白南宮の夢告げ

安崎依代@「比翼」漫画①1/29発売!

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。


 内容そのものは、大したものではない。とある馴染みの……いや、馴染みというほど親密な相手ではないので、顔見知りとでも言うべきか。そんな相手と顔を合わせて、一言二言一方的に話しかけられるといった夢だ。


 問題なのは、この夢を見た後に呈舜ていしゅんの身に降りかかる様々な事柄の方である。


「うーん」


 螢架けいか呈舜は悩んでいた。五里霧中というは、まさにこういう心境のことを言うのかもしれない。


「なーんかしっくり来ないんだよなぁ……」


 呈舜の独白は、人気ひとけがない書庫の薄闇の中に溶けて消えていく。


 呈舜は宮廷書庫室の長であり、ほぼ唯一の管理人だ。三十路半ばといった外見をしているが、実年齢はそれよりもかなり上である。この書が埋め尽くす場所で、書に埋もれるように生きている。ちなみにこの生活は呈舜が理想とするものに近いので、現状に不満は一切ない。


 その心地よい静寂の中に、呈舜は誰に聞かせるわけでもない独白をこぼし続ける。


「何だ? 何なんだろう? いつも通りの『あの』夢だったと思うんだけども……」


 どこともつかない雪原の中に、たわわに実をつけた南天の木があって。その枝の上には、紙のように白い衣を頭からかずいた幼女が座している。


 クスクスと笑った幼女は、はるか高みから呈舜を見おろして言うのだ。


『また動くわね』

『貴方の運命が、また動くわね』

『貴方の書は、またどうやって変わっていくのかしら?』

『楽しみね、楽しみだわ』


「……あ」


 そこまで夢の軌跡を辿たどった呈舜は、ふと今朝見た夢と常の夢との違いに思い至る。


「笑って、なかった?」


 そうだ。今朝の夢の中に現れた『彼女』は、笑っていなかった。


 言葉はいつも通りのまま。だけどいつもそこに絡むように聞こえていたクスクスという無邪気な笑い声が、今回だけは聞こえなかった。まるで何かに緊張しているかのように、彼女の口元は少し強張っていた。


「……えー?」


 筆頭書記官抜擢の宣旨が降ってきた日も。初めて剣で刺されることになった日も。無二の友を断罪し、その果てに失うことになった日も。


 筆頭の座を降りた日も。書記官を辞し、名を捨て、この部屋にやってくることになった日も。


 呈舜の人生の節目になる事が起きる時、彼女は必ず呈舜の夢に現れた。


 しかし彼女は常に笑っていた。


 呈舜の書を見初め、呈舜に未来永劫書を書かせるために命の終わりを奪っていったの神は、呈舜の人生に降りかかる諸々を『書の風味を変える調味料』程度にしか捉えていない。


 その諸々を経た呈舜の手跡にどんな味わいが加わるかを楽しみにしているだけで、特に呈舜を助けようとか、虐めようとか、そういった意味は微塵もないのだと呈舜は捉えている。


 そんな彼女が、今回だけは何かに怯えているかのような気配を見せた。


「えー、ちょっと何ぃー? 怖いんですけどもぉー。何が起きるっていうのさぁー」


 呈舜は全力でぼやいてみせるが、その声に答えてくれる者などこの場にはいない。書庫室所属として籍を置いている人間は呈舜以外にも存在しているはずなのに、思い返せばここ数日、誰の姿も見た覚えがなかった。


 ──あ。


 そこにも不満を覚えた瞬間、呈舜はとあることに思い至って背後を振り返った。その先にある景色を眺めた呈舜は、内心だけで『あちゃー』と呟く。


「いい加減に何とかしなきゃ、この山……」


 呈舜の視線の先には、本来ならばこの空間の正面入口である大扉が見えるはずだった。だが今は大扉の目の前に積み上げられた書物の山により、扉がほぼ見えない状態になっている。


 ここ数日、人の出入りがなかったのは間違いなくこれが原因だ。そもそも出入口が埋まっているのだ。人が入れるわけがない。


 ──マズい。確か近日中に新人さんが派遣されてくるんじゃなかったっけ?


