二の舞

小紫-こむらさきー

私が踏んだもの

 足裏に激痛が走り、舌打ちをする。

 周りを見てみればミサキが作りかけのブロック工作があちこちに散らばっていた。


「ねえ! 片付けてって言ってるでしょう?」


 落ちていたブロックを拾ってゴミ箱へ投げ入れる。カランカランという硬い音を立ててプラスチックの小さなゴミ箱の底へ小さなブロックが当たった音がした。

 どすどすと足音を立てて娘に向かって歩いて行く。小さな肩がビクリと跳ねるのが見えて「返事をしないクセに一人前に怖がりはするんだな」と苛立ちが腹から湧き上がってくる。

 ちょこんと飛び出ている二つ結びの髪束を掴もうとする自分を抑えて、娘の小さくて華奢な肩を掴んで思いきり引っ張った。ごろんと転んだ娘の頭がごちんという音を立てて床へぶつかる。なんで転んだときに手をつかないんだよと思ったけど、その言葉を呑み込んで私は息を吸った。


「片付けをしなさいっていったでしょう?」


 罵倒したい気持ちを押し殺しながら、そう言葉をかける。転がってしばらく呆然としていた娘の顔がくしゃっと歪みじわりじわりと目の端から涙がこぼれ落ちてくるのが見える。

 思いきり今、この子の顔を足で踏みつけられたらどんなにすっきりするだろうと考えながら必死でそんなことはしていけないと自分へ言い聞かせる。目を閉じて深呼吸をする。それから「あんな人母親と同じになってたまるか」と心の中で思い浮かべて再び目を開いて大声で泣いている娘を見下ろした。

 涙も涎もべちょべちょだし、鼻水も垂れているのに起き上がってティッシュで拭こうともしない娘に苛つきながら、大声で泣いた娘を見下ろして私は言葉を続けた。


「レゴ! お母さん踏んじゃったの! 片付けなさいって言ったよね?」


 娘はイヤイヤと首を横に振るだけで話を聞こうともしない。私が子供だった頃ならあの人母親は私の髪の毛を掴んで引きずり回しただろうし、思いきり頭を拳で殴っただろう。握りこぶしで思いきり頭を殴られるとごちんという硬いものがぶつかった音が頭の内側にまで響くし、チカッとまぶたの裏側が光る。痛ければ泣くのは当たり前だというのにあの人母親は「泣いて許されようとするんじゃない」と言って何度も、何度も私の頭を殴りつけて、気が済むと「もう好きにしなさい。お母さんは知らないから」と離れていった。

 私は、そんなことはしない。怒鳴る代わりに大きな溜め息を吐く。罵詈雑言を我が子にぶつけるわけにはいかないから。

 それからしゃがみこんで、娘の腕を引っ張って上半身だけでも起き上がらせる。泣き続けている娘はこちらの話を聞きたくないというようにも見えてイライラするけれど、頭をぶつけて痛がっているだけだと自分に言い聞かせて握りしめた拳を振り下ろさないように耐える。


「次、散らかしっぱなしにしたら捨てるっていったよね? なんでわからないの? お母さんレゴ踏んですっごく痛かったんだよ。ミサキちゃんは酷い子だよね」


 冷静に私が痛かったことや、約束を守らなかったことを諭そうとするけれど娘は話を聞かずに癇癪を起こして奇声をあげて首を横にイヤイヤと振り始める。

 私がどんなに我慢しているかを知らないくせに。あなたは私が子供の頃よりもずっとずっと幸せなくせに何が気に食わないの。

 私は泣きっぱなしの娘から離れて、娘のテーブルに飾られていたレゴで作った小さな家を手に取った。約束を守らなかったのなら、酷い目に遭うというのを教えなければいけない。

 夫と娘が苦労して作ったレゴの家はお小遣いを貯めて買ったきらきらしたビーズで飾られていてお気に入りの人形をよく遊ばせたりしている。でも、約束を守らなかった娘が悪いんだ。この家で遊んでいる娘を思い出して少し胸が痛む。でも遠くから聞こえてくる娘の泣き声を聞いて、心を鬼にすることに決めた。約束を守れないのなら、悪いことが起こるのは仕方のないことなんだ。


「約束を守らない悪い子だからこうなるのよ!」


 娘の前へ家を持っていく。一瞬泣き止んだ娘が私が持っているレゴの家へ手を伸ばした。

 その手を払いのけ、私はレゴでできた家を思いきり床へ叩き付けた。

 やわらかそうなぷっくりした頬が赤くなり、また娘の顔がくしゃっと歪められる。こうして泣けば約束を守らなかったことがなしになるわけじゃない。


「ミサキが悪いのよ! 今度から約束は守りなさい!」


 何度も何度も床へレゴのオモチャを叩き付け、それから近くのゴミ箱へ思いきり振りかぶりながらレゴブロックを投げつける。

 硬い音と子供の絶叫が響いて地獄絵図だ。私の足に縋り付いてきて「ママ! やめてよ!」と言ってくる娘を無視して、ゴミ箱へどんどんレゴを放り込んでいく。カツンカツンカツンガシャンと音がしてレゴの家はどんどんゴミ箱の中へ入っていく。

 泣き叫ぶ娘に「あなたが悪いの! 悪い子には罰が必要でしょ!」と言い聞かせるけれど、娘は聞く耳も持たずに私の手からゴミ箱を奪い取ろうとする。


「それなら最初からレゴを片付けておけばよかったでしょ!」


 そういって娘からゴミ箱を取り上げた瞬間、ガラス窓に映った自分に気が付いてふと我に返った。

 鏡に映っている自分は鬼の様な形相をしていて、髪を振り乱していて、あの日の母親のようだった。

 泣きながら何度も何度も「ごめんなさい」といっている娘が、お母さんに殴られて、それでもお母さんの足に縋り付いて殴られていた自分と重なった。


「……もしかして」


 娘に、暴力だけは振るわないようにって思っていた。

 ずっと、あの人母親みたいにはならないようにって。

 実際、暴力を振るっていないと思い込んでいたけれど……と自分の行動を省みる。

 子供の肩を強い引っ張って、転ばせた自分、乱暴に娘の腕を引っ張った自分、娘の大切なものをわざわざ目の前で破壊する自分……それは殴ってはいないけれど、あの人母親がしていたことと変わらないんじゃないか?

 力なくへたり込んだ私は、娘を抱きしめながら力なく「ごめんね」と言うだけで精一杯だった。

 私が踏んだものはレゴでは無く、きっと、もっとどうしようもないものだ。



二の舞―完―

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二の舞 小紫-こむらさきー @violetsnake206

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