第2章 23話 次なる光へ
スガリは、静かに病室のドアを開け、一歩外へ踏み出した。そこには、ナナがポッドの中で眠っている間に、彼女の指示通りに動いていたリノが立っていた。彼女の顔には、極度の疲労の色が浮かんでいたが、その瞳には、次の命令を待つ鋭い光が宿っていた。彼女の背後には、艦内の喧騒が遠いこだまのように聞こえ、戦場の余韻がまだ生々しく残っていることを示していた。
「こちらの処理は全て完了しました。ナナは?」
リノの問いかけは、簡潔だったが、その声にはかすかな焦りが滲んでいた。スガリは静かに頷いた。
「目を覚ましたよ。もう、大丈夫だ」
スガリの言葉に、リノは安堵の息をついた。その瞬間、彼女の張り詰めていた緊張が、わずかに緩んだように見えた。彼女も人間なのだろうとたまに安心できるのはこういうところだった。まるで完璧な機械のように振る舞い、常に最善の策を計算するリノが、ナナの安否を気にかける姿に、スガリはかすかな温かさを感じた。
「ん、どうかしましたか?」
「いや、なにも」
リノの声には、冷静さが戻っていた。彼女の言葉は、火星での激闘の処理が終わり、次なる局面に移行することを告げていた。現在の第九艦隊、いわばナナ=ルルフェンズの私兵として動かせる部隊の編成は、スガリに一任されていた。
ナナは、自身があまりにも考える可能性が多すぎると混乱してしまうという理由と、スガリの方が数字やデータに強いという冷静な判断から、部隊編成を彼に委ねた。
そして、今回の戦闘では、Number9を含めた四機のアンドロマキアを手に入れた。この新たな戦力が、今後の戦いを有利に進めるための鍵となるだろう。
「リノ、Numberシリーズを始めて操縦した感想は?」
ナナは、リノに問いかけた。火星での激闘の際、Numberシリーズの回収は当初スガリが担当する予定だった。しかし、彼の負傷により、その任務はリノに託された。
特殊な規格とピーキーな性能を持つNumberシリーズは、ライカやトラベスといったパイロットに任せるにはあまりにも危険だった。最悪の場合、機体自身がパイロットを、あるいは周囲を食い尽くす怪物と化す可能性さえあった。
「あんなに操縦が難しい機体は初めてですよ。おかげで何回もぶつけました。私の技術では操縦してレグルスにまで載せるのがやっとでしたね。とてもではないが兵器としての運用ができるとは思いません」
リノでそのレベルなら、おそらく万全な自分自身でも無理だろうとスガリは考えて、すぐにNumber9はナナに預けることにした。パイロット技術に優れるナナは、できれば前線に出たい。だが、さすがのナナでも目の前の敵と戦いながら艦隊全体への指揮は難しい。
ならば誰かに艦隊を動かすことを任せればよいという考えで、その試金石としてジガルシアに艦隊を任せてみた。その動きはほとんどナナの思い通りだったと言える。相手にもよるが、これまでの戦闘で対峙してきたリリィやラズロくらいなら充分に指揮を任せられる。
「ナナは、やっぱりすごいな。全てが計画通りだ」
あとは、新たに得た三機のアンドロマキア。その調査は進んでおり、リアルタイムでデータが流れてくる。性能は優れているが、それでもベースの規格は帝国軍で広く採用されているものだから、ライカたちに任せるのが最も効率的だとスガリは判断した。
「それぞれの特徴を考えるに、銃の扱いに優れて距離を取りながら戦うのが上手いライカにはシヴァラーク、突撃戦を得意とするペルトローネにはポーモーナルを任せたい。二人にはより多くなるアンドロマキア部隊の前線指揮を任せたい。順調にいけば、第九艦隊には二桁の帝国量産型アンドロマキアが預けられることになるだろう」
スガリの言葉に、リノは静かに頷いた。彼の判断は、常に冷静かつ合理的だった。もちろん、ナナの計画に組み込まれていたスガリとエンデヴァーの側近との会話を隣で聞いていたが、スガリの能力と出自ならば木星人として真っ当に帝国内で出世ができる。いずれ、元帥の立場へと登ることも可能性がないわけではない。
ただ、その可能性を消してナナに付き従うことを選んだ。
士官学校の最終卒業試験で手を抜くことで、六番目の成績を残して。
「さすがはスガリですね」
リノの言葉は、冷徹な分析に基づいていた。彼女は、近衛兵団のアンドロマキアの数が、彼女が目にしただけでも数十機にのぼることを知っていた。しかし、その全容を把握することは不可能だった。
