本作を読んで学べるものは極めて多いです。
テンプレの良さが分からない私たちは、その第一歩からかん違いしているのです。
「テンプレって、
ナーロッパで、
剣と魔法で、
冒険者ギルドで、
女神と異世界転生で、
チートとスキルとステータスで、
ゴブリンとドラゴンと魔王が出てくるんでしょ?」
と。
そしてそんな作品をまねして書いてみて、人気が出ないで首をかしげるのでしょう。
自分が、テンプレの何たるかを何も分かっていないことを知らずに。
テンプレとは、常軌を逸するほどに「読者に快楽を与える」ことに特化した文章のスタイルです。
テンプレの前には、小説を書くための講座で講師が教える「必要最低限の要素」がすべて不要です。
・魅力的な世界観
・魅力的な主人公
・魅力的な悪役
全部いりません。不要です。邪魔です。
何の邪魔? 読者が気持ちよくなるために邪魔なのです。
このことを、本作は非常に分かりやすく伝えています。
まさに目からうろこ。
なぜ「テンプレをなぞってみても人気が出ない」のかがこれを読めばわかります。
特にすばらしいと思ったのはこの一文です。
◆
読者は承認欲、支配欲、性欲、自己顕示欲に飢えている。
だが、同時に■■■■■も好きである。
◆
ここはぜひ皆さん読んでください。
例えば私が「読者は承認欲、支配欲、性欲、自己顕示欲に飢えている」と思い、それを満たせる主人公の物語を書いたとしましょう。
感想欄にはこう書かれるに違いありません。
「主人公が不快でもう読まない」
「下品な欲望丸出しで読んでいてイライラする」
「悪役と主人公のやってることが同レベルで偽善者だと思う」
「あれ? なんで? なんで読者の欲求を満たすものを書いたのに!?」と私は頭を抱えるでしょう。
なぜだめなのか?
それは読者が欲しがる、■■■■■を無視しているからです。
■■■■■に当てはまる文字が何なのか。
是非お読みください。
テンプレはキモいかもしれません。
けれども、これを読めばもしかしたら――
読めば納得するしかない論説。まずはお読みになって欲しい。
多くのWEB小説の読者は、単なるお気軽快楽供給装置としてのWEB小説を求めている。その装置としてはナーロッパ舞台のテンプレ作品がベストらしい。
でも多くの書き手(と一部の書き手よりの読者)は単なるお気軽快楽供給装置には満足できない。それ以上のものを求める。例えば「努力・友情・勝利」だったり「知恵と勇気の冒険」だったり「主人公の成長」だったり「困難を乗り越えて結ばれる愛」だ。魅力的なキャラや、豊かな文章表現力や、胸躍るストーリーだ。
多くの読み手のニーズと多くの書き手のニーズが乖離している。求めているものが違えば、お互いに評価も異なってあたりまえ。だから書き手は読み手のニーズがキモいとすら思えるほどに気に入らない。
ならば結局書き手としては作品の対象をはっきりさせなければならない。圧倒的多数の読者がどうしても欲しいなら、そのキモいニーズに応えざるを得ない。そうじゃないなら、キモいのが嫌なら、自分が本当に面白い作品を書けばいいじゃないか。ワタクシはそう思う。
パイの大きさが桁違いだから、自分の作品とテンプレ作品の読者数と比べても仕方がない。
まあ、どちらもインドの人口と比べたらあまりにも小さいのだけどね。
言いきっちゃったよ。
いやはや、クソほど笑いました。
「テンプレ好きな読者」像、身も蓋もない程にカスですね……。
それを実に論理的にズバズバ指摘しておられますが、そんなに切り刻んじゃって大丈夫なのかと少し不安にもなります。
まあいいか、どうせそういうそうの読者は本作を読むわけないですし。
一方、テンプレに対し「キモい」と嫌悪感を感じている層は「書き手」としての視点も持っており、またある程度成熟した価値観を持っているのだろうな、とも。
自分はそういった層の方とそこそこ触れ合う機会があったため、彼らがどのような作品を好むのかの傾向もある程度把握しているのですが……いやぁ、本当に上記の読者像と真逆、全然被らない!
こりゃ互いの間にギャップが生まれるのは当然です。
成層圏とマリアナ海溝くらい差があります。
ですが、最終的に「テンプレへの不快感」を生んでいるのは、対象読者の醜悪さよりも、「そういった作品が評価されるという現実、及びそういう環境」にあると切り込んだ上で、不満を感じている書き手側に警鐘を鳴らしている点は、実に鋭い。
ここから得られた知見は、書き手としてやっていくのであれば、常に頭の中に入れておくべきですね。
テンプレ作品に抵抗がある人こそお目通ししてほしいですし、この作品を通じて今一度自身を顧みてほしいです。
少なくとも自分は、作品の書き手としてどのようなスタンスで作品を書いていくのかを改めて問うことができる、よい機会になりました。