再会

佐津木そら

再会

1


その日は朝から雪が降っていた。

そのせいか、芹菜が働くこの小さな本屋には誰一人お客が来ない。

店番をしているのは芹菜だけで店長の茜さんは休暇を取っている。

がらんとした店内を見ていると気が滅入るし、今日はもう閉めてしまおうか。

そう思って、芹菜は木製の椅子から腰を上げた。

外に出ると冷たい風が芹菜の身体を芯から凍らせた。

もともと人通りが少ないこの通りは、今日はひとっこひとり歩いていない。

「営業中」の看板に積もった雪を払い、裏返す。

芹菜は、店を閉めるときいつも通りの向こう側を見る。

通りを少し行った先には、芹菜が中学高校と通った女子学園がある。

卒業して、上京して、就職して、色々あって戻ってきたこの土地。

あの校舎を見ているとなぜか心が安らいで、芹菜が当時通い詰めていた学園に一番近い書店で働くことにした。

それから毎日、芹菜はあの校舎を眺めている。

雪が降る中、校舎の窓には灯りがともっていた。

ルーティンを終え、満足した芹菜は店の中に戻った。

エプロンを脱ぎ、コートとマフラーを身につけてバックヤードから出ようとしたとき、入り口のドアがガチャリと開く音がした。

どうして。

閉めたはずでは。

そう思いつつバックヤードから出る。

「すみません、今日はもう、」

言いかけた言葉が途中で止まった。

耳鳴りと、眩暈のような感覚。

自分が動揺しているのが分かる。

そこに立っていたのは一人の少女だった。

芹菜がかつて着ていた紺色のジャンバースカートを着て、長い髪を一つにまとめて青い縁の眼鏡をかけている。

特に個性的といというわけでもない見た目だが、芹菜は彼女を一目見てあり得るはずもない結論を導き出していた。

彼女は、中学生の芹菜自身だった。

閉店だと伝えるのも忘れて、芹菜は幼い自分を見つめていた。

眼鏡の奥の瞳はいかにも気が強そうだが心なしか潤んでいて、今にも泣きだしそうな切実な表情だった。

「あの、どうかしましたか。」

声を発したのは幼い芹菜だった。

大人の芹菜は我に返り、

「いえ、なにも!ご自由にご覧ください。」

と不自然なほど明るい声で言って、レジの奥に戻った。

幼い芹菜は文庫本の棚の前で熱心に探し物をしているようだった。

少しだけ冷静さを取り戻した頭で、大人の芹菜は考えた。

胸元のピンバッジの色から察するに、彼女は中学一年生だ。

中学一年生の二月。

何かあったっけ。

そう思ったとき、ふと目鼻立ちがくっきりとした少女の顔が浮かんだ。

畑中美乃里。

芹菜があの学園に通っていたころの友人だった。

美乃里の顔が浮かんだ瞬間、芹菜は思い出の波が押し寄せるような感覚に陥った。


十三年前、一年二組の教室で、芹菜はそわそわと先生が話し始めるのを待っていた。

来月開催される校内スピーチコンテストのクラス代表が今日発表されるのだ。

一人ずつオーディションをして、選ばれた二人がペアを組んで出場する。

芹菜には、自信と「選ばれなければならない」という強迫観念のようなものがあった。

スピーチコンテストに思い入れがあるのではない。

そういう性格なのだ。

「それでは発表します。一年二組の代表は、大橋芹菜さん、畑中美乃里さんです。」

一気に肩の力が抜ける。

選ばれた。

よかった。

拍手が教室を包む中、ふと後方の席の美乃里を振り返る。

美乃里は頬杖をついて気だるげに前を睨んでいた。

少しくらい嬉しそうにすればいいのに、と思う。

美乃里は勉強も運動もできて、おまけにスピーチも上手なのに感情表現が乏しい。

そんな美乃里のことが、芹菜は少し苦手だった。

そうは言っても二人で選ばれたのだから上手くやらないとな。

芹菜は再び肩に力が入るのを感じた。

それからはぶつかり合いの日々だった。

頑固で負けず嫌いの二人だから、無理もない。

スピーチは劇仕立てになっていて、身振り手振りを交えて話さなければならない。

