魚
菊地為住
魚
〇
…………おっと。
いや、すいません。こんなことあるんですね。ちょっと驚きすぎて、声も出ません。
お久しぶりです先輩。ええと……何年ぶりですか? 卒業してからですから……。
そうですね、だいたい、三十年ぶりくらいですね。
ど、どうでした? お元気ですか、その後。
…………まあ、はい。そうですね。先輩のおっしゃりたいことはよくわかります。
……とりあえず、あがってくださいよ。お茶くらい出しますから。
〇
〇
そう緊張しないでください。女の独り身どうこうなんて、もうお互い気にするような歳もないでしょう。
あ、この指輪ですか!
お気になさらず。もう、ずっと前に別れました。 なんとなく習慣でつけているだけでして、別に未練なんかもありませんから、ご安心を。
…………すいません。ちょっと変なこと言いましたね。ごめんなさい。ちょっと、舞い上がってしまって。
……ええ、会えて本当に嬉しいです。
ううん、なにから話しましょうか。
…………いや、はい。そうですよね。
一番気になるのは、それですよね。
正直に言って、馬鹿げていて、信じていただけるような話じゃありませんよ。だから私は──私の一族にはそれを話す人はいません。
あ、安心してください! 絶対話しちゃいけないってわけじゃないんです!
だからその、知られたからには……みたいなこともないので、どうか安心してください……。
ええと、改めまして。
私の一族は、不老不死なのです。
あ、ああ、わかりますよ。先輩の言いたいことはよぉくわかります。
でも、他に言い様がないので、どうぞ勘弁してやってください…………。
それに、ほら、先輩も目の前にあるコレは信じるしかないでしょう。
五十いくつに見えますか?
そうでしょう。
……あの頃のまま、というのは少し言い過ぎです。私の体は、年齢的に言えば二十五歳のものですよ。先輩が最後に見たそれより、いくらか老け込んではいるんです。
…………まあ、悪い気はしませんけどね。
あ、その顔。わかりますよ。不老じゃないじゃないかって思いましたね。
そう焦らないでください。ゆっくり、一から説明しますから。
ええとまず、私の先祖が人魚を殺したんです。
ああ、はい。その人魚です。食べたら不死になるっていうその人魚です。
あ、いえ、伝承とか昔話ではないです。
本人に聞きました。
昔はお爺ちゃんだと思ってたんですけど、それどころじゃないくらいのご先祖様でしたね。ふふ、はじめて知った時は、びっくりしたなぁ。
とにかくですよ。しがない漁師だった私のご先祖様は、人魚を殺してしまったんです。ですから、一応これは人魚の呪いということになっています。 人魚が直接『お前を呪うぞ』と言ったわけではありませんから、大概怪しいところですが。
いや、本当は言ったのかもしれませんね。お爺ちゃん……ええと、ご先祖様、もうかなりよぼよぼなので、正確にはわかりません。
頭がもう、よぼよぼなんです。まあ、体も大概お爺ちゃんですけど。そっちは精々、六十いくつだと思います。
ああ…………。ふふ、ごめんなさい。
どうしても、興奮しちゃいますね。
話してはいけないことではありませんけど、いたずらに話すべきことでもありませんから。
でも、機会があれば話したいことではあるんです。こういう、偶然『話さなきゃいけない』状況にでもならない限り、話せませんけど。
すみません。ええと、どこまで話しましたっけ。
そう、人魚の呪いですね!
人魚に呪われた私たち一族は、死ぬことができなくなりました。
怪我をしてもすぐに治ってしまいますし、病気にもなりません。
ん?
すごい、よく覚えてますね!
そうですねぇ。酔っ払って、先輩の前ですっころんで、あれは恥ずかしかったです…………。
ええ、はい。あの頃はまだ、私の呪いは発動していませんでしたからね。擦り傷もつきますし、脳しんとうだって起こします。
……少しもったいぶりすぎですかね。ごめんなさい。
はっきり言いましょう。
私たちの呪いは『一度死んだ時』に発動するんです。
あ、わかりにくいですかね。ごめんなさい。ううん、説明が難しいな。
えっと、私、二十五歳で自殺したんです。
あ、違います違います! 何かを苦にしてってわけでなく、必要だったからやったんです!
