二十四日の山神

長尾好孝

二十四日の山神

 ――三月の東北地方はいまだ冬の名残があった。


「寒ぃ」


 おれはぶるりと体をふるわせると、重ね着したジャンパーとジャケットをかき抱いた。


「こんなに寒かったかな」


 つぶやき、辺りを見回す。

 つい先刻降り立った早朝のバスターミナルは、ひと気もなく、清々しい静寂で満たされていた。


 ひさしぶりだ、とおれは思った。

 十年ぶりの帰郷。

 何もかもがなつかしい。

 目に映る街並みは、記憶のなかのそれとは大きく姿を変えていたが、それでも、この肌を刺すような清涼な空気は、故郷へともどったことを充分に実感させてくれた。


「さて」


 ジャンパーの袖をまくり、時計を確認する。

 六時三十五分。

 迎えのくる時刻まではすこし余裕があった。

 近くのベンチに座って待つことにする。

 腹がかなり減っていたが、この時間ではターミナル構内の立ち食い蕎麦屋もまだやっていない。

 かと云って、わざわざコンビニまで歩くのも億劫だった。


「くあ……」


 欠伸が漏れた。

 ……長距離夜行バスの旅は決して快適とは云えなかった。

 前の座席に座った中年女性が、夜中、じわじわと背もたれを倒してきて――最終的には遠慮もなく深い場所にまで倒してくるのものだから、これがとても窮屈で大変だったのだ。

 おまけにまでひどかった。

 また笑えるのが――朝になると、いつの間にか背もたれの角度は“ほどほど”になっていて、その妙な見栄の張り方に、おれはただ苦い笑いを浮かべるしかなかった。

 そんなわけで――いまはとにかく眠い。

 迎えがくるまでのあいだ、すこしだけ仮眠をすることに決めて、ベンチの背もたれに身をあずけた。


 トントン、と。

 誰かに肩をたたかれた。

 目を開けると、そこに知った顔があった。


「姉さん」

「待った?」


 姉はわずかに微笑んで云った。


「バス、早めに着くかもって思って、こっちも早めに出たんだけど」


「いや」と、おれは首を横に振った。

 時計を見るとまだ七時にもなっていない。

 微睡まどろんでいたのはせいぜい十五分程度のようだった。


「こんな場所で寝てたら風邪引くよ?」

「……母さんは?」

「家で寝てる。昨日は通夜の準備やら何やらで忙しかったから」


 こっち、と姉は指差してから、おれのアタッシェケースを持った。


「自分で持つよ」

「いいわよ、疲れてるでしょ」


 そう云って歩き出す。

 おれは仕方なく、頭を振って立ちあがった。


「相変わらずだね」

「そぉ? べつにいいじゃない」


 屈託なく笑う。


「疲れてないの?」

「そりゃあ、疲れてるわよ。でも覚悟はしていたから」

「……親父、くるしんだ?」

「ううん。もうほとんど意識もない状態だったから」

「そっか」


 すこし歩くと、路上に黒い大型のスポーツカーが停めてあるのが見えた。


「まだ、これに乗ってたの?」


 おれが尋ねると、姉はうなずきながら後部座席へとアタッシェケースを放りこんだ。


「だって、好きなんだもの」

「うしろが狭いんだよ、この車」

「いまはふたりだから良いじゃない」

「そうだけどさ」


 助手席に乗りこむ。

 昨夜の窮屈さにくらべれば、ずいぶんとマシな広さだった。


「あなたも車買ったら?」


 云いながら、姉はアクセルを踏んだ。

 ゆっくりと車がうごき出した。


「面倒くさいよ」


 そう、おれは答えた。


「免許、マニュアルよね?」

「うん」

「たのしいわよ、車」

「姉さんはそうだろうけど。おれはあまり好きじゃないんだ。どうも自信がなくてね。きっと事故る」

「そう。それは駄目ね」

「うん」


 それきり、姉は言葉を止め、ふたりのあいだには沈黙が降りた。

 おれもまた、だまって流れる景色をながめた。

 クラッチをつなぐ音がやけに響く。

 そして思い出す。

 雪が積もれば、世界は静かになるのだ――。


「ねぇ」


 と。しばらくして姉が言葉をかけてきた。


「ん?」

「ちょっと痩せたね」

「そう?」

「ご飯、ちゃんと食べてる?」

「食べてるよ」

「外食とか、店屋物が多いんじゃない?」


 おれは答えなかった。

 それを肯定と受け取ったらしい。

 姉はあきれたように、眉をひそめた。


「やっぱり。身体壊すわよ」

「平気だよ」

「こっちに帰ってこない?」


 ちらと横目で見てくる。

 こちらの反応をうかがうような、そんな問いだった。

 おれはやはり答えなかった。