二人は試行錯誤しながら何度も練習を重ねた。

時には互いが大嫌いになるほど言い合いになることもあった。


あの放課後のことは鮮明に思い出せる。

芹菜に対して常に上から目線な物言いをする美乃里に耐え切れなくなって、ついに声を上げてしまったのだ。

「美乃里はさ、私のことなんか考えてないんでしょ。美乃里はペアなんか組まなくて も一人でできるって思ってるんだよね。まあ、実際そうだもんね。」

棘をあえて取り除かずに放り投げた言葉。

ちょっとでも自分の気持ちを理解して欲しかっただけだったのに、美乃里は心底傷ついたような顔をした。

人の傷つく顔は見たくない。

でも、もう後には引けなくなっていた。

「なにその顔。傷ついた?でも、私も美乃里に傷つけられたこと一回とかじゃないし、」

ばこん。

二人だけの教室に、鈍い音が響いた。

美乃里がかカバンを床に叩きつけた音だった。

「私だって、分かってる。」

絞りだされた美乃里の声には、様々な感情がにじみ出ていた。

「人のこと思いやったり、誰かと歩調を合わせるのが、下手なことくらい。自分でもわかってる、から。」

そう言って、美乃里は足早に教室をあとにした。

残された芹菜は、その場にしゃがみこんだ。

なんてこと言っちゃったんだろう、私。

いつまでも座っているわけにもいかず、床に手をついて立ち上がる。

よろけた拍子に、足に何かがあたった。

足元に目をやると、年季の入った文庫本が一冊落ちていた。

普通の小説のようだったが、各ページにたくさんの付箋が張られている。

本を手に取りページをめくると、内側にマジックペンで「畑中」と書かれていた。

さらにめくると、蛍光ペンや赤鉛筆で線を引かれていたり、たくさんの書き込みが目に入った。

内容はスポーツもので、とある部活の絶対的なキャプテンが仲間との関係性に悩んでいるような描写が見られる。

線が引かれているのは主に顧問の先生のセリフや、主人公が様々な出来事から得た学びを端的に述べられているところ。

美乃里はこの本を、教科書のように使っているのだろう。

あるページに、一際太く線を引かれているセリフがあった。

「一人で掴んだ勝利より、仲間と掴んだ勝利のほうが何倍も嬉しいよ。」

ありきたりにも思えるそのセリフの横に、水色の付箋が貼られていた。


『芹菜と二人でスピーチコンテスト優勝』


はね・はらいが強調された美乃里の字。

芹菜は考えるよりも先に走り出していた。

美乃里の本を右手に廊下を駆け抜け、階段を駆け下り、昇降口を飛び出した。

美乃里には会えなかった。

それでも速度を緩めないまま、芹菜は校門から走り出た。

通りを少し行ったところに、小さな本屋があったはずだ。

この本を買おうと思っていた。

この本を読んだら、美乃里の気持ちがわかるかもしれないから。

もうお互いを傷つけずに、手を取り合って優勝を目指したかったから。

本屋の前で足を止め、呼吸を整えてから店内に入ると、そこには生真面目そうな若い女性の店員さんが立っていた。

とても、驚いた表情で。


そこまで思い出して、芹菜ははっとした。

今本棚の前にいる彼女は、あの日の芹菜だ。

急にその小さな背中が愛おしくなる。

あのとき、本気で美乃里のことが知りたいと思ったのだ。

絶対二人でスピーチコンテストで優勝して、本当の友達になりたいと思ったのだ。

目頭が熱くなるのを感じながら彼女を見ていると、幼い芹菜は背伸びをして一冊の本を手に取った。

ぱらぱらとめくってから胸に抱きしめる。

そのままレジに持ってくるので、芹菜慌てて目元を拭い立ち上がった。

「お決まりですか。」

本を受け取り、値段を伝える。

「ブックカバーおつけしましょうか。」

幼い芹菜は少し悩んでから頷いた。

ブックカバーをつけ、おつりと品物を渡すと幼い芹菜は純朴で子供らしい笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。」

