卵が先か
こーいち
卵が先か
「面白いものを見せるから、来てみませんか」
酒の席で知り合ったS氏がそんな事を言い出したのは、3杯目のハイボールを飲み干した頃だった。
「面白いものって、具体的には何なんですか」
「それは見てからのお楽しみって事で」
胡散臭い提案だ。
誘われるのが俺でなく20代の女だったりしたら、厄介なナンパだと思っただろう。
「じゃあ……行きます。会計しちゃいましょうか」
程良く回ったアルコールで判断力が鈍った俺は、彼の口車にまんまと乗せられてしまったのだ。
「タクシー呼びます?」
「歩いて行けるところですよ。酔い覚ましも兼ねて、散歩しませんか」
1時間前まで他人同士だった野郎がふたり連れ立って、夏の夜道を歩き始める。
普段ならあり得ない事だが、今回ばかりは乗らざるを得ない事情がある。
偶々席が隣り合っただけの俺と彼には、共通の趣味があった。
怪談、それからホラー映画。
散々近年のJホラーついて語り合った後での提案だ。
この場合の“面白い”とは、おそらく“怖い”という解釈で間違いないだろう。
彼の後に続いて飲屋街を抜ける。
駅前のロータリー、バス停、コンビニ。
それらの傍を通り過ぎていくうちに、段々と酔いが醒めてくる。
熱った身体に、夜の冷たい空気が気持ち良い。
たまには散歩もしてみるもんだな。
そんな事をぼんやり考えていると、S氏が不意に立ち止まった。
「そんなに遠くなかったでしょう」
「……ここに何があるんです?」
大きめの市道の歩道で、俺たちは突っ立っている。
疎らな街灯がほんの少しだけもの悲しさを漂わせているが、怖いかと言われるとそんな事は無い。
「これですよ、これ」
S氏が指差したのは、ひしゃげたガードレールの端。
ビームと呼ばれる、金属板をくるりと丸めた部分だ。
まだ新しそうな花束や、缶ジュース、特撮キャラクターのお菓子などが置かれている。
「事故現場ですか」
「そう見えますよね」
ここで何かしらの交通事故があり、被害者が亡くなっている。
それを示すサインと言って差し支えないものが、そこにはあった。
「被害者の幽霊が出るとでも言いたいんですか」
「いや?どうだか」
感性の豊かな人が見れば、怖いかもしれない。
しかし、こんな物普通に生活していればそれなりに目にする機会はある。
わざわざ人に見せる程だろうか。
「私の知る限りこの道、この場所で誰かが事故死した事は無いはずですよ」
「じゃあ、なんでここにはお供え物が」
「それはね、私が供えたからですよ」
「──は?」
S氏は薄ら笑いを浮かべている。
俺はここに来て初めて恐怖を感じた。
「この近くに花屋がありましてね、そこを通った時ふと思ったんですよ。“何もないところにお供え物を置いたらどうなるのか”ってね」
「はぁ」
「適当な花束を買って、ジュースと一緒にここへ置いて帰りました。事情を知らない人……今のあなたみたいな人が見れば、ここで誰かが亡くなったらしい。そう感じるはずですよ」
悪趣味な悪戯だ。
そう思わずにはいられない。
「ここを選んだのは家から近かった事と、あれがあるからですかね」
S氏が指差す先には喫茶店がある。
勿論、今は夜中なので閉まっているが。
「窓際の席からここがよく見えるんですよ。私、在宅でWEBページの制作をやってるんですけど、あの喫茶店で仕事しながら観察したりして」
「それで、何か発見はあったんですか」
「最初のうちは私以外にここにお供え物を置く人はいませんでした。花が枯れてきたら代わりを用意したり、お菓子なんかを追加してみたり、色々やりましたよ」
心底気味が悪い。
そんな事をして、何になるのか。
「1週間くらい経った頃ですね、段々と通行人が立ち止まるようになったんですよ。手を合わせる人がいたり、お供え物を置く人がいたり。人の善意って素晴らしいですよね」
「その人たちはみんなSさんに騙されてるわけですが」
