第4話

 小屋から出てミツ子を追いかけたとき、あまねは先回りして霊能者と名高い尼の寺へ行き、彼女に乗り移った。実はこの僧はかなりのインチキで霊感はほとんどなく、今までに解決した事件はすべてやらせであり、その真相がリークしないよう周到に金で口封じしていたためバレなかったが、あまねはその顔を一目見たときすべて見抜いていた。憑依しているあいだは霊気を消していたので、ミツ子には気づかれなかった。手渡した札も、霊を撃退どころかなんの効果もないただの白紙でしかなく、レストランで散り散りで消滅したのは全て演技で、ミツ子が消防隊に連れ去られるまで、壁を抜けて店の裏に潜んでいた。

 和美が通りがかったとき寺で聞こえたのは、あまねが抜けて気絶した住職を小僧たちが見つけ、あわてていた騒ぎ声だった。


 ミツ子は放火と器物破損の罪に問われたが、言動があまりにおかしいので精神鑑定を受けた。そして重度の疾患をわずらっているとわかり、知る者は監獄とも呼ぶ、鉄格子のはまった閉鎖病棟に入れられた。後日、面会に来た和美に、彼女は「心配すんなよ、お前は私が絶対に守るからな」と笑顔で言った。その明らかに常軌を逸した目に、和美は泣きそうになった。





「そなたのおかげで、私は極楽浄土へ参れるのです。まことに、ありがたきしあわせ」

 母が入院して数日後の晩、小屋の近くの山中である。命を救ってくれたことに感謝し頭を下げまくる和美に、あまねは逆に頭を下げてそれが繰り返され、お礼合戦という大変和風な光景になった。が、武士といえどそれに勝つ気はなく、あまねの方から切り上げた。なお、和美は短髪に黒のポロシャツ、ジーパンという男のいでたちである。

「でも僕は何もしてませんが」と和美。「どうして、僕のおかげなんですか」

「そなたの、和美どのの存在自体が、この身を救ってくれたのです」

 そう言い、あまねは身の上を話しだした。


「わたしは、今から五百年あまり前の戦国の世に、この地で生まれました。貧しい百姓家の次女でしたが、幼きころからチャンバラごっこなどをし、血気盛んで剣術の才があると言われ、隠れて城下町で武芸などを学びました。

 やがて潘の足軽大将に気に入られ、合戦に参加するほどになり申したが、武勲をあげるたびに、ほかの男武士たちにねたまれることたびたび、争いになったこともござる。


 私の名である『あまねの君』は、私が女でかつ美形であることを皮肉り、揶揄する意味で、心ない連中から『おや、これは、あまねの君ではないか』などと、貴族の呼び方をされたのが始まりです。すぐに、それが通り名になってしまい、不本意でしたが、いちいち反論するのもせんなきこと、とあきらめました。それでも大将だけは、ほかの武士と同じく『あまね殿』とお呼びくださり、とてもありがたいことでした。


 しかし、私が女の身で手柄を立て、大将から気に入られることを面白くないと恨む者も少なからずいて、ついにある晩、人気のない野原に呼び出された私は、卑怯にも後ろから斬られて、果てたのでございます」

 眉をよせる和美に、寂しい笑みを向けると、あまねは続けた。

「また悪いことに、亡骸は陣地から遠いこの地まで運ばれ、そのまま打ち捨てられました。そう、わが軍の営地はここではなく、私はこの地で死んだのではありませぬ。おかげで私は臆病風に吹かれて逃げたことにされてしまい、埋葬も供養もされなんだ。そのままなら、きっと私はすさまじい恨みで悪霊になったことでしょう。


 ところが、途方に暮れる私の前に、天上からまばゆい光がさし、人の形が現れました。それは、ありがたく神々しい仏さまのお姿でした。御仏は、生前の私は見たこともないほどの、お優しいお顔で、こうおっしゃいました。『あまねの君よ、そなたはこのままでは、かつてないほどの害ある魔物になり果てるだろう。だが、そなたが極楽浄土へ行ける、ただひとつの道がある。この地に、いつかそなたと同じ境遇の者が現れる。その者を救うことが出来たら、そのときこそ、そなたの恨みは浄化され、天へ昇ることができよう。私は、そなたを憐れみ、この役目を託すのである』と。


 ありがたきお言葉ではあったが、そのような者が、それも都合よくこの地になど、めったに現れるものではない。それでも私はここで、五百年あまりも待ち申した。そして、ついにそなたが、平川和美どのが、ここへ、この地へ、やってこられたのだ。この私と同じ、異性の真似をしたことで命を奪われる運命を持つお人」

「そ、それで俺を、あんなにも一生懸命に助けようと……」

 和美はうつむいた。

「すみません、なにも知らなくて、俺、あんなに邪険に……」

「いえ、どうかお気になさらずに」と微笑するあまね。「こちらも言葉が足りず、そなたを怒らせたうえ、強引に憑依までいたした。ご無礼のほど、お許しくだされ」

 彼の顔が和らいだので、あまねはほっとした。

 だが彼女には、ある懸念があった。


 和美の母であるミツ子も、いつかは症状が和らいで退院するだろう。今は確かに異常な状態だが、仮にそうでなくても、たとえば、もし和美に彼女が出来た場合でも、やはり同じように殺害しようとするのではないか? なんせ極度のファザコンなうえ、独占欲の塊である。別の女性に快く息子を渡すとは思えない。だが、そのときにならないとわからないのも確かだ。もしや入院中に人が変わって、交際を認める可能性もなくはない。

 いずれにしろ、彼が誰かを愛したそのときこそ、彼は人生最大の試練に立たされるだろう。それなのに自分だけが、のうのうと成仏してしまって、いいのだろうか。


「ありがとうございます」

 不意に言われ、はっと顔をあげると、そこにはきりりとした男の顔があった。

「ぼくは、あまねさんに救われたことで、これからの人生、どんなことも乗り越えていけそうです。まあ、母はあんななので大変ですが」と、苦笑し頭をかく和美。

「本当に、大丈夫でござるか?」

 真顔で聞くあまねに、和美は変わらず凛として言った。

「はい。何百年もの昔に、同じ苦労をしたあなたと、この僕を仏さまが引き合わせてくれたんです。だからきっと仏さまは、僕のことも、今どこかで見ていてくださるはずです。だから、きっと大丈夫。安心して成仏なさってください」

 そして満面の笑みになる。それは月明かりを浴びて、輝くように美しかった。それを見て、あまねの目は見開いた。

(あ……!)(仏さま……!)

 全ての懸念は吹き飛び、心がいっぺんに安らいだ。


「もう行く時間です」

 あまねが言って身を引くと、和美の笑みは寂し気になった。

「お別れですか」

「はい」

「本当に、いろいろと、ありがとうございました」


 青黒い天が裂け、白くまばゆい光の筋が降りてきた。それは地上に達するとあまねを包み、すーっと雲間にまで引き上げた。月明かりの下で見上げる和美が見送るなか、あまねの君は天上へと消えていった。何百年もの時を経てやっと得た、真の安らぎに満ちた顔で。







「あまねく」

 その意味は、「広く、全てにわたり及んでいること」

 それは、小さな取るに足らぬことまで、漏らすことなく救い上げる神の所業である。(「あまねの君」終)

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あまねの君 闇河白夜 @hosinoka

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