軽やかな足取りで店を出ていく幼い芹菜。

おそらくもう二度と会うことのないであろうその背中を見送る。

いってらっしゃい、頑張ってね。

壁につるされたカレンダーを確認すると、スピーチコンテストの日は一週間後に迫っていた。


十三年前、全校生徒が集まっている講堂で芹菜は心臓が飛び出そうなほど胸を高鳴らせていた。

スピーチはうまくいった。

あとは結果を待つだけだ。

校長先生が上手から出てきた。

「皆さんお待たせいたしました。結果発表の時間です。」

講堂が静まり返る。

「中学一年生の部、優勝は二組です。」

大きな拍手が沸き起こった。

隣の美乃里と顔を見合わせる。

驚いた顔が段々と弾けんばかりの笑顔に変わった。

やったね、という言葉を聞いて、芹菜は十三年間の人生の中で一番の喜びを感じた。

美乃里ってこんな顔で笑うんだ。

そう思った。


ひとしきり昔を思い出して、芹菜は美乃里に電話をかけようと思った。

芹菜が地元に戻ってから、美乃里はあまり電話をかけて来なくなった。

美乃里なりに気を使った結果だろう。

彼女は今、東京で芸人のマネージャーをしている。

出ないかも、と思いながら通話ボタンを押す。

意外に三コール目で出た。

「もしもし、芹菜?」

以前と変わらない美乃里の声に、また涙が出そうになる。

何から話せばいいのか分からないまま、芹菜は口を開いた。



深夜零時過ぎ、美乃里は車を走らせていた。

東京の街並みが視界をただ流れていく。

目的地はラジオ局。

助手席に座る理央さんは、最近ブレイクし始めたピン芸人だ。

美乃里は彼女のマネージャーをしている。

ここ一か月の間に、理央さんの仕事は激増した。

バラエティー番組が五本、コマーシャル三本、そして先々週から始まった一時間の深夜ラジオが一枠。

他にも雑誌にコラムが掲載されたり、モデルの仕事が来ることもある。

美乃里より二歳年上の彼女は、突如始まった多忙な生活に弱音一つ吐かずいつも笑顔で仕事に取り組んでいる。

美乃里はそんな彼女を見習って自分もなるべく笑顔でいようと心掛けているのだが、このところ少し気持ちが落ち込んでいる。

考えるのをやめたくてもやめられず、気づけば理央さんの話などうわの空で考え込んでしまうことがよくあった。

「美乃里ちゃん、どうかしたー?」

理央さんが問いかけてくる。

「えっ、いや、どうもしてないです。…すみません、なんでしたっけ。」

また、今日も考え込んでしまっていた。

「全然大丈夫なんだけどさあ。なんか最近ぼーっとしてること多いじゃん。

なんかあったのかなーとは思う。」

理央さんは長い茶髪をかき上げつつ、美乃里の顔を覗き込んだ。

赤信号が二人を照らしている。

「特になんもないですよ。まあ強いて言えば、眠いくらい?でも絶対理央さんのほうが寝不足ですよね。」

美乃里の言葉に、理央さんは豪快に笑う。

「あはは、疲れはお互いトントンでしょ。なんにもないならいいけど、なんかあったら言ってね。」

美乃里は、理央さんの程よい優しさに感謝しつつアクセルを踏んだ。


ラジオの収録が終わり、今度は理央さんを自宅まで送り届けるために彼女の話に相槌を打ちつつ駐車場に向かっている時だった。

美乃里のカバンの中で、着信を知らせるバイブ音が鳴った。

「美乃里ちゃん電話なってる。出ないの?」

理央さんの優しさに本日二度目の感謝をして、スマホを取り出す。

画面に表示された文字は『芹菜』。

緑のボタンをタップする。

「…もしもし。」

少しの沈黙の後、芹菜が言った。

「夜中にごめん。美乃里に伝えておきたいことがあるの。私ね、昨日会社辞めたんだ。」

「えっ」

電話の向こうで、ため息とも深呼吸ともとれる芹菜の息遣いが聞こえた。

「それで…今週中には実家に戻ろうと思ってる。しばらく会えないけど、連絡はするから。」

「うん、」

美乃里は言葉を探した。

あの芹菜が、会社を辞めて実家に帰る。

今考えられる最善の策をとったということだろうが、美乃里の胸には何か重たいものがずっしりとのしかかっていた。

自分は芹菜を助けてあげられなかったという事実で、息がつまった。

「ちゃんと食べて、寝るんだよ。」

なんとかありきたりな言葉を紡ぎだす。

「ありがとう。」

そう言って、電話は切られた。

耳につけた画面を離せないでいると、理央さんが美乃里の顔を覗き込んだ。

