三鷹博士が考察する「きみは幸せでしたか?」

愛田 猛

一行に込められた謎、または意図について

三鷹博士の考察「きみは幸せでしたか?」考察


ここは、三鷹万物研究所の1室である。わけのわからない機械や道具、それから沢山の本がところ狭しと置かれている部屋で、所長である三鷹博士は、吉祥寺助手と今日も講義あるいは議論をしている。


碩学の三鷹博士の研究範囲は多岐にわたる。クワガタの生態から、料理から、生成AIまで、万物のあらゆることに興味を持ち、研究しているのだ。


今日のテーマは「きみは幸せでしたか?」である。


「『きみは幸せでしたか?』と言うフレーズには、短いながらもいろいろな論点が存在している。今日はそれを語っていこうと思うんだがどうかね?」


年齢不詳だが態度はとても大きい三鷹博士は、まだ若い青年の吉祥寺助手に言う。


吉祥寺助手は、いつものことなので慣れた口調で答える。


「博士、こんな1行でどんな話ができるんですか?まずはお伺いしたいです。「


このあたりのやりとりもほとんどいつものことだ。


博士は語り出す。

「まず、『きみ』と言う二人称について考えよう。今回は「卵の黄身』などは除外だ。あまで二人称として考察する。」


「まあ妥当ですね。議論がとっちらかっても困ります。…それもいつもですけど。」

慣れた感じで先を促す。


「日本語における二人称問題と、私が呼んでいるものだ。」」


「先生が言ってるだけなんですか。それって広く知られた問題なんでしょうか。例え物理の三体問題とか、地図塗り分け問題みたいな?」」


吉祥寺助手が突っ込むのもいつものことだ。


「『きみ』、と言うのは日本語での二人称だが、対応する。一人称はなんだ?」


吉祥寺助手が答える。「僕でしょうね」


「そうだな。では君は最近『僕』と言う単語を使っているかい?」


ちなみに吉祥寺助手は男である。


「うん、どうでしょうね。目上の人に対して…まぁ例えば先生ですね。だいたいは『私』と使いますし、友人との間では『俺』とか言いますね。言われてみれば、『僕』と言うのは最近はあまり使わないような気がします。昔の方がよく使っていたんじゃないですかね?」


「その通りだよ。話を戻そう。君と言う二人称はどういう間柄で使われるかい


さっきから先生が『君』と私に対して言ってますよね。上の人が下の人を呼ぶイメージがあるのかな?」


「良いところに気づいたね。今でも会社で上司が部下に対して『私は君のことを評価している』とか、『君の転勤が決まったよ」みたいに『君』と言う単語を使うだろう。


ただ部下が上司に向かって、『君』と言う単語を使う事は無いよな。」


「そうですね。という事は、最近は下の者に使う単語になっているんでしょうか?


「そもそも、もともと『君』と言う単語は、尊称なんだ。若君とか光る君へとかね。」


三鷹博士はゆっくりと言う。

「そもそも、『君』というのは二人称ではない。三人称としての尊称なんだよ。


他の例としては、『君が代』だな。


この場合の『君』と言うのは帝(みかど)を指すんだ。『代』と言うのは時代だよ。『が』と言うのは、『の』英語ではオブだな。 


『君がため』というのを知ってるかい?あれと同じだ。」


「あ、決まり字が六字目のやつですね。 『むすめふさほせ』のような一字決まりの札より考え方によっては難しいかもしれませんね。」


「まあ、その辺は、某百人一首コミックに任せよう。」


「広瀬すずちゃん、可愛かったですね。劇場で見てよかったです。」


「ちはやふる、というのは『神』にかかる枕詞だな。相撲取りの龍田川というのがいてだな…。」


「博士、落語の話はべつにいいです。」

吉祥寺助手が先を促す。


「君が代は国歌として法制化されている。」


「つまりどういうことですか?」吉祥寺助手が聞く。


「まぁ『君が代』が国歌として一応法律で定められてしまったが、その意味についてまでしっかり教えられる事はなかなかないない。


この歌の意味は、言ってしまえば、皇室の時代は、ほぼ永遠に続く、ってことさ。ささざれ石と言う小さい砂利が集まって大きな石(いわ)となって苔が生えるまで長く続く、あるいは続け、と言うことだよ。


つまり、これは天皇の世紀礼賛の歌なんだ。」


「へー。全然知りませんでした。でも、小さい石が大きくなるんですか?


