無限にエネルギーが湧き出る箱

寿シオ

無限にエネルギーが湧き出る箱

 とある古代遺跡を発掘していた考古学者は奇妙な物を見つけた。半球が乗った箱、例えるならテレビのクイズ番組で見かける早押しボタンのような物だ。

 ただの置物か、それとも何かの一部か。

 考古学者は箱をひっくり返すと、自らの推測を改めた。箱の底面はガラスだろうか、透明になっていて、内部におびただしい数の歯車が何らかの規則に従って並んでいた。

 箱はただの箱ではなく、非常に精密な機械だった。

 考古学者は発掘チームの仲間を呼び集め、皆で矯めつ眇めつ箱を調べた。大きさは箱部分がクッキー缶ほどで、半球はグレープフルーツくらいだろうか。錆もくすみも一つとして無く、銀色の金属光沢を放っている。側面の一つに文字のようなものが彫られている以外、一切の装飾が無い。チームには古代文字に精通している者もいたが、一人として何と書かれているのか読めなかった。

 機械であるからには、動かしてみれば何かわかるかもしれない。

 しかし何の機械かわからなければ、どう動かしていいのかわからない。

 そんな鶏と卵のどちらが先かというような問題に、皆、四方八方から眺めては睨み、手に取って回しては首を傾げて戻す。

 やがて誰かが、これは見た目通りの早押しボタンなのではないかと、冗談交じりに半球を押してみた。誰もがまさかと苦笑いを浮かべる中で、箱はカチリと音を立て、半球から光を放射した。

 驚いて飛び跳ねる者、腰が抜けてへたりこむ者、一目散に走り去る者。

 そんな人間達のどたばたを他所に、箱は無感情に動作を続ける。光は先端を下にした円錐形からうねうねと輪郭を変え、人の形になった。幼い女の子だ。薄く焼けた褐色の肌に、金色の緩く巻いた長い髪。瞳はペリドットみたいな緑で、簡素な作りの白いワンピースを着ている。そう、いつの間にか少女の像には色まで着いていたのだ。

 動揺する皆の前で女の子は無垢な笑顔を浮かべる。そして誰も聞いたことが無い音の連なりで言葉を発する。

 間も無く、彼女は霞のように姿を消した。

 今のはいったいなんだったのだろうか。

 古代遺跡の幽霊か。

 はたまた妖精か。

 皆で顔を見合わせ、少なくとも自分だけに見えた幻ではないことを確認した。

 誰かが、先ほど冗談半分で機械を動かした者に「もう一度やってみろ」と言った。皆の心はまだ恐怖を引きずっていたが、それ以上に好奇心がむくむくと育っていたのだ。言われた者もどうして自分がまたと思う一方、子供みたく自分が押したいという気持ちがあった。

「それじゃあ、いくぞ」

 深呼吸を一つ。慎重に半球を押し込んだ。途端に箱は光を放ち、再び女の子が姿を現した。先ほどと変わらない穢れを知らない笑みに、聴き慣れない言葉。少女が消えた後、この機械がなんであるか、皆が同じ推測を立てた。

 これはきっと、立体映像の投影装置だ。

 


 箱は公表されるとたちまち世界中で話題になった。なにせ古代遺跡から現代の科学力でさえ再現できない物が発掘されたのだ。まるで映画のような出来事に、誰も彼もが夢中になった。

 古代遺跡の研究は国家プロジェクトになり、あらゆる分野の一流の専門家が集まった。映像の少女は誰なのか、何を言っているのか。

 箱自体の研究には特に力が注がれた。箱は音波も電波も遮断し、さらにはのこぎりもやすりも文字通り歯が立たず、内部構造は透明な底面から見える歯車を除いて全くの不明。穴もレンズも無いのに、どうやって立体映像や音声を出力しているのかも不明。調べれば調べるほど謎だらけで、何年にも渡って研究の成果は現れなかった。

 十年が経ち、箱は『パンドラの箱』と呼ばれるようになっていた。立体映像の少女と箱から連想された単純なネーミングだったが、その神秘性から特に揉め事もなく定着した。

 『パンドラの箱』の研究者は最盛期の十分の一以下になっていた。あまりにも研究が進まなかったからだ。残った研究者は少ない予算に文句を垂れながら、先の見えない研究と将来に頭を悩ませていた。しかし彼らは諦めない。どんな苦境も、少女の無邪気な笑顔を見れば乗り越えられるような気がした。

 そんな時、ついに彼らに光が差した。

 箱の側面の文字が解読されたのだ。文字の意味は瞬く間に世界中を駆け巡り、再び、いや、以前よりも大きな『パンドラの箱』ブームを巻き起こした。プロジェクトは複数の国家に跨る、最も優先すべきものとなる。


 なぜなら箱に書かれていた言葉が、【無限にエネルギーの湧き出る箱】だったのだから。


 地球温暖化に伴う諸問題は深刻化しており、新たなエネルギー開発は急務であった。現代科学を凌駕する古代の技術によって記された言葉。

 それはまさしく『パンドラの箱』の底に残された希望であった。

 神話の遺物というオカルトを、『パンドラの箱』が現実のものにしたのだ。

 世界中の学者が血眼になって成果を求めた。堅牢な箱の謎を解明するため、あらゆる分野の技術が急速に発展した。

 そしてさらに数十年。

 人々はついに少女が何と言っているのか、それを解明する技術を手に入れた。マイク入力された音声を世界中の言語、文化、民族性、さらには歴史的背景や気候や医学的動物学的要素、その他様々なものと照らし合わせて翻訳する、自動万能翻訳機が開発されたのだ。彼女の言葉がわかれば、人類は無限のエネルギーへの道を大きく前進することになるだろう。

 機械による翻訳は、世界的な式典として行われることになった。全国家主席をはじめ、王族や財界の大物、宗教も人種も問わず、大勢の人間が集まった。今この時、彼らは母なる星の危機を憂う子供達であった。誰もが箱がもたらすであろう希望を心待ちにしていた。

 式が始まり山ほどの祝辞と祈りが読まれ、会場は神聖な空気に包まれる。早くも涙を流す者がおり、肩を組んで彼を労わる者がいる。下を向いて泣いていたら、これから起こる奇跡を見逃してしまうぞ、と。

 いよいよ、その時が来た。

 ステージ上の『パンドラの箱』と自動万能翻訳機を、背後の巨大スクリーンが映している。さらに映像は世界中に生中継されていて、全地球市民が目を瞠り、耳を澄ませていた。

 箱を発掘した考古学チームで一番若かった男が、一礼してステージに上がる。彼の髪は真っ白く色が抜け、顔には深いしわが刻まれていた。それだけの時間が過ぎていた。杖を突きながら、なおも力強い足取りで箱の前に立つ。彼は箱の前に跪くと、手を組んで神に感謝した。神は人類の危機を知り、このような形で奇跡を起こしたのだ。

 感謝の祈りを終えて立ち上がり、静かに一つ呼吸を置いて、彼は箱の半球を押した。

 放射される光。

 光は人の形に、少女になる。

 彼女の笑みは人類への祝福だったのだ。

 小さな愛らしい唇が開き、音を奏でる。

 マイクが音を拾い、翻訳機によって人類に福音がもたらされる。


『お父さん、大好きだよ。お仕事がんばってね』

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