「母さんも心配してるわ」

「親父は死んだよ」

「それでも、わたしたちは家族でしょう」


 強い言葉だった。

 姉の意思が感じられた。


 ……父が母と再婚したのは、おれが物心ついたころだった。

 当時、おれはガキだったせいもあって、新しい母とその連れ子である姉に馴染めず、事あるごとに強く反発した。

 別段、新しい家族をきらってたわけじゃない。

 ただ、納得がいかなかった。

 そのころの自分の心理を思い返すと、あまりに馬鹿ばかしくて恥ずかしくなるが、とにかく家族というものに対して不信感を抱いていたのだろう。

 家族の絆などははかないものなのだから、自分はそんなものに頼らず独りで生きていくのだと、子供心に、自分に云い聞かせていた、そんなフシがあった。

 しかし、そんな反発は三月と持たなかった。

 慎ましいながら優しい母と、この無闇に弟思いの姉によって、少年はあっさりと陥落し、気づけば家族の仲はとても暖かいものとなっていた。


「こっちにもどっても仕事がないよ」


 そう、おれは姉へと云った。

 目指す実家がある場所は、山間の寒村であり、そこで暮らすにも、まず街での仕事を見つけねばならない。

 この不景気に田舎で仕事を得る――それは考えただけでも、えらく骨の折れる話だった。


「じゃあ、わたしが東京に行きましょうか」


 軽い調子で、姉が云った。

 思わず、おれは彼女の横顔を、まじまじと見つめた。


「姉さん」

「いまさら――いまさらね、おたがいの気持ちを隠してもしようがないわよ。わたしはあなたが好きだし、あなただって」

「姉さん」


 その言葉を、おれはさえぎった。


「やめよう」

「まだ引きずっているの?」


 姉の声は怒っているようだった。


「…………」

「あの娘はね、あなたを捨てたのだと思う。あなたを置いて消えたんだから。わたしが思うに、あの娘はあなたにとってプラスになるひとではなかった」

「二十四日だった」

「たまたまよ。たまたま二十四日だっただけ」

「いいや、二十四日様だ」


 まるで駄々をこねる子供だ、どこかで冷静な自分がわらった。


 二十四日様は故郷の村に伝わる儀式と風習、そして神の名だ。

 旧暦の一月二十三日から二十五日にかけての三日間。

 ちょうど今ごろの季節だが、村人がそろって仕事も休み、穢れを避けるために家にこもらなければいけないとされる日が、あの村にはある。

 いわゆる物忌みと云われるもので、この地方ではあの村だけに伝わる独特の風習らしい。

 特に二十四日は昼間もなるべく出歩いてはならず、夜の外出などはもっての外である。

 また夜は早々に明かりを消して、雨戸を閉め、眠りにつかなければならない。

 これらの決まりを破ると祟りがあるとされ、その風習は現代でもいまだに固く守られている。


 こんな話がある。

 そのむかし、という女がいた。

 おつるは――どうしても必要があったんだろう――二十四日の晩にちいさな明かりを灯して縫い物の仕事をしていた。

 そして深夜になり、ふと家の外、戸の向こうに誰かの気配を感じた。

 ――二十四日様の夜に、誰だろう。

 おつるは不思議に思ったが、二十四日は家の外に出てはならないという決まりがある。


「もし。もし。誰かおるんだか?」


 おつるは戸の向こうの誰かに向かって訊いた。

 そのときだ、戸の向こうより、低く、しわがれた声で、


「おつる~。おつる~」


 と、声がする。


「おつるぅ、早ぐ寝なが(※寝なさい、の意)」

「へぇい、へぇい。寝ますぅ」


 あわてておつるは寝床にはいった。

 ……しかし翌朝、家人がおつるの寝床を見ると、そこはもぬけの殻であった。

 二十四日様の行事が明けたあと、つまり二十六日になって、村人たちは村中総出で探したが、結局おつるの姿はどこにもなかったと云う。

 村人たちはまことしやかにささやいた。

 おつるにかけられた声は二十四日様のものであり、その怒りにふれたおつるはきっと神隠しにあったのだ、と……。


「ばかな話」


 姉は笑って切り捨てた。


「知ってる? 二十四日の晩に出ちゃいけないのはね、あの晩は、山の神社の神主が、村中をまわるんだけど、そのとき、誰かに姿を見られちゃうと、また最初からやり直さなきゃいけないのよ。どういった宗教的意味合いがあるのか知らないけど――そう、穢れを祓うとか、そういったものだと思うけど。とにかく、そのとき村人に出会ったりしちゃうと、また一からやらないと駄目だから、それで村人は外出禁止になってる――そういう話なのよ」

