短編小説『がじゅ丸、まるくなる』(mum colors 外伝)

Aya*mumcolors*puppy

短編小説 『がじゅ丸、まるくなる』(mum colors 外伝)

ぼくの名前は、がじゅ丸。

あの子が、そう呼んでくれた。


はじめてこの家に来た日のことは、ちゃんと覚えてる。

まだ小さくて、兄弟たちといっしょに丸まっていた、あったかい日。

でも、ぼくはちょっとだけ離れたところで、一人ぼっちで丸まってた。


そんなとき——

あの子が、ぼくを見つけて、じっと見てたんだ。


「……この子がいい」

そう言って、両手でやさしく持ち上げてくれた。


ダンボールの中で揺られて、ちょっとだけ怖かったけど、

新しいおうちについたとき、穴のすきまから見えたんだ。


あの子が、何かを一生けんめいに組み立てていた。


「できた……!」


ケージの中には、水のみ場、回し車、ハムスターフードと、ひまわりの種。

その全部が、ぼくのために、きちんと並べられていた。


——探検したよ。

すみからすみまで、鼻をひくひくさせながら。


足もとには、ふわふわした木くずのベッドみたいな床が広がってた。

角に顔をうずめると、なんだか落ち着く匂いがした。

……ここは、安心できる家だって、すぐにわかった。



最初はね、あの子の手がすこしこわかったんだ。

大きくて、ぬくもりがあって、でもまだなにをされるか分からなかった。


けど、その手は、ぼくをぎゅっと握ったりはしなかった。

そっと撫でてくれて、おいしいおやつもくれた。

ひまわりの種だけじゃない、りんごのかけら、にんじんの角切り。

日にちが経つにつれて、ぼくのごはんは“あの子の気持ち”になっていった。


毎日は、おなじようで、少しずつちがった。

ある日は、手作りのブロック迷路で、ゴールを目指した。

ある日は、あの子のつけた音楽を聞きながら、うとうと昼寝をした。


そのぜんぶが、しあわせな日々だった。


……でも、あるときから、ちょっとだけ、体が重たくなった。

うまく走れない。ジャンプもできない。

おなかのあたりに、変なしこりができていた。



……そして、ぼくの“いつも通り”は、すこしずつ、変わりはじめた。


名前のないまま、でも気づいたら、

その子は、ぼくのいちばん近くにいる“この子”になっていた。


ある日、この子が小さなコップを持ってきた。

「がじゅ丸、これが飲めたら……よくなるかもしれないって」


ちょっと苦いけど、そのあとで、この子はこう言った。


「元気になったら、一緒にミックスジュース飲みに行こう。駅前の喫茶店のやつ、すごくおいしいんだって」


ジュースってなんだろう。のめるのかな。

わからないけど、この子の声が、ほんのすこしはしゃいでるのがわかった。

だからぼくは、苦い水をぺろっとなめてみせた。


この子の目が、ちょっとだけゆるんだ。

やっぱり、わかるんだよ。いつも。

——ちゃんと、ぼくの“がんばったよ”が届いたこと。


その日から、朝と夜には、苦い水。

この子は、毎回ぼくのとなりで見守ってくれる。

まるで、ぼくより苦しそうに顔をゆがめて。



夜中、この子の声がきこえた。


「……がじゅ丸、ほんとうは、治らないって。お医者さんが言ってた」

「ぼく、きみに無理ばっかりさせてるのかもしれない……」


声はふるえていた。何かを、こらえるように。


「……きみのためじゃなくて、ぼくのためになってるのかな……」


わからないことば。でも、この子がぼくを思ってることだけは、ちゃんと伝わる。


だからぼくは、できるだけ目を見て、まばたきした。

「まだここにいるよ」って。


──そして、ある夜のこと。


この子は、いつもの苦い水を持ってこなかった。

かわりに、小さなスプーンと、器を持ってきた。


「バナナと、マンゴーと、いちごと……ヤギミルクで作ったんだ」

「がじゅ丸のための、特製ミックスジュース」


声がふるえていた。手も、少し。


「苦いの、もうやめよう」

「きみに、おいしいって、思ってもらえるものを……あげたいんだ」


やわらかくて、あまくて、ちょっとだけあったかかった。

ぺろりとなめると、この子が静かに泣いた。


「ありがとう、がじゅ丸」

「ずっと、ずっと……大好きだよ」


ぼくは、鼻をすんと鳴らした。

ぜんぶ、ちゃんと、わかってるよ。


だからね。まるくなっても、もういいよね。


……


あさ。


この子が、そっとぼくを抱き上げた。

やさしく、ふとんで包んでくれた。


ケージの中には、ミックスジュースの匂いだけが残っていた。


遠くで鳥が鳴いた。

この子は、ぼくの名前を一度だけ呼んだ。


「……がじゅ丸」


──ぼくは、まるくなった。

それは、ぜったいに、さびしい形じゃなかった。


いまもきっと、この子のなかで、あの味といっしょに残ってる。

あまくて、やさしくて、かなしい、でもしあわせな。


そんな、ぼくのいちにち。


──終わり。



◆あとがき


このお話は、ひとつの小さな命と、それを見守る子どもの日々を描いた短編です。


飼い主の男の子の名前は、物語の中ではあえて語られていません。

けれど、彼のつたない看病や、苦い薬を手渡す手のふるえから、

「たいせつに思っている」気持ちが、静かに伝わってくるように描きました。


“生きてほしい”という願いと、

“つらさを終わらせてあげたい”という願い。

どちらも本物で、どちらも、きっとやさしさです。


最後に登場する“特製ミックスジュース”は、

読んでくださった方のなかで、いつかまた別のかたちで思い出してもらえたら……

そんな想いを込めて描きました。


静かで小さなこの物語が、

あなたの心に、そっと残りますように。


読んでくださって、ありがとうございました。


──Aya(mum colors 外伝・作者)

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