8話 虚空襲撃

 フェーズノット客輸サービスの一級航宙士兼<サンパウロ>号の船長として、ルイス・カールスルーエの責務は大きく二つある。

 第一は、難解極まる畳み込み航法を完璧に制御し、<サンパウロ>を乗客ともども五体満足で実時間領域へ送り届けること。もっとも、七代続く筋金入りの航宙士家系とってそれは朝飯前である。すべてご先祖様に任せれば、寝てても目的地に到着するからだ。


 問題は二つ目の方だ。

 乗客をつぶさに観察し、不審者を見つけ出す。安全保障である。


 折り畳み航法を伴う長距離移動ルート、各星域の統治の及ばない法の空白地帯だ。海賊行為や密輸、違法渡航、祖霊誘拐、電板獲りなど、旅客船を舞台とした犯罪行為は枚挙に暇がない。ならず者どもから船の安全を守り、面倒ごとから遠ざけるのも船長の大きな仕事だ。


 今日、カールスルーエ氏の頭を悩ませていたのは中央後方にどっしりと陣取る筋骨隆々の大男でも、ましてや顔中刺青を施してフードを深々とかぶって小刻みに震えている謎の人物でもなかった。

 なにしろシャダン行きの便だ。大手振って表を歩けない乗客など吐いて捨てるほどいる。船長の視線は、もっぱら一人の娘に注がれていた。年は中央暦で二十足らず、やや青みがかった黒髪を短く切り揃え、年齢に似合わず飾りのたくさんついたふりふりのドレスで一等席にちょこんと座り、窓外の虚空を無表情に眺めている。


 明らかにこの船の行先には似つかわしくない乗客だ。


「お嬢さん」

 呼びかけに気づいていないらしい、少女は相変わらず遠くを見つめている。

「アシュさん」

「あ、はい」

 気まずさと怪訝さが入り混じった声が返ってきた。

「ご不便はないですかな?」

「あら、ご丁寧にどうも。おかげさまで至極快適ですわ」

「それは結構。ところで差し支えなければですが、今回のシャダン行きのご用件を...」

「あら、それは尋問ですの?」

「いやいやとんでもない。私にも同じくらいの娘がおりましてね。行動力のある若者を見ると羨ましくて」

「まぁ、可愛らしい」

 少女は船長の差し出した端末を覗き込み、嬌声を上げる。

「見習う所なんてございませんわ。半分、家出ですもの」

「ほう」

「両親が厳しいんです。若い娘が母星から出るなとか、蝶よ花よって。時代錯誤だと思いません?」

「まあ、それは家それぞれと言いますか」

「あら、宇宙を股にかける航宙士さんはもっと開放的かと思いましたわ」

「うちも代々これですから。お嬢さんの家業は知りませんけどね、ご先祖を大切にしてお家を継ぐのは、重要な役目ですから」

「家業ったってただの小役人ですわ、父方も母方も。祖霊もどんどん煮詰まっちゃって、もううんざり」

「ご両親をそのように言うものじゃないですよ」

 船長は少女を軽くたしなめる。

「若いうちに広い世界をみるのは結構ですが、シャダンというのはどうかと」

「あら、宇宙有数の豊かな鉱山惑星と聞きましたけど?」

「大きな鉱山ってのは、それだけ荒くれ者があつまるんです」

 後ろの方をちらっと見て一段と声を落とす。

「シャダンについてもステーションからの見学にとどめ、地表へは降りてないことですな」

「まぁ、シャダンってそんなに危険ですの!?」

 無邪気に声を張る少女に、船内がざわめく。


「しっ」

「ごめんなさい」

「船やステーションの中は管理が行き届いてますし、何より銃火器厳禁ですからね」

 といって腰の短刀を指さす。船内での帯刀は船の主にのみ許される特権だ。

「それに引き換え地表は何でもあり。お嬢さんのような方がいかれては...っと失礼」

 埋没リンクからの呼びかけが男の話を遮る。



『どうしました?』

『困ったことになっちゃった』

 船長の耳の奥に甲高い少年の声が響く。<サンパウロ>の制御AI、つまりカールスルーエ家の祖霊だ。敬虔なアセラフ派儒学者が聞いたら卒倒しそうなふざけた性格付けだが、船乗りたちは得てしてこういうおふざけを好むのだ。


『進路上、20宙里先に小型艇が五隻。あまり友好的には見えないね』

『今操舵室に行きます』


「海賊ですわね」

 少女がふと発した言葉に、ルイスは思わず足を止め振り返った。

 聴神経に直結された埋没リンクの「音」が彼女に聞こえるわけはない。窓から見えたのだろうか。いや20宙里先の船はただの光点にしか見えないだろう。


「早く戻られた方が良いですわよ」

 腑に落ちないまま操舵室へ向かおうとした――だが、その必要はなかった。


 なぜなら客室の空中に突然、仮面をつけた人物の顔が大写しになったからだ。

「あーあー、聞こえますか?」

 謎の人物はその見た目に似つかわしくない、緊張感ない声で話し始めた。

「ってこれ顔近すぎないか? あ、そうそうそれでいい」


『何ですこいつは?』

『小型艇の方からデータリンクだね、船の映像系を乗っ取られた』


「えーと、船長さんいる? 手上げて...あ、あなたね。どもども」

 相変わらず緊張感の欠片もない声が響く。

「当船<サンパウロ>はただの定期乗客船だ。金目のものは積んでいないぞ」

「あー君の船に用はないんだ船長君。乗客に黒髪の二十歳くらいの女の子がいるだろ?」

 一斉にアシュに視線が集まる。髪色を指定しなくても、少女の客は彼女一人しかいない。当人はというと、居心地悪そうにするでもなく、ただ静かに窓の外をじっと見続けている。

「その子だけ引き渡してくれたら、君にもほかの客には何もしないよ」


「お断りだ、人攫いめ」

 ルイスは語気を強める。

「乗客の安全を守るのが船長の仕事だ、一人の例外なく、な」

「じゃあ、一人の例外なく黒焦げだな」


「おい!」

 乗客の一人が立ち上がった。

「言われた通りにしろよ。このガキのせいで全員を危険に晒すのかよ」

「座って下さい」

 ルイスが制止する。

 なおも詰め寄ろうとする乗客に向かって腰の短刀を抜き放ち、同じ言葉を繰り返す。

「座って下さい」

「くそ、こちとら故郷に妻子がいるんだ、小娘のために死ねるか!」

 そうだそうだ、と賛同する声がポツポツと上がった。

「大体この女はなんなんだ?」

「こいつも犯罪者じゃないのか?」

 罵声が飛び交い、客室は混乱に包まれた。


「ああ、しばらくそうやって揉めててくれ。十五分後に答えを聞こう」

 仮面の男がそう言い残すと、映像はプツリと途絶えた。

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