大きな石が時間が経って小さく崩れるならわかりますが。」


「その辺は突っ込んではいけない。科学を知らない歌人の作さ。 まあ、堆積岩として、あるいは火山の熱で変成岩となることはありうすかな。 


一般的には『いわお』と呼ばれるような岩は火成岩、あるいは火山弾だ。」


「まあ、少なくとも、次世代の皇室に関しては、、いろいろ言いたい事はありますが。」



「今はその話はいいだろう。一応気に留めておいて欲しいのは、元の分『きみは幸せでしたか?」と言う場合の君と言うのも、三人称の可能性があると言うことを留意しておいてくれ。」


「そういう発想はなかったですし、多分違うと思いますよ。」吉祥寺助手は例によって突っ込む。


三鷹博士は全く気にせず話を続ける。

「では、さっきの話に戻そう。『君と僕』と言う言い方があるように、君と言うのは同格でも使われる。友達同士『君と僕』と言う奴だ。


ただ、若い人たち、たとえば高校生くらいで『君と僕』と言うのを、最近はそれほど聞かないと思わないかい?」


「そう言われればそうですね。昔の方がよく聞いたかな。しゃべくり漫才とか、君たちがいて、僕がいるとか」


「それ、一部の人しか知らんのじゃないか?ちなみに『いとし・こいし』のこいし師匠は『喜味こいし』だ。」



「博士は突っ込む役じゃないでしょう。話を続けてください」吉祥寺助手はツッコミ返す。


三鷹博士は頭をかく。彼の髪はボサボサで、白衣もかなり汚れている。所々穴が空いているが、何をしたのだろうか。


「では話を続けよう。日本語における二人称と言う話をしたね。例えば『あなた』と言う言葉がある。」


「ありますね。」」


「『あなた』と言うのは、もちろん比較的尊敬を表す言葉だった。ところが、最近はこれになぜか別のニュアンスが混じるようになってきた。


クレーマーに対して、『あなた』と言った店の人間が、相手からボコボコにされた例もある。」


「言われてみれば、男から、『あなた』と言われると、なんかちょっと違和感がありますね」


「そう思うだろう。『あなた』、と言うのは女性から男性、特に愛しい男性に対して使う事は比較的多かった。まぁ、今の世の中でもそうかな。夫婦の会話であるだろう。『あなた、ゴミ出してきてちょうだい』みたいなね。」


「なんか生活感が溢れてますね。三鷹博士の奥さんはそんな感じなんですか?」


「わしは。わしは妻に100%、満足しておる。最愛の妻だ。文句など何もない。うん、文句など何もない。」


「大事なところだから、二度言ったんですね。」


「文句なんか、何もない」


「これって、何度も自分に言い聞かせて、自分に暗示をかけて、納得しようとしているやつだ。先生もなかなか大変なんですね」


「何のことを言っているのだね?まぁ話を戻そう。今の男性が『君』と言うとしたら、どんな状況だい?」


「そうですね…親しいけど、恋人ではない女の子に対して、『僕は君のことが好きなんだ』みたいに言うパターン位ですかね」


「それは1つあるな。他には、生徒会長とか、学級委員長のような男が、クラスメイトなどに対して使うかもしれないな」


「そうですね。でも、その時には、どっちかと言うと、やっぱり上から目線という感じですかね。」


「とも限らんけどな。『岩清水弘は君のためなら死ねる。』」


「そんな、若い人はググらないとわかりませんよ。パロディはあるらしいけど。」


「まあな。わしも『ひろし』の漢字がわからずググってしまった。昔は『ひろし』といえばド根性ガエルのひろしだが、今は野原ひろしじゃな。」


「ド根性ガエルですか。数年前に、そのお嬢さんが『ド根性の娘』というマンガを描いていましたね。」


「そうじゃな。娘と言えば、『翔んで埼玉』『パタリロ』の魔夜峰央の娘がBL…」


「博士、もういいです。」


「BLといえば昔は『やおい』と言ったが今の若い人には…。」


「やめてください。 で、『君』は目下に使うことも多いかもしれないという話です。」


「そうも言えるよな。さっきの上司と部下との関係とも似てくる。昔は、例えば、作家と作家の間の手紙のやりとりなんかを見ると、『君に貸していたお金を返して欲しい』みたいな感じで、よく君と言う単語が出てきたような気がするな。」


「そうなんですか。今は、友人同士でも、『君』『きみ』とはあまり言わないですね。『お前』とかですかね。」


「そうだな。あと関西人では『自分』と言う単語を使ったりするなぁ。後は『てめえ』とか。」



「博士、ちょっとお行儀の悪いお言葉をお使いですね。」


「こんな感じでどうだ。不良っぽいだろう。」

三鷹博士は、リーゼントのカツラをかぶり、サングラスをかける。


吉祥寺助手は突っ込む。「博士、それじゃあ、30年前、のいや40年前の不良ですよ。」


「そうかな。まぁ良い。あと、『君』と言う単語を使いそうなシチュエーションとしては、ラノベとかで、冴えない主人公に対して、なぜかぐいぐいくる女の子、特に先輩チックな女の子が使ったりするかもしれんな。『キミ、面白いね。』とか言ってな。