「まぁそれはそうなんですけど」
ガードレールには沢山のお供物が並んでいる。
花はともかくジュースやお菓子といったラインナップを見ると、恐らく多くの人はこう思うだろう。
“きっとここで子供が亡くなったのだ”
Sという男がそこまで意識してやったのかはわからない、わかりたくもなかった。
「もう私が補充しなくても大丈夫なくらい、色んな人がここに物を置いてくれるんですよ」
「そうでしょうね」
「で、面白いのはここからなんですよ」
正直、もうこの男とは関わりたくなかった。
一刻も早くこの場を立ち去りたい、そう考えていた。
だが一方でホラーマニアとしての俺は、この狂人の世迷言を最後まで聞いておきたいとも考えていた。
「と、言いますと?」
「こないだ喫茶店のマスターと少し話す機会がありまして、こんな事言ってたんですよ」
「『最近この辺で小さい男の子の幽霊を見たって人が何人かいるんです。きっとあの事故の被害者なんじゃないか』って」
「それは、その。おかしいですよ」
幽霊が実在するか、その点については一旦置いておくとして。
ここはSが勝手にお供えしていただけで、誰かが亡くなったという事実は存在しない。
「そう、ありえないんですよ。だってそうでしょう?ここでは誰も死んでいないのだから」
「幽霊を見たっていう人たちから、実際に話を聞いたりは」
「ええ、喫茶店の常連客を紹介してもらいました。『夜中にランドセルを背負った男の子とすれ違った、あんな時間に小学生がひとりで出歩くとは思えない』だと」
「あえて言葉を選びますけど、それはその、いかにも“それらしい”ですね」
大昔に処刑場だった場所には、首の無い武者の霊が出る。
とある自殺の名所では、自殺した人の霊がでる。
死者の霊がその場所に出るというのは、怪談話の定石のひとつだ。
凄惨な交通事故があったのならば、その被害者が霊として現場に現れるというのも頷ける話だ。
だが、ここでは一切人は死んでいない。
「卵が先か鶏が先か。って話がありますよね」
「あぁ、哲学の」
「幽霊という物に関しては、卵が無くても鶏は生まれるみたいですね」
お前が卵を作ったんだろ。
そう返す為に口を開いた俺とSの間を、小さな人影が追い抜いて行った。
茹だる様な熱帯夜だというのに、凍り付く様な寒気を感じる。
「……あれって」
「驚きました。私も、実物を見たのは初めてで」
街灯に照らされる黒いランドセル。
少年は一瞬足を止め、振り向いてこちらを見てから、夜の闇に吸い込まれて行った。
灯りの中にいたはずなのに、顔は見えなかった。
いや、元々無かったのかもしれない。
“それ”を見るのは初めてで、俺は冷静なままでいる自分自身に少しだけ驚いた。
「さっきあなたは言いましたよね。ここで幽霊を見た人がいると」
「ええ。言いましたね」
「それ、最初に言い出したの、もしかしてあなただったんじゃないですか?」
「さあ?どうだったか。きっかけは何であれ、それを信じてしまったのは、あの人達であり、あなたでもある」
それは答えを言っているような物じゃないか。
「……これからどうするんです?」
「さあ?お供物が続く限りは観察を続けますよ。またあの店で会ったら、あなたにはその時にでもお話ししましょうか」
S氏は俺に対して軽く会釈をすると、少年が向かった方向へと歩き始めた。
S氏の姿が見えなくなってから、俺は反対方向へと歩き出した。
すっかり酔いが醒めてしまったが、今更どこかの店に入る気にはなれない。
コンビニでなるべく強い酒を買って、それから家へ帰ろう。
偽の事故現場に背中を向けると、背後からじっとりとした視線を感じた。
視線の主はSか、あの少年か、はたまた関係無い何かだろうか。
確かめる勇気は無かった。
夜道を歩く足は、自然と速くなっていた。
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