君の『神様』食べさせて

黒澤 主計

カチャカチャカチャカチャ……

 今日もまた、『あいつ』がやってくる。


 どうすれば、被害を少なく済ませられるだろう。何を犠牲にすれば、今日という日を乗り切れるだろう。


 カチャカチャ、と渇いた音が鳴る。

 ああ、やっぱり現れた。


 灰色の塀を右に曲がると、『入れ歯』が小さく飛び跳ねていた。

 僕を見つけると嬉しそうに、それはカチャリと『口』を開ける。


「ねえ、君の『神様』食べさせて」





 僕は正直、うんざりしていた。

 いつまでこんな日が続くんだろうって。


「神様の話をさせてください。世の中が悪くならないよう、お話をさせて頂いてます」


 日曜日が大嫌いだった。


 僕の名前は小林こばやしユキオ。小学六年生だ。

 お母さんはいつも、僕の手を引いて外に出る。日が暮れるまで近所の家を訪ねて回って、『神様の話』というのをしようとする。


 神様。神様。神様。


 お父さんもお母さんも、いつだって『神様』を一番に考えていた。朝のお祈り。ご飯の前のお祈り。寝る前のお祈り。


「未来は、神のみぞ知るものです。だから毎日祈りましょう」

 近くの集会所で『先生』の話を聞いて、ありがたそうに頭を下げる。


 神様なんて大嫌いだ。そんなもの、消えてしまえばいい。





「ねえ、君の『神様』食べさせて」


 ある日の帰り道、アスファルトの道の上で『そいつ』と遭遇した。


 パッと見た感じは、『入れ歯』が落ちているとしか思えなかった。おばあさんなんかが口に入れているもの。それが道の真ん中に置き去られている。


「ねえ、君の『神様』食べさせて」


 カチャカチャと身を揺すり『それ』が言葉を伝えてきた。


「神様」と僕はぼんやりと声に出す。


 不気味だ、とは思った。何か良くないものだとは理解した。

 でも、なぜか『そいつ』の言葉が胸に沁みた。


 お父さんやお母さんが大事そうに拝むもの。『先生』が長々と語るもの。

 いなくなってくれればいい。ずっとそう願っていたから。


 だから、僕は静かに答えてやった。


「うん、いいよ」





 僕は自由になった。

 日曜日はゆっくりと、家の中で過ごせる。集会所のあった場所に行くと、広々とした駐車場へと変わっていた。


「ねえ、今日は出かけなくていいの?」


 試しに聞いてみるけれど、「どこに?」とお母さんは不思議そうにする。


 これは、『あいつ』のおかげなのかな。あの入れ歯みたいな奴が、本当に『神様』を食べてくれた。


 もしかしたら、あいつは『いい奴』だったのかもしれない。





「ねえ、君の『神様』食べさせて」


 数日後、また帰り道で『そいつ』と会った。


「神様?」と僕は頭を悩ませる。


 カチャカチャと、そいつは上機嫌に足元で跳ねる。


「うーん」と腕組みをし、僕は『神様』のイメージを頭に浮かべた。





 また、駐車場が増えていた。

 神社の鳥居があった場所に、今は白い車がとまっている。


「これも、食べられちゃったんだな」


 神様と聞いて最初に、神社の鳥居が頭に浮かんだ。


 図書館に行ってみる。『日本神話』とか『日本の神様』という本を探すけれど、うまく見つけることが出来なかった。


 これは、すごいことが起きている。





「ねえ、君の『神様』食べさせて」


 最近は毎日のように、帰り道に出現する。

 曲がり角の先で、入れ歯がカチャカチャと音を鳴らしている。


 どうしよう、とさすがに悩んだ。

 本当にいいのかな、と考えるようになってきた。





 図書館の棚に、隙間が増えてきた。


 神話の本や星座の本。あと、花の名前とか。そういうのにも『神様』の名前がいくつも出てきていたらしい。


「これ、やっぱりまずいよね」





 お地蔵さんが消えていた。


 近くの祠が消えていた。


 夜空の星が消えていた。


「これは、僕のせいなのかな」


 心の中に思い浮かべて、『いいよ』って言ってしまったから。





 火星はマーズ。金星はヴィーナス。月はルナ。

 どれも、神様の名前がついている。


 もしも、僕が星の名前を思い浮かべたら、きっとあいつに食べられてしまう。重力とか色々の関係があって、星が消えると地球も無事じゃ済まなくなる。


「ねえ、君の『神様』食べさせて」


 なぜか、こいつからは逃げられない。

 帰り道を変えても、なぜか先回りをしてくる。すぐに引き返して逃げようとしても、カチャカチャと音を立てながらずっと追いかけてくる。


「ねえ、君の『神様』食べさせて」


 学校の近くまで逃げたけれど、目の前に回り込まれた。


 どうしよう。

 ランドセルの紐を握りしめて、僕はじっと息を呑み込む。


 そうやって何秒間か、入れ歯と睨み合っていた時だった。


「あれ、ユキオじゃん」

 校門から誰かが出てきて、僕の方をきょとんと見る。


 そっと顔を上げ、相手をまじまじと見返す。


「あ、神林かんばやしくん」


 その瞬間、目の前から人が消えた。