あ! そう! そういうことです!
いやぁ、さすがですね先輩。先輩のそういう、賢いところが私は好きでした。
…………今のは失言です。
でも、先輩の言うとおりですよ。
一度死んで、蘇る。
それからは老いることはなく、もう二度と死ぬこともない。
それが、私たちの一族に与えられた呪いです。
大抵二十代後半から三十代前半くらいで自殺する人が多いですね。やっぱり、そのくらいの年代が一番自由が利くので。
あー、そうですね。今は外国に住んでる人の方が多いんじゃないかな。私の両親も海外ですし。二人とも寒いの苦手なんで、きっと南の国とかにいるでしょう。
そりゃあ、同じ場所には留まりませんよ。色々、一族で培ってきたノウハウがあるんです。こういう風に、古い知り合いと出会わないようにするノウハウもあるんですが…………まあ、近頃私はサボり気味だったので。
……ふう。少し休憩します。先輩も、お茶どうぞ。いれなおしますか? 大丈夫? そうですか。
………………春ですねぇ。
にゃあにゃあ聞こえますか? ああ、猫ちゃんたちも出会いの季節ですからねぇ。
…………………………あの、先輩。
あ、どうぞどうぞ。先輩から先に。
……はい。はい。…………はい。
つらくはないか、ですか。
ううん…………。
実を言うと、そこまでつらくはないんです。
そりゃあ、時々ふっと寂しくなることはありますけど、でも、ねえ…………。
他の人生も、他の生き方も知りませんから。
魚は、鳥の人生を羨ましいとは思わないでしょう? そういうことですよ。
……まあ、若い頃は色々悩むこともありましたけど、もう、いい歳ですからね!
………………………………。
ねえ、先輩。
薄々、感づいてらっしゃるかなとは思うのですが、私は、ここを離れます。
あ、いえ、先輩のせいじゃありませんよ!
ちょっと、この場所には留まりすぎました。
いい加減、『若く見えるお姉さん』では通らなくなってきてるんです。
ふふ、優しいですね、先輩は。昔から、変わりませんね。
………………先輩。
その、なんといいますか。
全然、断っていただいて構わないんですけど……。
……………………。
先輩は、三十歳年下でも、可愛いと思ってくれますか?
〇
〇
おはようございます。
よく眠れましたか?
猫がうるさかった? もう、嘘ばっかり、先輩ぐっすりだったじゃないですか。
…………ふふ、いえ、ごめんなさい。
本当に、会えて良かったです。
ここを離れる前に、やっといい思い出ができました。
え? ちょっともう先輩、変なこと言わないでくださいよ!
………………ううん。
……もしそうなったら、そうですね。先輩が死ぬ前に、一度会いに来ますよ。
娘か、息子かわかりませんけど。その子も連れて。
だから、きっと長生きしてくださいね。
…………いやぁ、まだ私は経験ないですけど、やっぱり知り合いがどんどん先立っていくのは寂しいと思うので……、今から予防線です。
私の一族が、駄目だとわかっていても子供を残してしまうのだって、きっとそういう理由でしょうねぇ…………。
ん?
はい。そうですよ。なるべく、子供は残すなと言われています。
ああ、まあ、そういう理由もありますね。私たちの一族が節操なく増えていったら、大変なことになりますし。
……? はい、言われるようになった理由は別ですね。
どうしました? なんだか、顔色が…………。
え。
すごい! 先輩、よく気づきましたね……! あんまり楽しい話じゃないから、黙ってようと思ったのに。
ええ、はい。お察しの通りです。
流れてしまった子は、そうなりますね。
大丈夫ですよ、そうなった時のノウハウも、しっかり一族で共有してあります!
だから、大丈夫ですよ。
魚に、わざわざ陸のことを教えてやることはないでしょう?
どうせ、陸では生きられないんですから。
生まれたことに気づかない方が、幸せですよ。
……ん?
にゃあにゃあ聞こえますか?
まあ、聞こえるかもしれませんね。
寂しくて、少し浅くしちゃいましたからねぇ。
ふふ。
実は私、先輩のそういう顔も好きでした。
きっと、また会いましょうね。
無事に生まれるよう、祈っていてくださいね。
〇
魚 菊地為住 @sumiyoriishin
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