 何でも、こんな『閑職の代名詞』とも呼ばれている宮廷書庫室に自ら志願してやってくることになった変人……もとい、熱意のある人間が現れたのだという。そちらに寄越すからきちんと指導するように、というふみをしばらく前に受け取っていた。


「……『来たはいいものの中に入れません』なんて、さすがに可哀想だもんなぁ」


 確か、新人さんの名前は……


未榻みとう甜珪てんけい君」


 未榻甜珪と言えば、書庫室に引きこもっている呈舜でさえ名前を知っているような有名退魔師であるはずなのだが。


 そんな人物が自ら志願して書庫室の司書になるとは、一体何があったのだろうか。もしくは同姓同名の別人なのだろうか。


「まぁ、人にはそれぞれ、抱えてるものがたくさんあるからね」


 しばし思いを巡らせた呈舜だったが、あまり長く考えることはなかった。


 事情を抱えてこの場所にいるのは呈舜だって同じだ。いきなりそこを突っ込むなど、失礼極まりない行為だろう。


 ──何はともあれ、この山を何とかしないと……


 あっさりと見切りをつけ、改めて椅子から腰を上げた、その瞬間だった。


 ギイッという普段よりも鈍い音とともに、呈舜の視線の先で大扉が開かれる。その隙間から一条の光が差し込むのと、扉にもたれかかることで均衡を保っていた書物の山がグラリと不穏に揺れるのはほぼ同時だった。


「ちょっ!」


 その光景に、呈舜は顔を引きらせる。


 だが崩れてしまった均衡は決して元には戻らない。


「え、うわぁっ!」


 間抜けな悲鳴を上げながら、呈舜は本の雪崩なだれに飲み込まれた。その向こうから耳慣れない誰かの鋭い声が響いたような気がしたが、見事に本に圧殺された呈舜にその声の主を確かめるすべはない。


 ──書に埋もれて死ねるのは、書馬鹿の本望……


 そんな戯言ざれごとを胸中で転がしながら、呈舜はしばし意識を手放したのだった。



  ✻ ・ ✻ ・ ✻



『また動くわね』

『貴方の運命が、また動くわね』

『貴方の書は、またどうやって変わっていくのかしら?』

『楽しみね、楽しみだわ』


 そう呈舜にささやきながらも、白南宮はくなんぐうの神はこの出会いに口元を強張らせていた。


 その理由を、呈舜は後になって察することになる。


 ──多分、彼女をしてでも恐ろしい存在なんだろうな、未榻君って。


「? 何をボンヤリしてやがる」


 ふと、甜珪と初めて顔を合わせた時のことを思い出したのは、そろそろ彼と出会って季節が一巡りするからなのかもしれない。


「いいや」


 今日も鋭い視線を呈舜に飛ばしてくる有能で厳しい部下に、呈舜は苦笑を浮かべてみせる。


 文武両道博学多才、前評判通りに玻麗はれい最強の退魔師であった彼は、前評判とは違って情に厚くて義理堅く、思っていた以上に等身大の青年だった。


 書を愛し、周囲の人を愛し、しかしその愛情を表に出すことを恥ずかしがる。この世で唯一、体質的に呈舜の『同朋』とも言える彼に、呈舜は一目も二目も置いている。


「良い出会いに恵まれたな、と思って」


 きっと彼との出会いを経て、彼と一緒に様々な事件を乗り越えて、己の『書』はまた一段と良い方向に深みを増したことだろう。


 具体的なところは分からないが、呈舜はそんな風に思っている。


「は? 何を唐突に。何か良い書でも手に入ったのか?」


 だというのに、呈舜にそんな変化を与えた当人は、眉間にシワを寄せて呈舜を睨みつけている。


『何の話をしているのか分からん』と言いたげな甜珪に、呈舜は思わず笑ってしまった。呈舜が詳しく事情を話すつもりがないことをその笑みで察したのか、甜珪は呆れの溜め息をつきながら身を翻す。


「無駄遣いすんなよ」

「はいはい、大丈夫だよ」

「『はい』は一回」

「はーい」


 呈舜の気が抜けた答えに一瞬ギロリと凶悪な視線が飛ぶが、呈舜はそれを肩のひとすくみでかわした。


 整理整頓がなされ、心地よい風が抜けるようになった書庫室の外では、桃花が盛りを迎えていた。


 彼と過ごす二巡目の季節が、幕を開ける。

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