目つきが悪いぼっちでキモオタの吉祥寺くんに、なぜか興味を持って近づいてくる。巨乳の先輩が、君に興味あるんだ。なんて言ったりして。」


「若くて綺麗な女の先生が君とか言ってくれたら、ちょっとそそるかもしれませんね。」

吉祥寺助手はちょっと遠い目をする。


「と言うわけで、女性から男性に対してでも、君という言葉を使いそうだな。ただ女子高生の先輩とかの場合には、カタカナの方が向いているかもしれない。覚えておきなさい。」


「これも論点だと言う意味ですね。わかりました。」


「論点を整理しよう。『君』と言うのが二人称か三人称かと言う論点がある。二人称であったとした場合、それを使っている状況は同格ないし目下の異性の可能性が高いと言うことだな。時代によっては、男同士のこともある。



「博士、歌なんかではよく『君』と言う言葉が出てくるような気がするんですが、どうでしょう?



「良いところに気がついたね。昔の曲には、よく『君』と言う単語が出てきた。『君だけに』とか『君といつまでも』『きみの朝』『きみの瞳は一万ボルト』とかだな。


タイトルだけでなくフレーズでも、『君とよくこの店に来たものさ』とか『ローラ 君はなぜに』とか『いつの間にか君と暮らし始めていた』、とかだな。昔は『君』と言う単語をよく使ったものだよ。」


「博士、今の曲だって、『君』という言葉を使うものはありますよ。例えば、シェリルノームが歌う、『き~みは誰とキスをする』、とかね。」


「突然、君に歌われてもぴんと来ないな。シェリル何とか?誰だねそれは?」


「博士は、銀河の歌姫を知らないんですか?ランカが入るバージョンもありますよ。まだまだ修行が足りませんね。


まぁ許してあげます。もっと最近ので言うと、『不協和音』にも『君』という言葉出てきますよ。」


「不協和音?それが歌なのかい?」


「紅白でも歌われていましたよ。Discord、 Discordってね。あれは平…」


「どうせ、そんな歌、ジジイの秋元が作詞しておるんじゃろう?ジジイが使っているだけで、若者言葉ではないわ。」


「そうですかね。今流行っている、米津玄師の『プラズマ』でも、


『もしも、あの改札の前で、立ち止まらず歩いていれば、君の顔も知らずのまま幸せに生きていただろう。』


って歌ってましたよ。米津なんか今の人じゃないですか。」


「うーむ。助手に反論されてしまったな。まぁ、ただ、その歌にしても、男が女に呼びかけているものだな。」


「つまり、歌では今でも君という言葉はよく使われるということでいいですね?」


「まぁ、そういうことでよかろう。では次へ移ろう。」


「しかし長かったですね。まだ最初の一文字ですよ。」


「少しペースあげよう。次の問題は、『でしたか?』だ」


「問題が何かあるんですか?」吉祥寺助手が聞く。


「大ありじゃよ。まず、『でした』と言うところが敬体、つまり丁寧語であるところだ。」


「博士、そこに何か問題が?」


「思い出してみなさい。上の者が下の者に対して『君』と使おうとするのであれば、その後が敬体、丁寧語になるのはおかしいではないか。」


「言われてみれば、そうですね。」


「つまりだな。そこは本来は、『君は幸せだったか?』となるべきなんだ。なぜここで敬体を使うのか、そこをはっきりさせる必要があるな。」


「目下の者にあえて丁寧に言いたかっただけじゃないですか。?」


「さすがにそれは変だろう。ここはやはり、男女の間であると言う説を取りたいな。道角の男女の間で交わされた言葉だよ。だが、そこに丁寧な言葉が入る。それが意味するところが何かだな。」


「どうなんでしょうね…」


「少しは自分の頭で考えなさい。ただ、そこはもう一点考慮すべき点があるのだよ。


「それはなんですか?」


「自分の頭で考えろと言っておるのに…。まぁいい。それはここで過去形が使われていることだ。」


「それが何か?」


「なぜ過去が幸せであったかと聞く理由だな。」


「ただ知りたかったからじゃないですか?何か問題でも?

吉祥寺助手は答えた。



「普通は、過去よりは現在のことを知りたがるものだ。今幸せですか?と聞くならまだわかる。それが、『幸せでしたか?』と聞く。これはなぜか。


おそらく、この質問は終わりの質問ではなく、この先に何か繋げようとするためのつなぎの質問ではないかと考えれば、つじつまは合う。」


「わかったようなわからないような。」


「つまりだな。この男女は、昔は仲が良かったが、何らかの理由で離れていた。そして、運命のいたずらで再合した。だから、まず過去がどうだったか知りたかった。


丁寧な言葉を使っているのは、昔の呼び方で『君』と言ってしまったものの、あまりなれなれしくするのは良くないと考えたから、丁寧語にしたのではないか。


そして、今までが幸せであったかを聞くことにより、その後の言葉を変えようとしているのではないか?