 教室の中が、ガランとしていた。

 他の教室も覗いてみるけれど、やっぱり無くなっている机がいくつかあった。


 神林かんばやしくん、神山かみやまくん、明神みょうじんくん。そんな名前の人たちがいたはずだった。


「どうしよう」


 次にあいつに会っちゃったら、今度は何が消えるんだ。





「ねえ、君の『神様』食べさせて」

 相変わらず待ち伏せをして、僕に『食べ物』を催促する。


 その瞬間、僕はまた一つ『名前』を思い浮かべてしまった。





 前に、一度だけ家族で食べたもの。

 神戸牛こうべぎゅうっていうもので、白い筋がたくさん浮かんだ美味しい牛肉だった。





「速報です。兵庫県は解体され、鳥取県とっとりけんへの併合が決まりました」


 ニュースを見て、僕は唖然と口を開く。


 食べ物の連想で、神戸牛を頭に浮かべた。

 でも、消えたのは肉だけでは済まなかった。


「人口最下位だった鳥取県とっとりけんですが、一気に大都会へと様変わりです」


 兵庫県の県庁所在地。その市そのものが消えたことで、兵庫県の『地方自治』が成り立たなくなってしまったという。





「ねえ、君の『神様』食べさせて」


 逃げることは出来なかった。


 神戸に続き、どんどん『地名』を浮かべてしまう。


 古本屋で有名な『神保町』。それがある『神田』という町。

 そして、東京の隣にある『神奈川県』。


 みんなみんな、消えてしまった。





「一年って、全部で十一ヶ月だったっけ?」


 今度は『十月』が消えてしまった。旧暦だと『神無月かんなづき』。


「『お縄をちょうだいしろ』って言う時、なんて言うんだっけ?」


神妙しんみょうに』って言葉が消えた。


「他に、どんな言葉があっただろう」

 辞書を手に取り、僕は必死に単語を探す。


 目を走らせる中で、ジワリと汗が滲んでくる。


 これは、本気でまずいかもしれない。


『精神』、『神経』。


 どっちを取られても、僕はきっと生きていけない。





 これが、あいつの狙いなんじゃないか。

 あいつは僕を狙っていて、最後は僕を食べるつもりだ。


「ねえ、君の『神様』食べさせて」

 また入れ歯が現れて、僕に催促をしてくる。


 その途中、犬を散歩する人が通りかかった。

 犬は飼い主の足にじゃれついて、よしよしと頭を撫でてもらう。


 そのままゴロリと、あおむけに寝そべった。


「あ!」と思わず声が出る。


 次の瞬間、犬は姿を消していた。


『DOG』が『GOD』になったから。





『神のみぞ知る』


『神も仏もありはしない』


天地神明てんちしんめいに誓って』


 日を追うごとに、どんどん言葉が消えていく。『神様』を使った慣用句たちが消え、おそらくは一緒に『法則』みたいなものも消えていく。


 早く、なんとかしないと。





 ぼんやりと、僕は目を見開く。


「何か、考えなきゃ」


 インターネットを検索して、僕は必死に作戦を練る。

 背中の汗が止まらない。それなのに、体の内側が冷たくなっていく。


「何か、ないのか」


 テレビのリモコンに手を伸ばす。ニュースを見ようと思った。

 野球選手の姿が映る。イライラし、別のチャンネルに変えようとする。


「いやあ、まさにこのプレーは……」


 咄嗟に両目を見開かされた。

 テレビから発せられた言葉を、その場でじっと噛みしめる。


 これは、と大きく息を吐く。


「これで、あいつをやっつけられる?」





 そして、目の前が真っ暗になった。





 ぼんやりと、僕は目を見開く。


「何か、考えなきゃ」


 インターネットの動画サイトを開き、ヒントはないかと探す。

 途中でゲームの実況なんかが目に入る。「ダメだ」と画面を閉じようとした。


 でも、ハッと目を見開かされた。


「もしかしたら、これって」


 出てきた『単語』を吟味し、頰が熱くなるのを感じる。


「これで、あいつをやっつけられる?」





 そして、目の前が真っ暗になった。





 ぼんやりと、僕は目を見開く。


「何か、考えなきゃ」


 あいつが再び現れる前に、作戦を見つけないと。

 本棚から漫画を取り出す。パラパラとそれをめくってみた。


 途中で「あ!」と声が得た。


「これで、あいつをやっつけられる?」





 そして、目の前が真っ暗になった。





 ぼんやりと、僕は目を見開く。


「何か、考えなきゃ」


 あいつが再び現れる前に、ちゃんと対処方法を考えないと。

 でも、何も浮かんでくれなかった。


 どうしたことだろう。


 僕は、『何か』を思いついた感じがあるのに。でも、それがなぜか思い出せない。

 ほんのちょっと前に、僕は『いい作戦』を閃いたんじゃないか。


「思い出せない」


 頭の中が、空っぽだった。

 明らかに、おかしなことが起きている。ほんのちょっと前に、僕の身には何が起きた。


 僕は何を思いついて、その先でどうなった?