「へぇ……。それははじめて聞いた」

「大体ねぇ、おつるにしたって、ちゃんとそのあとで見つかったのよ。村外れの山小屋で」

「あ、そうなの?」

「そうよ。床下に潜りこんで、どういうわけか、ひたすら念仏を唱えてたって。ちょっと気がふれてるひとだったのね。それを子供を怖がらせるために、あんな話にでっちあげただけよ」

「はぁ」


 おれは素直におどろいていた。


「ずいぶん詳しいんだね」

「そりゃあ」


 と、おれの言葉に、姉はすこしだけ首をかしげ微笑んだ。


「あなたはずっと村にいなかったじゃない。わたしは、あなたがいないあいだも、十年間住んでたんだから」


 いろんな裏話だって耳にはいるわ、と姉はすこしだけ自慢げに答えた。


「だから、きっとね。きっと、あの娘も――」


 姉の云いたいことはわかっていた。

 十年前、突如謎の失踪を遂げた幼馴染。

 彼女の失踪を二十四日様の神隠し伝承とむすびつけるのは、おれの安易な現実逃避に過ぎないのかもしれない。

 だが、おれにはどうしても彼女に失踪する理由があるとは思えなかった。

 おれのことを好きだと云ってくれた。

 当時、すでに姉への想いを自覚していたおれは、彼女の好意に応えることはできなかったが……。

 それでも彼女の気持ちはうれしくて、だからこそ彼女の失踪が、からみついたかせとなって、この十年、もやのようにおれの心を曇らせていた。


「ハッキリさせたいんだよ」


 と、おれは姉に云った。


「はっきりすれば、踏み出せるんだ。姉さんとのことも」


 彼女が自分の意思で、おれの前から姿を消したのなら、それはそれでかまわない。

 おれの、姉への気持ちを否定しつづけた彼女である。

 おれに愛想を尽かしたとしても不思議ではない。


「でも、彼女は失踪の前日、おかしなことを云ってたんだ。ついさっき、うたた寝して……そのことを夢で思い出した」

「おかしなこと? あの娘が?」


 姉はハンドルを切りながら、わずかに興味深げな目をよこす。


「ああ。彼女、呼び出されたと云っていた」

「呼び出された?」

「そう。誰かに呼び出されたんだ。……そうだ。過去の亡霊が蘇ったとか云っていた。ああ、どうしておれは忘れていたんだろう。『罪を清算する』だ。そう、彼女はそんなことも云っていたんだ」

「ふうん……」

「誰だ。誰に呼び出されたんだ。二十四日の夜に」


 冷えた脳が、急速に熱を帯びていくのがわかった。

 己のなかで、ずっと閉ざされ、封印されていた遠い記憶の情景が、いま鮮やかに蘇りつつあった。


「――辰巳たつみ文夏ふみかよ」


 そのとき。

 ポツリと、姉が短く漏らした。


「……え?」


 おれは姉が何を言ったのか、理解できずに聞き返していた。


「呼び出したのは辰巳文夏。十五年前、おなじく二十四日の夜に姿を消した、あなたの同級生」

「タツミ、フミカ……?」


 ぞくり、と。

 聞いてはいけないモノ、見てはいけないモノにふれてしまったような、そんな薄気味悪さが背筋をつたった。

 確かに、確かにおれはその名を知っている……!


「はっきり思い出していないようだから、教えてあげる。あなたのクラスメート、あなたの幼馴染にひとりの女の子がいたのよ。名は辰巳文夏。……そのむかし、村でね。私娼館みたいなことをしている家があったの。それが辰巳家。もちろん戦後には廃業したけれどね。ただ、そういう商売をしていたせいか、それなりの財産は残してて、辰巳家は村でも有数の資産家だった。いわゆる大宅おおやけってヤツね」


 感情のない冷えた表情で滔々とうとうと語る姉。

 その姿におれは奇妙な既視感を覚えた。


「けれどその代わり、辰巳家は村の人間から白い目で見られていた。陰口をたたかれたり、謂れない中傷を受けたりね。そんな商売をしていたのだから無理もないと云えるけれど。そして、その家の娘であった辰巳文夏もまた、たびたびイジメや嫌がらせといったものを受けていたわ」


