蓮の花

白川津 中々

◾️

犬にとって、生きるとはどういうことなのだろうか。


飼っていた犬が死んだ。名前はハスという。蓮の花が咲く公園で拾ったためそう名付けたそうだ。

まだ仔犬だったハスは人によく慣れていたから、しばらく誰かの手にあって捨てられたのだろうと推察されていたが実際のところは知らない。見るからに純血統で、申出の際に役所と揉めたものの、結局「知人から貰った」と押し通し即日から今の家に住むようになったと聞いている。私が生まれる前の話だ。


ハスは子供時分に散歩をさせたりすると決まって力強く駆け出し転ばせてくるような邪悪な犬だった。道端で膝小僧をさすりながら睨んでいたことを覚えている。それでも家の中では抱きついて戯れあったりして、父が手入れした毛艶を無闇に乱したりしていた。友人として、子供の私の隣にいたのだ。


それから歳を重ね、家を出て働き始め、何年か経って久しぶりに帰省してみると、ハスの腰には車両が取り付けられていた。筋力低下と神経障害により、上手く歩けなくなったのだ。散歩をさせてみると子供の頃に感じた力強さはなく、前に進む度に車輪がガタガタと音を鳴らす。また、足の他、内臓にも異常が出ていたそうで、餌も制限されていた。艶のあった毛皮からは輝きが失われ、かつて雄々しかった表情は見る影もない。大人しくて、病的だった。


それから三年が過ぎ、ハスは天寿を全うした。二十年以上生きたわけだから、犬としては大往生だろう。


しかし、ハスにとって拾われた事は幸福だったのだろうか。

もしあの時両親が飼うと決めなければ野犬として朽ち果てるか、人の手によって処分されていたかもしれない。その代わり、腰に車輪をつけられ、美味くもない餌を食わなくとも済んだはずだ。犬が犬として持つ運命を人間の価値観で無理矢理捻じ曲げ、愛玩として、いたずらに延命させる行為は、ハスにとっての助けとなったのだろうか。人間の考え方で想像する外ない。


ハスの写真を見て、膝小僧を撫でる。

あの邪悪な悪戯をしていた時どのような気持ちだったのか、聞けるものなら、聞いてみたかった。

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