第8話
裸足のまま外へ飛び出した私は、玄関から真っ直ぐ続く道を止まらずに進む。
足はもう限界を迎えそうだ。
立っていることさえ難しいのに、片足だけでここまで来れたことに自分でも驚く。
向こうから歩いてくる人が目に入った時、私はそこでようやく動きを止め、しゃがみ込んだ。
その人は駆け寄って来て、何やら私に話しかけている。
雨の中傘もささずにびしょ濡れで、制服姿に裸足、体には傷がある。
しかもその場に茫然自失でうずくまっていたら、誰でも声を掛けるかもしれない。
だが、私の耳にその人の言葉は一切入ってこなかった。
私は返答もせずに、後ろを振り向いた。
いない。
あいつは追って来ていない。
逃げられたんだ。
私はあいつから逃げ切った。
家から随分遠くまで来たように思っていたが、さほど離れてはいなかった。
片足を引き摺っていたのだから無理もない。
ここから充分に家の様子が見える。
玄関のドアは閉まっている。
そして、私は二階の自室の窓を見上げた。
いつも私が外を見ていた窓に、あいつらしき人影が見えた。
あいつは家の外までは追ってこれない。
だからあそこで私を見ている。
そうでなければ、今頃私を追いかけてきているはずだ。
…あの部屋の中に、ママと圭ちゃんの遺体がある。
警察に通報しなければ、そう思ってスマホを探すが見当たらない。
あの部屋に置いてきたみたいだ。
再度二階の窓を見上げた私は異変を感じ取った。
まだ人影はある。
それは変わらない。
だが、その人影が片手でこちらを指差しているように見えた。
その直後、玄関のドアが勢いよく開いた。
「咲希、何処へ行くつもりだ!帰ってきなさい!」
父が叫んでいる。
反射的に私は逃げ出した。
だが、左足に激痛が走り思うように走れない。
父の声が後ろに迫ってくる。
腕を掴まれ、私は半狂乱に泣き叫んだ。
「やめて!離して!手を離して!」
「咲希、家に帰るよ。」
「ちょっと。嫌がってるじゃないですか。」
さっきの人だ、この人に賭けるしかない。
「お願いします、助けてください!」
「ほら、暴れてないでこっちに来るんだ。」
父は無視して私を家の方へ連れて行こうとする。
「やめてあげてくださいよ!」
私を掴んでいる手を解こうとしたが、父はあろうことかその人に殴りかかり、そしてまた私を引きずりだした。
「誰か!助けてください!」
助けを求め絶叫する。
「嫌だ!許して!」
近所の人が数人訝しげに何事かと出てきてくれた。
「お願いです、たすけ
手で口を押さえられ、言葉が遮られてしまう。
「皆さん、迷惑をかけてすみませんね。不出来な娘が家出をしようとするので連れ戻しているんですよ。」
「どうかお気になさらず。」
「咲希、いい加減にしなさい。」
父が玄関のドアを開けて中に引きずり込もうとする。
嫌だ。
奥の階段を足早にあいつが降りてきている。
死にたくない。
もう廊下のすぐそこまであいつが迫ってきている。
死ぬのが怖い。
しかし、どれだけ暴れても振り解くことは叶わなかった。
逃げたい。
遂には体力が尽き、全身から力が抜けた。
こんなこと、信じたくない。
私は、固く目を瞑った。
だがその時、動きが突然止まった。
体が誰かに抱き抱えられている。
「やめなさい!その手を今すぐ離しなさい。」
意識が朦朧とする中、数名の警察官が父を抑え込もうとする様子が目に入った。
そして、私はそのまま意識を失った。
目を覚ますとそこは病室だった。
そうか、私。
今度こそ本当に逃げられたんだ。
私の意識が戻ったことは、看護師からすぐに警官へと連絡がいったようだ。
体調が戻り次第すぐに事情聴取が行われること、そして父が現行犯で捕まったことを知らされた。
家の中から二人の死体が発見されたことで、父に容疑がかけられているとのことだった。
「一つだけ確認したいことがあるんだけど、いいかな?」
「はい。」
「君の家の惨状、あれはお父さんがやった事かな?」
「…。」
「大丈夫、ゆっくりでいいからね。」
「…。」
私は静かに口を開いた。
「…そうです。」
「もう一度聞くよ。君のお父さんがやった事で間違いないんだね?」
「はい、間違いありません。」
嘘をついた。
もちろん、父ではなく全てあいつがやった事だ。
でも、警察にその話は出来なかった。
あの女の話をすれば、恐らく私にも疑いの目が向けられる。
精神に異常をきたしていると見做され、私の言葉に信用がなくなる。
現時点では私も捜査対象に入れられているだろうが、恐らく警察は父を犯人だと推定している。
私の証言でそれはより一層固まることだろう。
おまけに私の体には傷があり、父が私を無理やり引っ張る様子も目撃された。
明らかに私は被害者だ。
こうする他なかった。
事情聴取を終えてからしばらく経った後に、正式に殺人の罪で父に逮捕状が出されたことを知らされた。
この事件は全国ニュースとなり、猟奇事件として大々的に報じられた。
父は逮捕されて以降、黙秘を貫いているみたいだ。
きっと刑が執行されても一言も喋らないのだろう。
家族も、住む家も失った私は遠い親戚の家にお世話になることとなった。
会ったこともない他人と暮らすことになるが、この土地を離れられるのならそれ以上のことは望まない。
独りぼっちで生きていくことに意味があるのかどうかは正直わからない。
でも、この命は私の大切な家族に救われたものだから。
私の。
大切な。
家族に…。
あれ。
どうして視界がぼやけているのだろう。
急に目の前が真っ暗になった。
何も見えない。
体が動かない。
腕を誰かに掴まれている感覚がある。
「咲希、おかえり。」
なんで。
どうしてパパの声が聞こえてくるの?
「咲希が帰ってきて、お母さんも喜んでるみたいだよ。」
ママ?
ママがいるの?
そうか、私は瞼を閉じていたのか。
だから暗かったんだ。
ママに会いたい。
圭ちゃんにも。
「ママ?」
目を開けると、そこは家の中だった。
なんであの日の光景が。
そして、目の前に人が立っている。
そこで私は全てを理解した。
ああ。
警察の人も、何もかも。
私の。
眼前に立つそいつが、私の顔を覗き込んできた。
その顔は真っ黒に染め上げた歯を見せながら、満面の笑みを浮かべていた。
家族 @ryoryotarou
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