リノは、この事実が意味することを理解していた。これほどまでの戦力を必要とするのは、強い単一の敵を仮想敵とする場合ではない。大量のアンドロマキアを仮想敵とする場合だ。
帝国は何を仮想敵と想定してしているのかは知らない。皇帝陛下の護衛団を務めるだけの近衛兵団にそんな相手が出てくるのが外宇宙からであれば帝国軍がそれを阻止するだろう。ならば、既に大規模な反乱を予見していたのだろうか。
「まあ、そんなことを考えても仕方ない。今は目の前のことを粛々とこなすのみです」
リノは、そう言って思考を打ち切った。
「それで、もう一機のフランメルはどうしましょう」
順当にパイロット技術で考えればトラベスに任せたいが、今回も重要な仕事を任されたように彼はナナから信頼されている。そもそもアンドロマキアに乗るよりも通常の戦闘機のほうが好きそうでもあった。そもそも、今の手札だけで戦おうとするよりもよほど良い方法がある。
「できることなら、もう数人のパイロットが欲しい。その中の一人に預けたいと思う。壊滅した第二艦隊、第三艦隊に所属していて現在もどこの艦隊にも所属していないパイロットはいないのか調べてくれ」
パイロットは何人いてもいい。戦術の幅が広がるから。
「久しぶりね。なんだかとても懐かしい気持ちがするわ」
検査を終え、それでも身体的な疲労が抜けなかったナナは、一日をかけて自室で療養していた。そして、翌朝、彼女は久しぶりに会う人物を自室に招き入れた。スガリ、リノ、ジガルシア。そして、ライカ。
部屋のドアが閉まると、ライカは戸惑いを隠せなかった。彼女は、この四人を相手に緊張するようなことはない。ナナは、自分を信じて仕事を任せてくれる上官であり、スガリやリノ、ジガルシアもとても話しやすい人だ。しかし、この三人と一緒に呼ばれるのは初めてだった。そして、この状況が、ただならぬ事態であることを示唆していた。
「あの、どういったことなんでしょうか」
ライカは、不安そうにナナに問いかけた。彼女の声は、わずかに震えていた。その震えは、彼女自身の戸惑いと、これから聞かされるであろう、想像を絶する事態への予感からくるものだった。ナナの瞳を見つめた。その瞳は、まるで宇宙の深淵のように恐ろしいほどに澄んでいた。
「驚かせてしまってごめんなさい、ライカ。少し話を聞いてほしくて」
ナナは、そう言ってライカを席に促した。彼女の言葉は穏やかだったが、その心の奥には、何かを決意したような、強い光が宿っていた。
ライカが席に着くと、ナナは静かに話し始めた。彼女が語ったのは、火星での戦闘の裏で、彼女たちが密かに進めていた計画の全貌だった。ナンバーシリーズの確保、そして評議会への働きかけ。
その話を聞くうちに、ライカの不安は、次第に驚きへと変わっていった。彼女の顔からは、血の気が引き、蒼白になっていく。理解できないという様子だった。スガリも、最初に聞いた時には理解するので精いっぱいだったのを思い出す。それでもナナがここに呼んだ。
なら、ライカにもより厳しい場所で戦ってもらう必要がある。
「信じられない……。准将は、そんなことを……」
ライカは、呆然とした声で呟いた。彼女が知っていたナナは、優れた戦術家ではあったが、ここまでの策謀を巡らせる人物だとは、想像もしていなかった。同年代のナナがそこまで優れているのかと、驚かされるばかりだ。火星での戦闘も、圧倒的だった。
「この話を聞いて、ライカはどう思う?」
隣にいたスガリの問いに、ライカは言葉を失った。彼女の正義が、無数の命を犠牲にして成り立っている。その事実を、彼女はどう受け止めるべきか、わからなかった。
しかし、ライカの隣には、スガリとリノ、ジガルシアが静かに座っていた。彼らは、ナナの信じる平和への道を理解し、それでも彼女に付き従うことを選んだ。その姿を見て、ライカは一つの決断を下した。
「私は、ナナ准将を信じます」
彼女の言葉に、ナナは静かに微笑んだ。ナナはここに呼ぶ相手をライカとペルトローネのどちらかで迷っていた。だが、ライカに決めたのは単純に彼女が持つスガリへの好意だった。別に二人の忠誠心とかを疑っているわけではないけれども、根のところでライカは絶対にスガリを裏切らない。
ならば、スガリが死なない限りはライカはこちら側にいる。