 車は郊外に差しかかっていた。

 グン、とスピードがあがる。

 おれは心中に、得体の知れない感覚が湧きあがってくるのを感じた。

 それは焦燥といっしょになって、胸のなかに渦をつくりはじめている。


「どうして……姉さんがそんなことを知っているんだい」


 おれは努めて冷静な態度で訊いた。

 姉は一瞬だけ流し目でおれを見ると、すぐにまた前方に視線をもどして云った。


「ふふ。聞いたのよ。いろいろと」

「聞いたって、誰に」

「全部知ってるひと……」


 そう云って。彼女はまた悪戯っぽく笑う。


「そんなときだったわ。彼女はある少年に出会ったの。少年は都会から家族といっしょに引っ越してきたばかりだった。村は少年の義母の故郷で、少年の父親は身体の弱い妻のために、都会から空気の良い田舎へと引っ越したの……。少年にはふたつ年上の姉がいたわ。姉と少年はとても仲が良さそうだった」

「それって」

「その少年だけは文夏を“べつ”に扱わなかった。村の空気に無頓着だったから。ただの女の子として扱ってくれたわ。そして文夏は、いつしか少年を純粋に慕うようになっていた」

「…………」

「そして、ある日、彼女は少年からの手紙を受け取ったの。『明日の夜、山の上の神社で待ってる。』彼女は迷ったわ。何故なら、その日は旧暦の二十四日だったから。出れば祟りがあると云われている二十四日様だった」


 そこでいったん言葉を区切ると、姉は上唇をわずかに舐め、それからひとつ溜息をついた。


「結局、彼女は行ったわ。山の上の神社へと。少年にきらわれることを恐れて。そして何より少年の手紙がうれしかったから。でも……少年はこなかった」


 その声にはわずかな恨みの色があった。

 おれはとっさに、言い訳らしいことを云った。


「そんな手紙、おれは出してない!」


 声がかすれる。

 鷹揚に、姉はうなずいた。


「そうね、あなたは出してない。いまならわかる。あなたにはそのとき、わたしがいたから。手紙を出したのは、あの子。あのずるくて、イヤらしい女。あなたを好きだと云った、あの女」

「……知美」

「そう、知美。あなたの前から失踪した女」

「知美が、嘘の手紙を書いて、文夏を誘い出した?」

「あなたが文夏になびいていく――そんな風に見えたんでしょうね。もっとも、それは勘違いだったのだけれど。ともかく、それが理由で結局、辰巳文夏は二十四日様の神隠しに遭った」

「や、やっぱり神隠しはあったんじゃないか」

「文夏に関しては、あると云える。知美に関しては知らないわ」

「どうして? 大体、姉さんは何でそんなことまで知っているのさ? 知美が手紙を出したって、本人に聞いたの?」

「うふ、ふ、ふ。――そう。カマをかけたら、案外、簡単に白状したわ」


 白状――。

 思わず、おれはまぶたを押さえていた。


「どうして、どうして、そんなことを姉さんが――」

「あの娘、またわたしたちの邪魔をする気だったのよ。……一度目は“文夏”を消して、二度目はわたしから、あなたを奪おうとした」

「な、何?」

「ふ、ふ……。でも二度目の企みは失敗ね。あなたの心はもう、わたしがつかんでいたのだし。あなたに余計なことを吹きこんでくれたおかげで、“わたし”にあの手紙を出したのが誰だったのか、それで見当がついた」

「い、いったい全体、姉さんはさっきから何を云ってるんだ?」


 ぎっ、と突然ブレーキが踏まれた。

 スピードを落とし、ゆっくりと道路脇に停まる。

 辺りはそろそろ山には差し掛かっており、ひとの気配は皆無だった。

 姉はサイドブレーキを引くと、こちらに向き直った。

「ねぇ」と、両腕をのばしてくる。


「もういいじゃない」


 やわらかな感触が首に巻きつき、引きよせられる。


「あれから、もう十年も経ったのよ。……いい加減、わたしを――わたしだけを見なさい」

「ね、姉さん」


 つややかな、濡れた瞳で見つめられ、おれはうごけなくなった。

 吐息と鼓動の音だけが静かに、ただ静かにリズムを刻んでいた。

 すべて余計な音は、雪が吸収する。

 世界には静寂しかない。

 姉の顔を近づいてきた。

 唇が得た感触はとてもやわらかだった。

 唇と唇のあいだ、銀糸がキラリと光った。




  ◇ ◇ ◇




 ふたりで暮らすようになって、二年が過ぎた。

 姉、いや現在ではもう妻というべきだが――彼女には多額の資産があるということが結婚後に判明した。

 あの村のある資産家――辰巳という――が遺言で、彼女に財産をそっくり譲り渡していたのだ。

 何故、縁も所縁ゆかりもないはずの姉に、その老資産家が財産をゆずったのか。

 村の人間はみな、そろって首をかしげたが、そのひとには身寄りと呼べるものが一切なく、また姉がそのひとに対し、よく尽くしていたことが明らかになると、奇特なもんだ、と一応は不思議がったうえで、やはり他人には誠意をもって接するべきだ、などと最後には訳知り顔でうなずくといった調子であった。