こんな推察もできるぞ。」


「考えすぎでは? どう続けるんですかね?


「もし、彼女が、『不幸だった』と答えたならば、それが過去形である限りにおいて、今までは不幸だったけれども、あなたに会ったことで、不幸が変わるかもしれないと言うニュアンスを含むことになる。であれば、この返事としては、『じゃあ、僕がこれから君を幸せにしてあげるよ。』あるいは『これから二人で幸せになろう。』とか言うこともできるだろう。」


「そこでは丁寧じゃなくなるんですか?


「おっと、そうじゃった。だったら、『僕がこれから幸せにしてあげます。一緒に暮らしませんか?』あるいは『幸せになりましょう。一緒に住みませんか?』みたいな言い方になるのかもしれんな。」


「『幸せでした』と言う返事だったらどうなるんですか。」


「『私たちは幸せでした』、と言うのは、キャンディーズの後楽園球場での解散コンサート『ファイナルカーニバル』での有名なフレーズじゃな。」


「それって何か関係あるんですか?」


「いや、言いたかっただけじゃ。真実のふれあいを忘れない。」


「わからないので、ツッコミようがありません。


「話を戻そう。幸せだったと言われた場合だな。幸せが過去であると言うことであれば、今は幸せではないと言うことだ。


それが、この男に会ってしまったから、不幸せになってしまったのか。


それとも、最近彼女を幸せにしていた男が浮気して、彼女を不幸せにしたのかもしれない。」


「なかなか難しい話になってきましたね。


「他にも可能性はある。彼女が、幸せだった生活を失ってしまったことだ。つまり、パートナーと別れたか、あるいは死別してしまったことだ。幸せだった日々を忍びつつ、今は不幸だと言うニュアンスを入れ込むことになる。」



「そんなこと、どこにも書いてないので、想像のしようもありませんね。博士、ちょっと話が進みすぎではありませんか。」


「そうかもしれんな。では、女から男に対して幸せでしたか?と聞く状況を考えてみよう。」


「男から女に言う場合と何か違いがありますか?」


「さっき言っただろう。女から男に対しては、比較的丁寧語を使う事はある。


あるいは女同士でも丁寧語を使う事はある。あまり言うと、フェミニストに怒られてしまうが、この言葉を女性が発した場合においては、単純に過去のことを知りたかっただけ、と言う可能性が出てくる。」


「では、答えによって何か変わるんですか?


「男が、幸せだった、と答えたら、『ふーん、よかったね。』の一言で終わらせるだろう。」


「なんか、他人事っぽいですね?」


「それはもともと他人だしな。ついでに、不幸だった、と答えた場合、女は多分、「ふうん、大変だったね。」の一言でやはり終わらせるだろう。


この場合、女は男にそれほどもともと興味があったわけではなく、この一行自体が単なる社交辞令だったと言うことになる。」


「「女って、冷たいもんなんですね。」


「吉祥寺君もやっとわかってきたな。女なんて、とても自分勝手なものじゃよ。一時の気の迷いで結婚してしまうと、一生後悔するから気を付けろ。」


「そんなこと言われると、結婚したくなくなってしまいますよ。」


「それはいかん。人類の繁栄のために、結婚しなさい。生めよ増やせよ、地に満ちよ。」


聖書の一節みたいですね。何にしても、あの文とは関係ないですよね」


「まぁそうじゃな。まとめると、敬体の使用と、過去形を使っていること、その両方に違和感がある。

昔、仲の良かった男女が疎遠になっていて、再会したので話を聞いてみたと言うところが妥当かもしれんな。もちろん、女から男にただ聞いただけと言う可能性もある。


あともう一つ。最初に言った、『きみ』というのが目上の人を意味する場合のことだ。これだと、高貴な若君を、誰かに様子を見にいかせた。そして帰ってきた人間に、あの方はお幸せにお過ごしでしたか?と確認する意味で、君は幸せでしたか?と聞いているパターンだな。


意外にこれがしっくりするかもしれない。若君のことを思う、年老いたご家老が部下に尋ねているシチュエーションだ。意外にこれが一番すっきりするかも知らん。」



「そうですかね。でも博士、この一行で、ずいぶん引っ張りましたね。」


「応募者を混乱させるための運営の戦略だろう。これも一緒の魔法なのかもしれないな。今日の研究は、この辺にしておこう。」


「博士、ありがとうございました。」


「…いや、選考委員や運営は頭を抱えそうじゃな。」



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