情焔の丘

武江成緒

情焔の丘




 幽霊というものは、寂しく暗い闇のなかに現れると言われます。

 けれども僕がふたたびあの人のすがたを見いだした場所は、燃えさかるような夕日の照らす、花の咲き誇る中でした。






 あの年はひどく暑くて、彼岸がせまる頃となっても、陽光は肌をき、汗をにじませるのでした。


 丘をのぼる道はか細く、にあぶられて色あせた草にうずもれ、その草どものいまだ放つは、いやに湿って生あたたかく。


 むわりと顔へ吹きよせるそのにおいは、どこかしらえたような、あるいは生ぐさいような、それでいて、ほんのかすかに甘ったるくもあるようで。

 陽ざしと汗とに蒸された肌に、ぞわりと不吉なざわめきを走らせるものでした。




 そのたびに、脳裏によぎるものと言えば。


 風もろくろく通らない、あの白々しい壁にかこまれた病室の、古めかしい寝台のうえに横たわるさんの姿であり。


 あるいはまた、いやに寂しい葬儀の間をさらに寒ざむ沈ませる鎮魂歌を吐き出しているらっのような、弔花の百合の薫りでした。






 ――― 私とあなたはまた出会うのよ。



 あの温もりもやわらかさも失って、つめたく痩せた手をにぎり、えいけつをこばみ情けなくも嘆かずにはいられなかった僕の肩に、夏奈子さんは、そっと言葉をかけてくれました。



 ――― いいえ。再会する場所は冥府なんかではないわ。

    くらかくなんかで会っても、そんなのまらないじゃないの。


 ――― この定めを乗りこえてふたたびまみえる場所だもの。

    もっと明るくて、もっと華やかで、そう、燃えあがるような所でまた、いっしょに歩くのがいいでしょう。




 そんな夢のようなことを夢見るように語っていた声もまた、日を経るにつれ、こわばって冷えてゆき。



 ――― 場所のヒント ――― 《情熱の丘》。



 最期の最後、かすれた声で、けれどはっきりとささやいたのです。






 その末期の手がかりを解き明かすことに、それからは時間のすべてを費やしました。


 彼女がまだ歩けたころに、二人あゆんだ場所を、一つ、また一つ、思い返し。

 図書室へこもり、詩歌、歴史、心理、医学、ありとあらゆる書にあたり。

 呆れ顔、いえ、恐怖を面に浮かべられても構うことなく人に尋ね。

 考察を書き重ねた帳面ノートはほどなく、すべてのページが真っ黒となりました。


 彼女とふたたび見える場所。そんな奇跡のかいこうの機会はおそらく時節もいたく限られた、きっとただの一度きり。


 そう考えたがゆえに、慎重に熟慮をかさね、推論を幾度もかさねて捏ねなおし。

 けれどそれでも、彼女が遺したヒントの意味は、彼女が僕を待つであろうその場所は、焦れど悩めどいっこう見えず。




 新緑の若葉をじとりと梅雨がぬらし、鉛色の曇天が暑い青空に逐われ、ぬるい空気に蒸された蝉がけたたましく歌うころ。

 知恵の搾りきられた頭を揺らしつ、晩蝉ひぐらしゆうぐれうたにさそわれて、ふらふらおもてへさまよい出て。

 家々の門に迎え提灯を見ては、はや盆の時期が来ていたかと、かされるようにあてどもないまま足は早まり。


 いつのまにか、たどり着いたのは町はずれ。

 おいしげる草にうずもれた十坪たらずのささやかな墓場。

 路傍の石と見まがいそうな灰色の小さな墓石のその前に緑色の線香が刺さり、その先端に紅い火が咲いているのが目にはいったとき。


 まだ幼きころ、あの人に抱く想いが焔をあげて燃えあがる前のこと。

 初秋のあの日、双方の家族とともに上りつめた丘のうえに赤くひろがっていた光景が、まぶたの裏へと蘇ってきたのでした。






 時計がさすのは午後六時。

 丘の頂きに着いたとき、目の前には、幼きあの日の眺めにも増して鮮烈に輝きをはなつ光景が、見わたすかぎりに燃えさかっていたのです。


 黄昏にあかける天へと、我先に舌をのばしてあかく咲きほこる焔たち。

 まんじゅしゃ、または彼岸花。

 秋の彼岸に咲くその花の、ちろちろ映える花弁としべとが夕焼けの陽を照り返して、野の一面に燃え広がっておりました。


 情熱の丘。

 あの盆の夕方に、この光景を思い出し、飛んで帰って開いた書には。

 秋の彼岸に咲くこの花の花言葉は《情熱》であると、そう、記されていたのでした。




 その真ん中に、あの人が立っていました。

 朱い夕日に照り焼かれて、紅い華にあぶられて。


 つややかに黒かった髪は、焔さながらに燃えあがり。

 白くみずみずしかったはだは、輝くように熱されて。


 そして、最期のときまで穏やかな光をたたえていたまなこからは、今や、ここから遠く見ているだけでも肌が焦げそうな熱情が燃えて盛っているのでした。


 それでも僕はじりじりと、あの人のほうへ引かれていって。

 なぜならその頃にはすでに、あの赤い糸のような彼岸花のしべどもが、十重とえ二十重はたえに絡みついていて。


 あぁ ――― という吐息を末期に、僕はあの人へ、燃えて渦まく赤い中へと呑みこまれていったのでした。






 幽霊というものは、寂しく暗い闇のなかに現れると言われます。

 けれども僕があの人の情念に呑まれた場所は、燃えさかるような夕日の照らす、花の咲き誇る中でした。




《了》

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情焔の丘 武江成緒 @kamorun2018

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