老雁

ナカナカカナ

老雁

 北の大地。湖面が、薄氷で覆われ始める。エサとなる水草は枯れ果て、雁たちは厳しい冬を前に、南へと旅立つ準備を進めていた。

 群れを率いるのは、一羽の老いた雁であった。その翼には無数の傷跡が刻まれており、彼の過去の壮絶な冒険を物語っていた。

 老雁は、数々の渡りを経験し、群れの安全を守ることに長けていた。

 若き雁たちに渡りの心得を一つ一つ丁寧に教えた。風を読むこと、群れを組むこと、危険を察知すること。若き雁たちは老雁の教えを心に刻み、懸命に学んだ。


 渡りの途中、雁たちは様々な困難に直面する。嵐に見舞われたり、迷子のヒナを助けたり、人間との接触を避けたり……その度に老雁は、若き雁たちを励まし、時には厳しい言葉を投げかけながら、共に乗り越えていった。


 ある日、雁の群れは猛烈な嵐に出会した。

 老雁ですら経験したことのない大きな嵐だ。海上で寄る岸辺もなく、懸命に飛ぶ以外の選択肢がなかった。老雁はV字型の編隊を組んだ群れの先頭に立ち、必死に飛び続けた。

 嵐が去る。

 数十羽いた群れは、わずかに十羽を残すのみとなっていた。

 

 老雁は自分を責めた。

 

 老雁は、嵐で散り散りになった若雁たちのことを考え、悲しみに暮れていた。

 自分がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかったのに。

 若雁たちの未来を奪ってしまった。

 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 そんな時、一羽の若い雁が老雁の元にやってきた。

 少し翼を怪我していたが、しっかりと立っていた。


「ご心配なく。私たちは生きています。まだ飛べます。嵐で離れ離れになった仲間たちも、きっとどこかで生きているはずです」


 若雁の力強い言葉に、老雁はハッとした。

 そうだ、まだ諦めるわけにはいかない。

 生き残った者たちだけでも……残ったこの十羽で、無事に目的地までたどり着かなければ。

 そして、離れ離れになった仲間たちを、必ず探し出さなければ。


 老雁は再び立ち上がった。

 

 南へ。南へ……

 老雁は皆を率いて南を目指す。

 今まで以上に仲間を気遣い。今まで以上に慎重に。

 

 そして、もうすぐ目的地というところで群れに着いていけなくなった雁が一羽。気にはなっていた。だが、あともう少し……

 老雁は遅れ始めた雁に近寄り声をかけた。

 

「すいません……私はどうやらここまでのようです。先に行って下さい」

 

 長い渡りで彼の体は満身創痍だった。翼を見ると、かなりの羽が抜け落ちており、このまま群れに着いて来るのが難しいことは一目見て分かった。

 どうする……

 一匹の若雁が二人の元に近付いて来た。老雁を励ました、あの若雁であった。

 

「私は彼と残ります。いえ……残らせて下さい。私と彼は……!」

 

 そう言うと若雁は少し膨らんだお腹をそっと翼で撫でた。

 なるほど。と老雁は頷いた。

 

「では……一羽いなくなっても目標通り十羽で目的地に着けるわけだな」

 

 と老雁は言った。

 

「そんな……!」

 

 と叫んだ若雁の声を遮るように老雁は声高に叫んだ。

 

「皆! 聞け! これは私からの最後の命令だ!」

 

 群れが皆、老雁を見る。群れの為、非情な判断をくだすのだと皆が覚悟を決めて老雁の言葉に耳を傾けた。

 

「私の羽を彼の翼へ……必ず十羽・・で無事にたどり着け」

 

 群れの皆は驚いた。反対するものもいた。だが老雁は断固としてその主張を貫いた。

 

「ここらで潮時だ。なに……どうせ来年は渡りには耐えられん」

 

 そう言って笑う老雁。

 老雁の翼にクチバシが近づき、羽を一枚を取る。あの若雁であった。若雁は傷ついた雁に羽をそっと差し込むと

 

「必ず。必ずたどり着きます」

 

 と言った。それを見た他の雁達も一枚……また一枚……老雁から傷ついた雁に羽を移していった。まるで老雁を見送るかのように。

 

 群れの編隊の高度が徐々に落ちる。高く飛べなくなってきた老雁に合わせて皆も高度を落とした。


「ここいらでいい。さあ……行け! 振り返るな! 高く! 高く翔べ!」


 若雁を先頭に群れは上昇を始める。高く。高く。

 傷ついた雁も若雁の後ろで力強く羽ばたき翔んでいた。


 これでいい。これで……


 老雁は最後に群れを見上げた。頼もしくなった若い雁達を最後に目に焼き付ける為に。

 そしてあることに気付いた。下から群れを見て初めて気付いた。


 あれ? アイツ……先頭のアイツ……


 老雁は聞いた。


「お前……お前オスなの?」


 若雁は答える。


「心は……」


 若雁は少し間をもって


「心は……メスです!」


 力強く、そう答えた。


 そうか……心はメスか……


 ああ……コレは……

 コレが性の多様性かぁ……あいたたたぁー……

 え? セクシュアルマイノリティっての?

 心はメスとか言われても……

 この場面で言われても……

 いや。この場面じゃなきゃ「ふーん……そうなんだ」って言えるけど……

 老いたワシには……ワシにはちょっと難しいや……ハハ……

 

 九羽の雁の群れは高く翔んで行く。

 便秘で少しお腹が膨らんだ若い雁を先頭に。




 ────────


 

 

 多様性の波は雁の世界でも……

 エー◯ージャパンは性の多様性を、特に応援も支援も否定もせずに……ただ、なんとなく時代のニーズに合わせて行きます。

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老雁 ナカナカカナ @nr1156

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