「大丈夫?」

「あ、はい。すみません。帰りましょう。」

車に乗って、駐車場を出る。

車が疎らな通りを、理央さんが住むマンションまで走らせた。

赤信号でブレーキを踏むと、途端に沈黙が訪れる。

「理央さん。」

「んー?」

赤信号は青に変わり、美乃里はまたアクセルを踏む。

「さっきの電話、学生の頃からの友達だったんですけど。」

普段は自分の話なんてしないのに、気づけば話し始めていた。


芹菜は中学時代からの親友だった。

中高一貫の女子高に通っていたから、高校も一緒で六年の月日を共に過ごした。

高校を卒業すると、美乃里は東京の大学に進学して、芹菜は県内の大学に進学した。

初めて互いに会えない日々が続き、芹菜から東京で就職するとの連絡がきたときは本当にうれしかったのを覚えている。

芹菜が上京してきてすぐのころは、よく二人で都内を遊び歩いた。

しかし時がたつにつれて、その頻度は少しずつ減っていった。

向こうも忙しいのだろうという気遣いが、連絡すら取らない時間を何週間、何か月と伸ばしていった。

半月ほど前、芹菜から久々に連絡があった。

『忙しいなか、突然の連絡ごめんね。今週の日曜日会えないかな。』

遠慮がちな文章に違和感を覚えた。

以前の芹菜なら、どんな時間に連絡してきても謝ったりしなかった。

それに、芹菜は文にとにかく絵文字を多くつけるタイプだ。

しかしこの日、芹菜からのメールは実に簡素なものだった。

他人が打っているみたいだ、とすら思えた。

連絡から四日がたち、昼下がりのファミレスで二人はおちあった。

見るからに元気のない芹菜と対面して、美乃里は反射的にパフェを注文していた。

パフェが来るのを待つ間、美乃里は普段通りの口調で

「会うの久しぶりだよね。最近どう?」

と言った。

芹菜は机の上で組んだ指先をもぞもぞと動かし、口を開けて、また閉じた。

そうやってひとしきりためらってから、やっと、言った。

「失敗するのが怖い。」

美乃里が何か言うのを待たず、次の言葉を口から吐き出す。

「何もうまくできないの。失敗してばっかり。でも、職場の人たちは誰も怒らない。

みんな優しいんだ。私を傷つけたくないからだよね、きっと。本当はむかついてたり、面倒くさいって思ってるのかな。でも分からないからさ。人の考えてることとか。」

そこまで一息でまくし立ててから、深くため息をついた。

「まあ、失敗ばっかして勝手に疑心暗鬼になってる私が悪いんだけど。ごめんね、こんな話して。」

「いや、いいんだよ。」

気の利いた言葉は何一つかけられないまま、パフェがきた。

ふたつのスプーンがトッピングされたアイスクリームや果物を崩している間、美乃里も芹菜も一切言葉を交わさなかった。

同じパフェを食べているのに、他人のようだった。

他人ならよかったのに、と美乃里は思った。

今日の芹菜は芹菜じゃないみたいだ。

昔から自分に厳しい彼女だけれど、密かに尊敬していたその性質が少しずつ彼女自身を壊していた。

ファミレスを出るとき、芹菜はまた指をもぞもぞと動かして口を開いた。

「パフェありがとう。あと、今日はいろいろごめんね。」

美乃里は口角に力を入れて、できる限りの笑顔をつくった。

「大丈夫。」

ややつっけんどんに響いた声に、芹菜の瞳が揺れた。

芹菜の目の下には酷い隈があった。

それを見ていることができず、美乃里は背を向ける。

「じゃあ、またね。」

バス停まで歩きながら、涙が出そうになる。

なんでこうなっちゃったんだろう。

前会ったときは制服を着ていたころと何も変わらない芹菜だったのに。

....前って、いつだっけ。

気づけば、芹菜と最後に遊んでから半年以上がたっていた。

こんなにも長い間会わなくても平気だった自分に、今更ながらショックを受けた。

嬉しいこともつらいことも全部共有していたあの頃から、自分たちはすっかり変わってしまった。


話し終えるころには、車は理央さんの家の前まで来ていた。

「私、芹菜が昔の芹菜じゃなくなったことに苛立ってしまったんです。でも、変わったのは芹菜だけじゃない。私だって自分のことばっかりで全然連絡とらなかったのに、せっかく気持ちを打ち明けてくれた芹菜に酷い態度とっちゃって。そしたら、さっき電話で『仕事辞めた』って。実家に帰るみたいです。芹菜、会社に入ったときはようやく夢に近づけたって嬉しそうだったのに。」

