鶏が先か
仕事の都合で平日休みが発生してしまった俺は、ふとあの日の事を思い返していた。
酒の席で知り合った男に誘われて奇妙な体験をしたあの日から、そろそろ1年が経とうとしている。
別れ際、S氏は「また居酒屋で」と言っていた。俺にとっても行きつけの店ではあったので、そのうちまた会う事もあるだろうと思ってはいたが、一度たりともその機会は無かった。
存在しない事故現場を作り出し、存在しないはずの“被害者”を作り出す。そんな悪趣味な実験の結果現れた、“ランドセルを背負った少年”を、俺はこの目で見ている。
S氏のことは心底気持ちが悪いと思う一方、ホラーマニアとしての俺は、また会って話を聞いてみたいとも思っていたのだ。
……そういえば、彼は近くの喫茶店で仕事をしていた筈だ。気がつくと俺は、あの事故現場へと足を運んでいた。
ガードレールには、真新しい花や缶コーヒーなどが供えられている。
あれから一年が経とうとしているのに。そもそも事故で死んだ子など存在しないのに。
「……あなたもお供えに?」
見ず知らずの人が残した善意と、それを生み出した男の悪意に少しだけ心を痛めていると、後ろから声がかかった。
振り向いた先にいたのは、紺色のエプロンをかけた初老の男。手にはコーヒーカップを持っている。
「いえ、その。たまたま通りがかっただけです」
「そうですか」
男はカップを花の傍に置くと、静かに手を合わせた。
「あの、ここで何があったんですか」
「少し前、ここで男性が亡くなったのです」
男性?
いや、小学生でも男は男か。
……だとしても、“男の子”だろう。
「それって、小学生の子供が亡くなった話ですよね」
「あぁ、そちらはご存知でしたか」
「そちらとは?」
「男の子が亡くなったのは1年くらい前でしょうか、私も詳しくは存じ上げないのですが。それともうひとり、ここで亡くなった方がいまして」
ここで事故が起きたのか。今度こそ、本物の死亡事故が。
「私、そこの喫茶店を経営している者でして。亡くなった男性が……うちの常連さんだったので」
「なるほど」
「1年……いや、もう少し前からでしょうか。ほとんど毎日のように来られていました。うちのコーヒーも気に入っていただけたようで」
それでコーヒーを供えていたのか。
いや、そんな事よりもだ。猛烈に嫌な予感がする。
「もしかしてその亡くなった方って、Sという方だったり」
「……Sさんをご存知でしたか。彼はここで、車に撥ねられて亡くなりました」
「そう、ですか」
一気に血の気が引いたように感じる。
何の因果か、S氏は自身が脚色したこの場で命を落としてしまったらしい。
「そろそろ店に戻りますが、どうでしょう。一杯ご馳走しますから、もう少しお話ししませんか」
店主に誘われるがまま、俺は喫茶店の暖簾をくぐった。
店内はいかにもな喫茶店で、あんな話の後でなければ行きつけにしたいと思ったかもしれない程には、居心地の良さを感じた。窓際の席を選び座る。S氏の言った通り、ここからなら事故現場がよく見える。
「そういえば、Sさんもその席を好んでいました。理由を訊いたらはぐらかされてしまいましたが」
だろうな。
ニセの事故現場を観察する為に丁度よかったなんて、口が裂けても言えないだろう。
「どうぞ。当店おすすめのブレンドです」
「ああ、どうも」
運ばれてきたカップに口をつける。
店主には申し訳ないが、今の俺に味を判断する事はできなかった。
「それでSさんとは、どういった関係で?」
「行きつけの居酒屋で知り合いました。最近見かけないので、彼がよく行くと話していたここに、様子を見に来たんです」
「なるほど、そうでしたか」
嘘は言っていない。
本当の事も、言っていないが。
「まさか亡くなったとは思っていませんでしたけど」
「……そうですね」
それから俺は、店主とS氏の話を色々と聞く事になった。
店主曰く、この店でのS氏は私の知るものとは別人のような好人物として振る舞っていたらしい。コーヒー好きの在宅ワーカーで、仕事の合間にはよくコーヒー談義で盛り上がっていたそうだ。他の常連客との関係も良好で、休日に出掛ける事もあったとか。
そんなS氏が事故死したのは、この店を出た直後だった。
「じゃあまた。なんて言って店を出た直後でした。大きな音がして外を覗いたら、そこにSさんが」
あの場所に花を供えるようになったのは、店主や常連客達の計らいだったとの話だ。
「あの場所、元々事故現場じゃないですか。だから何か悪いものでもあるんじゃないかって、近所で噂になっているんです。ふたり続けて、ですからね」
「ふたり続けて……」
S氏へ手向けられた花たちの中には、子供向けの菓子なども混ざっていた。1年前から供えられ続けた、存在しない子供の為の物だろう。
「大きな声じゃ話せませんが、あの通りで幽霊を見たって人がいるんです。ランドセルを背負った子供の幽霊が。事故で亡くなって成仏できずに彷徨っているんじゃないかって、もっぱらの噂ですよ」