「そう、ありがとう。なら早速だけれどもお願いしてもいいかしら。あなたには帝国第九艦隊で最強の兵士になってもらう。そのための強化メニューを組んだからこの通りにトレーニングを開始してほしい」
ナナは自分自身の役割をジガルシアとライカの二人に分散させることを考えた。今はまだ、ライカはNumberシリーズの操縦をこなせないだろうけれども、いずれ成長してもらう必要がある。
リノの言っていた象徴という言葉。それにふさわしい人物は複数いるけれども、最悪のプランはナナ自身がそれになることだった。なら、最も避けるべきは実務であり、艦隊指揮は適当な人材を挿げ替えていけばいいのだが、戦闘機の操縦は難しい。ナナ自身が乗るわけにはいかないから。象徴は何もせず、ただ君臨することが仕事だ。
だから、ライカを最終的にはNumberシリーズのパイロットにしたいと考えていた。そのためには恐ろしいほどの訓練が必要になる。それを目の前にいる彼女は耐えられるだろうか。酷だとは思うけれどもやってもらうしかない。真面目なライカはさっそく頷いて部屋から出ていった。
「まずはナナ准将に報告が、こちらが現在でも帝国軍の艦隊には所属していない元第二艦隊、第三艦隊のパイロットのリストです」
ジガルシアが手渡したタブレットには、三人の名前が並んでいた。ナナは、タブレットに表示された三人の顔写真と経歴を、食い入るように見つめた。彼らの顔には、それぞれ違う表情が浮かんでいる。出身は全員が木星である。ならわかりやすい判断材料がある。
「彼らを呼んでちょうだい。直接、話を聞きたいわ」
ナナの言葉に、ジガルシアは静かに頷いた。彼女は、ナナの意図を理解していた。差別主義者であれば、この呼びかけには応じないだろう。しかし、彼らがナナの強さと、その根底にある正義を理解し、受け入れることができれば、彼らはフランメルの新たなパイロットとなり、ナナの力を支える武器となる。
ナナの問いかけに、リノが応える。それは、彼女の担当する最も重要な職務のひとつだった。火星での激戦を終え、木星への航行を続けるレグルス。木星に戻ればすぐに次の出撃命令が下されるだろう。次なる戦いの場を予測することは、準備の出来に直結する。
リノは、無数のデータと、帝国の軍事動向を分析し、ナナに報告した。現在の帝国第四艦隊が月付近の宙域で戦闘を継続しており、第五艦隊は木星衛星付近で行われる散発的な戦闘に対応している。
「様々な会戦ポイントが予想されますが、おそらくはついに金星上空ですね。帝国本土の考えはわかりませんが、軍は勝負を焦っている」
リノの声に、微かな緊張が混じる。彼女の分析は、これまでの戦況から導き出された、最も可能性の高い結論だった。帝国軍が金星への攻撃をかけるタイミングで、最も防衛の固い敵と宇宙空間で接敵するだろうという読みだ。これを退ければ金星本土への攻撃が可能になる。
「そう……」
ナナは静かに頷いた。彼女たちが生まれた星、金星。その上空で戦うということは、心が痛む。ナナは、窓の外の星々を見つめた。金星はもちろんここから肉眼では見えない。しかし、彼女の心の中には、故郷の空が、鮮明に描かれていた。
「仕方がないわね。予想をしていなかったわけじゃない。帝国は何としても金星を落として左派の台頭を阻止したい。一方で反乱軍も艦隊決戦で結果を出して士気を高めるのに絶好の機会でしょう」
ナナの声には、微かな震えがあった。しかし、その震えは、恐怖からくるものではなかった。それは、故郷の空を戦火で染めることへの、深い悲しみと、それでも戦わなければならないという、強い決意からくるものだった。スガリもリノもジガルシアもそれは同じだ。
「それで、お前は何をするつもりだ?」
スガリが問いかける。無駄な言葉はなかった。
「私の目標は皇帝陛下に謁見する事。次なる戦争のために」
後に第一次太陽系戦争と呼ばれるこの戦いの序盤。帝国はナナ=ルルフェンズ率いる帝国第九艦隊の活躍により月、火星での戦闘にて重要拠点を占領。一方の第六インターナショナル陣営も木星付近での偶発的な戦闘にはことごとく勝利を重ねていた。この戦いが、宇宙の運命をどのように変えていくのか。それは、まだ誰も知らなかった。
星間戦記アンドロマキア 渡橋銀杏 @watahashi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます