね。これは私が赤ん坊の頃の話ですが、姉(当時小1くらい)が巻き添え食らいました。姉を連れて近所の祭りへ出かけた父は、櫓で太鼓を叩いている人に向かって「このヘタクソ野郎! 俺に貸してみやがれ!」と強引に撥を奪い取り、自分が太鼓を叩きはじめたという信じがたい行動に。

 祭りに同行していた姉が一人で帰宅したものだから、当然母は大激怒。父は、姉がいないことに気づいて血相変えてすっ飛んで帰ってきたそうですが、後の祭り。ダジャレではありません。実話です。ちなみに場所は下町ではありません。山の手にもかかわらず……。

 漫画やドラマの中だけの話だと思うでしょう? 昔は実際にいたんです、そういう人が。少なくとも我が家には。令和の今では絶対やっちゃダメなやつですが。

 

 てな具体例が身近にいたせい……お陰で、べらんめぇ言葉なら執筆の勢いを殺さずにサクサク書ける!と思ったのです。実際「し」と「ひ」の区別がつかない家庭環境で育ってますから。嘘じゃありません。真面目に布団は「引く」ものだと信じておりました。


 このような経緯で書こうっと思いついたのが『制外者にんがいもの~燃えてなお尽きぬ想い~』なのですよ。

 これは明治初期の制外者(被差別民など)を題材に、川越(埼玉県)の架空の遊郭を舞台として恋愛中心に群像劇・人間模様・家族愛の悲喜こもごもを描いた長編小説です。ここでべらんめぇ口調がこれでもかっつうくらい飛び交うんですね。ちなみに遊女の話はほとんどありません。

 え、なんで舞台が川越なのにべらんめぇ?

 これの答えは『制外者』第24話「迷い」の作中にあるのですが、カクヨムさんではほとんど読まれていないのでご存じないでしょう。なろうさんをご覧の方がいらしたら覚えてらっしゃるかな?程度の説明なのですが。

 

 あくまでも一説によると、です。

 以下、『制外者』本文より抜粋します。主人公の親友(川越生まれ川越育ち)が三河国の赤坂宿に滞在中、飯盛めしもりおんなと会話を交わす場面です。

 


〈「おまんの言葉、江戸っ子の真似だら」

 (中略)

「真似したのは江戸の奴らだ。おめぇらの言うべらんめぇ言葉ってなぁ元々川越の職人が使ってた言葉なんだぜ。よーく覚えときな」

 徳川家康が豊臣秀吉に江戸への転封を命じられた頃、江戸は荒野と湿地帯が広がる未開の地であった。それを一大都市とするべく、近郊から大工や土木関係の職人が集められた。その中にいた川越の職人が使っていた言葉を、江戸の者たちがカッコイイと憧れ、真似をしたのがいわゆる「べらんめぇ言葉」につながったと云われる。〉



 方言ってね、調べると奥が深いんですよ。本作には実在の紀州藩士や土佐藩士もちょこっとだけ登場するので少々調べてみました。紀州弁は敬語がないとか、紀北と紀南でも違いはあるし、大阪とは山を隔てているから似ているようで異なる等々。

 ほぉ~。紀州藩は徳川御三家だからお高くとまっていたのかどうかはわかりませんが、逆に考えれば、言葉で上下関係を決めつけない、とも受け取れます。違ってたらごめんなさい。


 まぁ確かに、山とか川を隔てるとまったく別の文化が形成されていたりするもんなぁ。五街道で言葉も運ばれてハイブリッド方言が出来上がったり……なんて調べれば調べるほど興味が尽きません。

 

 ああ、また本題から逸れちゃった。


【補足】

 亡父の名誉のために申し上げておきますが、家では昔の文豪みたいな着物姿で煙管咥えてました。四六時中バカボンのパパみたいな格好をしていたわけではありません。暑いときだけです。だから夏は……。

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言葉のブレス~書くことに疲れたら~ 阿羅田しい @sea_arata

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