理央さんは美乃里の話を黙って聞いていた。

「美乃里ちゃん。」

横を向くと、少し潤んだ優しい目をした理央さんと目が合った。

「私も美乃里ちゃんの気持ち、ちょっと分かる。」

そう言って伏せられた目線の先には、左手首につけられた金属製のブレスレット。

「私、今の事務所入る前は大学の友達とコンビで活動してたんだけど、知ってた?」

「…知らなかったです。」

理央さんはブレスレットを指先でなぞりながら、話し始めた。

理央さんは大学生のころ、同じ漫才コンビの追っかけをしていた同級生と意気投合してコンビを組んだ。

とても情熱的な友達で、いつか上京してめちゃくちゃ有名な芸人になろうねといつも言っていたらしい。

毎年大学が主催するコンテストに応募して、三回目にやっと優勝した。

そのとき初めてローカルテレビに出演して、そのときのお金で買ったのがおそろいのブレスレットだった。

「かわいいよねえ、今思えば。あのときの私たち最高に青春してたなって、今でも思う。」

理央さんは過去を懐かしむ表情で話をつづけた。

その後、地元で一躍有名になった二人は親を説得して上京。

こつこつと実績を積んでいった。

しかし、ある時突然理央さんはコンビ解消を切り出された。

「もうぶち切れちゃって、『どういうことだ!』って問いただしたら『もう疲れた』って。だんだん忙しくなってきて、お互い心の余裕がなくなるじゃん。私なんて、だいぶ不安定だったから迷惑かけたなって今では思うんだけどね。単純に合わなかったと言えばそれまでなんだけど、ショックだったよ。二人で一生添い遂げる覚悟だったからさ。」

いつも明るい理央さんの過去に、思わず言葉を失う。

よくある話といえばよくある話なのかもしれないが、美乃里は聞いているだけで胸が苦しくなった。

「でね、コンビ解消して、しばらく連絡も取ってなかったんだけどこの間街でばったり会ったの。久々だからテンション上がってさ。一緒に飲んだんだけど、聞いたらあちらにはもう新しい相方がいるんだって。順調らしいからよかったなーと思って。そしたらね、『もうあんたとも普通の友達に戻れそうだ』って。『解散しようって言ったときはもう本当に大っ嫌いだと思ってたけど、また遊んだり食べに行ったりしないか』って言われた。それで今は時々また会ったりしてる。....だからさ、」

理央さんは目線をこちらに戻した。

「人間どうしようもないときはどうしようもなくなくなるのを待つしかないんだよ。美乃里ちゃんのお友達もきっと自分なりの方法で立ち直る時が来るから、そのときに笑顔で遊びに行こって言える人でいたらいいと思うよ。」

じゃ、明日。

そう言って車を降りて行った理央さんがマンションのエントランスに入っていったのを確認してから、美乃里は帰路についた。

さっき理央さんから言われたことを反芻しながら、眠りについた。


一か月後、久々の休日で一日中のんびりと過ごしたある日の夕方だった。

机の上でスマホが振動した。

画面に映る文字は、『芹菜』。

一呼吸おいて、ボタンをタップする。

「もしもし。」

しばらくぶりにきいた芹菜の声は、最後に電話した時よりいくらか明るかった。

「美乃里はタイムスリップとかそういうの、信じる?」

何の話だろう。

「まあ、ないことはないんじゃないかなーとは思うけど。」

電話の向こうで、芹菜が深呼吸するのが聞こえた。

「あのね、私…中学生のころの自分と会ったの。」

美乃里は一瞬耳を疑った。

中学生のころの、自分。

若い頃の夫と再び出会うという内容の映画を以前観たことがあるが、自分となると、どうだろう。

夢の中とか、そういう感じだろうか。

「何してた?中学生のころの、芹菜。」

「私、いま本屋さんで働いてるんだけど、その店に本買いに来た。」

そんなフィクションみたいなことあるかな、とも思ったが、芹菜がそういうなら本当のような気がした。

「へえ。不思議なこともあるんだね。」

「そう、びっくりした。」

少し沈黙があり、芹菜はゆっくりと言葉を紡いだ。

「それで…何を話したわけでもないんだけど。中学生のころの私、スピーチコンテストを控えてたの。すごく切実で泣きそうな顔してた。でも、全部に対して全力だったなって思い出して。負の感情にも一生懸命向き合って、ぶつかって、いろいろ乗り越えてたなって。そう思ったらなんか、....うまく言えないけど、また自分のこと好きになれそう、って思った。」

美乃里は中学生のころの自分と出会うことを想像してみた。

頑固で眩しくて、きっと直視できないだろうな。

そう思った。

「ねえ、美乃里。」

「うん。」

芹菜の声はあの頃のように純粋な期待に満ちていて、美乃里は目頭が熱くなるのを感じた。

「私また東京で働きたいと思ってる。すぐにってわけにはいかないけど、そのときにはまた一緒にご飯食べに行ったりしようよ。」

「うん。....待ってる。」

顔は見えないけれど、芹菜がにこりと笑ったのを感じた。


〈完〉

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