 そんな風に、頭を悩ませた時だった。


 カチャリ、と部屋の隅で音がする。


 いつの間にか、『あいつ』が姿を現していた。


 窓は開いていない。ガラスが破られた痕もない。それなのに、『入れ歯』が部屋の中へと侵入していた。


 カチャカチャと音を鳴らし、上機嫌に僕へと近寄る。


「ねえ、君の『神様』食べさせて」





 ただ、走ることしか出来なかった。

 相変わらず、頭は何も生み出さない。


 靴も履かず、アスファルトの道をただ逃げ回る。その間もずっと、カチャカチャという音は耳元で鳴り響いていた。


 なんなんだよ。どうしてなんだよ。

 何かないのか。いい案は。作戦は。


 僕に力があればいいのに。今すぐにでも、あいつを倒せる何かがあれば。


神業かみわざ』とでも言えるような、すごい何かが出来さえすれば。




「ああ!」と咄嗟に大声が出た。


 走るのをやめ、背後の入れ歯をじっと見下ろす。


「もしかして、僕は」


 こめかみを汗が伝っていく。ここも確か、『神が宿る』と言われる場所だ。


 僕は今まで、何をしていたか。

 僕はずっと考えていた。こいつを倒すためのアイデアを。


 そして、『作戦』はしっかり浮かんでいた。

 だから、勝てるはずだって思っていた。





 テレビを見た。野球選手が映っていた。


「このプレー、『かみってます』ねえ」


 アナウンサーが口にした言葉で、僕はすぐにピンと来た。

 これを使えば、あいつを倒せる。


 だからすぐに、『実行』してやった。


「君の食べっぷり、本当に『かみってる』ね」


 そう言って、僕は勝利を確信した。

 あいつに自分自身を食べさせる。それで全てが解決。


 まさに、『神対応』だと得意になった。





 インターネットの動画サイトで、僕は単語を見つけた。


『神ゲー特集』という言葉を。


 これを使えば、あいつを倒せる。


「もし、君が登場するゲームがあったら、『神ゲー』になっただろうね」


 そう言って、僕は勝利を確信した。

 あいつに自分自身を食べさせる。それで全てが解決。


 まさに、『神展開』を作れたと思った。





 漫画を読んで、僕はハッと気付いた。


『神ムーブ』という言葉が出てきた。


 これを使えば、あいつを倒せる。


「君の動き、まさに『神ムーブ』だね」


 そう言って、僕は勝利を確信した。

 あいつに自分自身を食べさせる。それで全てが解決。


 まさに、『神アイデア』を出せたと思った。





 たしかに僕は、作戦を思いついた。

 その度に、すぐに実行していたはずだった。


 でも、その場で記憶が途切れている。


「もしかして、僕は」

 右手を額に当て、僕は大きく息を乱す。


 僕は気づいてしまっている。『神』という言葉の使い道。


 辞書に載っている言葉は少ない。でも、現代では『神』がやたらと多用される。『神対応』、『神アイデア』、『神作品』、『神ってる』、『神店員』。


 神という言葉は、『何にでもくっつく』ということに。

 それで勝てるはずだと思い込んだ。


 でもその瞬間、僕はすぐに考えてしまう。


 僕のそんな発想こそが、まさに『神がっている』と。


 そして、目の前が真っ暗になった。





 僕は生きている。ちゃんと存在している。

 でも、『食べられた』瞬間も経験している。