「そうですか」
「私は見ていませんが、うちの常連さんにも見た方がいましたね。……その、Sさんもでしたが」
あれがS氏の創作であることを、店主に明かす勇気は無かった。
「コーヒーご馳走様でした。また来ます」
「ええ、お待ちしてますよ」
にこやかに俺を見送る店主に少しだけ罪悪感を感じながら、店を後にする。嫌でも目につく“事故現場”の前で立ち止まり、一応手を合わせておく。
それから俺はいつぞやの道を辿るように、大きめの市道を歩いた。
コンビニ、バス停、駅前のロータリー。それらを通り過ぎ、飲屋街に入る。目的地は、行きつけの居酒屋だ。
まっすぐ帰っても良かったのだが、俺にはひとつ、やらなければならないことがあった。
「あぁ、いらっしゃい。今日は早いね」
「仕事が休みだったんでね」
「わざわざ出てきてくれたんだ。嬉しいなぁ」
何も言わずともハイボールが卓に置かれ、俺はそれを一気に流し込んだ。
「もう一杯」
「なんだ、ペース速いねぇ」
「暑かったからさ」
まだ5月だと言うのに、異様な暑さの1日だった。だが、俺がアルコールを求めたのはそれが理由では無い。
「ちゃんと水分も摂りなよ」
コップの水を飲み干し、それから2杯目のハイボールに着手する。こんな事、酒の力に頼らないとできないからな。
その後俺は普段の倍近い飲酒量を記録し、ぐらついた視界と共に店を出た。千鳥足で向かう先は、家ではない。
数刻前に通った道を辿り、行き着いたのは件の事故現場だ。時刻は21時。辺りは真っ暗で、まばらな街灯が寂しげな雰囲気を放っている。
コーヒーカップは無くなっていた。
恐らく、店主が毎晩引き上げているのだろう。
街灯に照らされた献花たちを見つめながら、しばらく待つ。
駅からそれほど離れてはいないが、この時間になるとここを歩く人はそういないらしく、誰も通らないまま10分が経過していた。
「また会いましたね」
ガードレールに尻を預けた俺に、声をかけるやつが現れた。
「……やっぱりいたんですね、Sさん」
見上げた先には、灯りを躱すように立つ男がいる。
「店主さんから聞きましたよ、あなたがここで死んだって」
「えぇ、そんなところです」
「それで、なんでこんなところにいるんですか」
「強いて言うなら、あなたを待っていたんです」
一年前から変わらない、新鮮な気味の悪さを感じる。馬鹿は死んでも治らないとはよく言ったものだ。
「何の為に?」
「そんなの、わかってるじゃないですか」
「幽霊は実在すると?」
「そんなところです」
暗がりから俺を見つめる顔は、何故かうまく判別できなかった。見えている筈なのに、見ることができない。
「あなたこそ、どうしてここに」
「あんな体験させられたら、気にもなるでしょう」
好奇心を止める事はできなかった。
止せばいいのに、俺はわざわざこんな所に来てしまっている。
「あの男の子には会えたんですか」
「いえ、一年前にあなたとここで見て以来一度も。それこそ、“こう”なってしまってからも」
「へぇ、どうしてでしょうね」
偽物と本物が会ったらどうなるのか。
少しだけ興味があったのだが。
「そんな事より、どうです?人が死を恐れ、悼む気持ちが集まる場所には幽霊が出る。私は自身が死ぬ事で、その仮説を立証する事ができたんですよ」
「死んだら誰にも自慢できないですけどね」
「だからこうして、同志であるあなたに話しているんじゃないですか」
勝手に同志認定されても困るんだが。
「あの子供がここに出なくなったのも、恐らく私の死がきっかけなのではないか。そう思っています」
「それは何故?」
「見ず知らずの少年より、ご近所さんの私の死の方が身近な恐怖だったんでしょう」
だから、ランドセルの少年と入れ替わる形でアンタが幽霊としてこの場に居座った。そう言いたいのだろう。
「それが今考えている仮説ですか」
「もう確かめる術は無くなってしまいましたが。この世に残した未練と言えば、それくらいでしょうか」
「……サッサと成仏してくださいよ」
「どうだか」
「そうですか、それじゃ楽しんでくださいな」
S氏に背を向けて歩こうとした俺は、すぐに立ち止まり、再び暗がりへ向き直った。
「最後にひとつ聞いてもいいですか」
「えぇ、どうぞ」
「あなたがここで車に撥ねられたの、ワザとじゃないですよね」
顔はわからないが、恐らくS氏は笑っていたはずだ。
「……さぁ?どっちだと思います?」
返事をせずに、俺は帰り道を歩き出す。しこたま飲んだ後にも関わらず、頭は妙に冴えていた。
そんなクリアな脳みそでも判断がつかない事がある。いま俺の中に渦巻いているのは、恐怖心なのか好奇心なのか。
その答えは、しばらく出そうになかった。
卵が先か こーいち @Booker1246
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