 おれは仕事を辞めた。

 姉と一緒になり、かといって義母のこともあるので、やはり都会にはもどれないという理由だった。

 幸い、彼女が得た財産もあるし、彼女は街で定職に就いていたため、おれが働かずとも食べていけるだけの余裕はあった。

 口さがない村の連中にはヒモだなどと云われ、おれ自身はずいぶんと居心地も悪いのだが、姉が「かまわないから家にいろ」と云うし、またいままで心細かったけれど、おれがそばにいるからには安心だという義母の言葉もあって、結局はぶらぶらと自堕落な日々を過ごしている。

 だからというわけではないが、最近は地元の郷土史、特に二十四日様信仰について暇を見つけては調べるようになった。

 そのなかで、いろいろとわかってきた、新しい事実もある。

 たとえばおもしろいのは、二十四日様は、実は祟り神ではないらしい、と云うことなどだ。

 本来は生と死、再生と流転を司る存在が二十四日様なのである。

 つまり擬人化された人間性の強い神ではなく、単に機能的な――在り方としての神である……と、古い文献には記されていた。

 ようするに主体性がないのである。

 そこに在って働きをするだけの存在。

 天地自然に近い存在が二十四日様なのだ。

 よって、昔話のおつるのように、わざわざ声をかけて云々……といった祟り的な話は、この説から見た場合、間違いと云うことになる。

 そしてもうひとつ、この神の司る、重要な性質が転生である。

 輪廻転生りんねてんしょう――いわゆる生まれ変わりについて書かれた話がおどろくほどに多いのだ。

 死んだ妻が、ふたたび生まれ変わって、夫の元へと嫁ぐ話。

 子供を失ってなげく夫婦の元へ、ある日訪ねてきた妙齢の女性が、娘であると告げる話。

 そうした話が、故郷の村の周辺だけで、実に数多く語り継がれていた。


 ……そう、おれはいま、ある疑惑を胸にかかえていた。

 疑惑――あくまで疑惑だ。

 すなわち姉が、十七年前に消えたクラスメート――辰巳文夏という同級生の生まれ変わりではないかと。

 年齢的には姉のほうが、辰巳文香より上であり、もちろん転生云々といった話自体、ナンセンスだと理解しているのだが……。

 だが。

 だが、どうしても、考えてしまう。

 姉の語った言葉。

 あの考え深げな表情を見るたびに、顔も覚えていない辰巳文香というクラスメートのことをつい考える……。




  ◇ ◇ ◇




「旦那さん、生まれましたよっ」


 ふいに声がかけられ、おれは自分の考えから、意識をもどされた。

 目の前では白衣を着た看護婦が、うれしそうに微笑んでいる。


「そ、そうですか! 生まれましたか」


 答えて、おれは待合室をあとにした。

 病院の廊下を、待ちきれないとばかり走る。

 とうとう子供が生まれたのだ。

 おれと姉との子が。

 おれは歓喜の思いで乳児の待つ部屋へと急いだ。

 そして。


 そして――。


 その瞬間――。

 おれはその、自身の子の顔を見た瞬間に、なにやら――。

 そう、不気味で得も言われぬ、まったくもって肌のふるえるような違和感を覚えた。

 それは奇妙な……そして既視感とも云えるような感覚。


「女の子ですよ」


 看護婦が赤子を渡してくる。

 おれはごくり、ひとつつばを飲んで、それから生まれたばかりの赤子の顔をのぞきこんだ。


「と、知美か……?」


 まるで背骨に氷の塊を押し込まれたような、そんなぞっとする恐怖とともに勝手に口から言葉がこぼれ出た。

 ああ、だがしかし――これははたして何を意味するのだろう。

 この奇妙で狂気的な、またさらには残酷すぎる現実が、この地方における忌まわしき伝説――二十四日様という山神の顕現であり、おれたち夫婦にあたえられた運命だとするなら。

 これから先、おれたちの未来に待ち受ける出来事はいったいどのようなものになるのか。

 ぐらぐらと。

 体がしきりに揺れているように感じる。

 すべてが足元から崩れていくような感覚のなか、おれはぼんやりと、そんなことを考えつづけた。

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