 これは一体、どういうことだろう。


 今も目の前では、あいつがカチャカチャと音を立てている。今までも色んなものを食べてきて、この世界を滅茶苦茶にしていった。


 今まで、僕が見てきたものはなんだったのか。


 次の瞬間、カツンと入れ歯が音を立てる。

 グラリ、と目の前が揺れ動く。


「もしかして」と声を出す。


 これまで、こいつが口にしたもの。この世から消したもの。


『神のみぞ知る』


 数日前に、こいつはそんな言葉も食べてしまった。


 でも、消えたのはきっと言葉だけじゃない。


(未来は、神のみぞ知るものです)


 前に、集会で『先生』が語っていたものだ。これから先で起こることは、神様でない限りは知ることができない。だから人間は祈ることしかできないと。


 でも、『その法則』が消えてしまった。


「つまり、僕が見てきたものは」


 未来を知ることができるのは神様だけ。そんな『事実』をこいつが食べてしまっていたとしたら。


「僕は、未来を見ていた?」


 呟くと、カチャカチャカチャ、と入れ歯が嬉しそうに音を鳴らす。


 きっと、間違いない。

 僕は、何度も『アイデア』を思いついた。その度に、それを実行したらどうなるかという『未来』を見ていた。


 何度も何度も、こいつに食べられてしまう未来を。


 膝が震えてくる。今すぐにでも地面に手をつきたくなる。

 こんなの、どうすればいいんだよ。


「僕は絶対、こいつに勝てない?」


 こいつを倒そうとアイデアが出れば、それは『神がかったもの』となり、僕自身が『ペロリ』とやられる対象になる。


 そういう風に、出来ている。


 目の前が真っ白になりそうだった。素早く頭を振り、両手の拳に力を込める。


 まだだ。まだ、何かできることがあるかもしれない。

 とりあえず、僕は『未来』を見ることが出来る。『神様』にしかできないはずのことを。


 だから、こいつに対抗することだって。


「ああ!」


 そこまで考えたところで、思わず叫び声が出た。


 まずい! まずい! まずい!

 僕は今、気づいてしまった。


「待って!」と声が漏れる。


 その直後に、目の前の入れ歯が跳び上がった。





 僕はもう、助からない。

 今、僕の身に起こっていること。僕が気づいてしまったこと。


『神のみぞ知る』という言葉が消え、僕は未来が見えるようになった。

 今の僕は、人間を越えた感覚を持っている。


 僕という人間が見る世界。それは本来、『一人称』で記される世界。


 それなのに僕は、別の『視点』を持っている。『もしも』の選択をした時に、僕がどんな未来を迎えるか。神様しか見ることのできない、特殊な広がり。


『神様視点』というものを。


 もう、よけきれない。


 僕のすぐ目の前に、入れ歯が迫ってきていた。

 カチャカチャカチャ、と嬉しそうな音が鳴る。





 はい、ペロリンチョ!

                                     (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君の『神様』食べさせて 黒澤 主計 @kurocannele

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