影踏み

槙野 光

影踏み

 姉が十二で、私が九つ。その頃には、我が家は既に地雷だらけだった。

 米の炊き方だったり、洗濯の仕方だったり。両親が些細なことで爆ぜる度、姉は両親の目を盗み私を連れて家を出た。

 休日の澄明な空。平日の藍色の空。春も夏も秋も冬も。目的地などない、まるで迷路な住宅地。移り変わる空の下、姉は息を乱さず足早に、私は息を乱して足早に――ふたり、歩いた。

「地雷なんて、掘り出せばいいのに」

 私が姉の背中に向かって溢すと、姉は「自分の手が汚れるのが嫌なんでしょ?」と吐き捨てるように言う。温度を伴わないその声に、両親を見る姉の顔が脳裡を過ぎる。その顔は冷え冷えとしていて、その瞳はきっと昏いのだろう。私は「うん」と顎を引く。そして姉の背中を灼きつけるように瞳に映し出すと、立ち止まり振り返った視線と交差した。

「梢」

 姉の瞳が冬から春へと移り変わり、柔かな声が私の中で熱を持つ。灰色のパレットが色鮮やかに染まっていくこの瞬間が、幼い私の、唯一の救いだった。


 姉の口癖は「私は結婚なんか絶対にしない」で、根を張り萌芽した姉への傾倒は、知らぬ間に舌にまで侵食を許すようになった。しかし不快ではない。毛細血管ひとつ残らず姉の言葉に染まり舌苔に塗れたとしても、吐き出しはしなかっただろう。

 私は、姉の影を追い続けた。瞬きせず、ずっと。けれど、初潮を迎えた姉の脂肪が腰回りから胸に移るにつれ、私と姉に判然とした隔たりが生まれるようになった。

 姉は二十歳を迎えてからも結婚を厭うていたが、女然りとした姿勢を手放すことは決してしなかった。帰宅後は必ず化粧を落とし、湯船に浸かり汗を流す。化粧水も乳液もパックも欠かさず、就寝前に白湯を一杯飲む。夜更かしはせず、スマホのアラームに叩き起こされることもない。漆のような艶やかな黒髪を後頭部でひとつに結び、桃色のスポーツウェアを見に纏い早朝ランニングに向かう。

 凛とした相貌を着飾るまつ毛は主張しすぎないように反りかえっていて、その瞼は朝日を浴びた霜のような眩い光を散らしていた。

 孤独と独立は、似ているようで似ていない。

 常に臨戦体制を整えている姉は、いつもその狭間にいた。姉のその瞳が昏冥から抜け出し煌々とする度、私と姉は別個体なんだと否が応でも突きつけられるようだった。幼い頃から根を張り続けた姉への傾倒が、いっそのことその瞳を抉り取ってやりたいと悲鳴を上げる。

 根は、どこまで延びたのだろう。影は決して重ならず、揺らいでは食み出し消えていく。

 私はかぶりを振り、姉の背中を懸命に追った。


「梢。私、結婚するから」


 表参道の、しっとりとした音楽流れるウッド調のカフェ。カフェテラス席で向かい合った姉が微笑み、雲間から日が差し込む。凛とした相貌を着飾ったまつ毛の反り具合が以前より洗練されているように見え、喉元を過ぎようとしていた酸素が急激に膨らむ。私はそれが爆ぜる前に珈琲カップの取ってを掴み、口を付けた。舌に広がった珈琲は酷く苦く、そして重い。必死に堪え、押し流した。


 姉は今月の十月に、二十八を迎えた。

 私は翌月の十一月で、二十五を迎える。


 その頃になると両親の喧嘩は鳴りを潜め、赤の他人のふりが随分と上手くなっていた。しかし爆風のような日々が色濃く残る私の耳には、彼らの笑い声はひどく白々しく聞こえた。私は耳を塞ぎ、視界を遮断する。姉もきっとそうするのだろうと、漠然とそう思っていた。でも、月日と共に育った隔たりは一丁そこらでは飛び越えられぬほど高くなっていた。

「お父さん、お母さん」

 両親と仲睦まじく言葉を交わす姉の背が、とても遠い。いつのまにか影すら見えなくなってしまった。

 その頃から、時折、夢を見るようになった。

 私は底冷えした空間にぼやけるように立っていて、裸体を晒し背を向けるわたしの姿をぼうっと映し出している。わたしの足元には私の足の届かないもっと奥深くに埋め直された地雷があって、衝動のままに掘り返し幾度も踏みつけるわたしから声にならぬ悲鳴が幾度も上がる。そしてわたしの足元に緋が滲み、初め小さな円だったそれは歪みながらじわじわと広がっていく。

 私の足先にまで押し寄せ辿り着いたそれは外気に晒され黒々と変色していて、まるで――影のようだった。


「はっ」


 飛び起き、詰めていた息が吐き出される。不協和音が全身を巡り、背中に張り付いたルームウェアの不快感に思わず眉を顰めた。身を折り、胸の前で腕を交差させ自身を抱きしめると、全身が激しく熱を持った。

「梢、何で出ていくの?」

 自室で引越しの段ボールに荷物を詰めていると、私の耳にまっさらな声が耳に届いた。姉の言葉は背中を突き破り、強度を保ったまま胸の奥深くに突き刺る。言葉を返そうとしたけれど唇が震えて儘ならなくて、堪らず目を伏せ視界を遮断した。唇を引き結ぶと、舌が唇の内側を濡らす。

「私は結婚なんか絶対にしない」

 その口癖は、今や私だけのものだ。


 姉から連絡があったのは、その半年後。緑と黄の狭間を彷徨う銀杏並木が地平を染め上げ着膨れした人の姿が目立ち始めた頃だった。

 視線を落とすと白い陶器の珈琲カップに波波注がれた濃茶の液体があって、乾いた女の渋面が透き通って見えた。踏み付けられて萎びれた葉のようなその色は、追いかけ続けた影の色にどこか似ている。

「おめでとう……姉さん」

 機械的に開けた唇の合間から這い上がってきたのは、上澄だけを掬い取ったような声だった。

 姉は目元を緩め、ささくれなんて一切見えない指先で横髪をすくって耳殻に掛ける。晒された耳朶に、私の知らないスタッドピアス。透けたピンクの細やかな輝きはきっとトルマリンで、それは姉の誕生石だ。

「ありがとう、梢」

 花開くように顔を綻ばせた姉の指が、ストローを滑らかに摘む。桜色の唇でその先を優しく食むように咥えると、姉の影が白テーブルの上でちらちらと揺れた。同時に柔かな葉擦れの囁きが耳に届き、視界の端で半端な色の銀杏が一枚、はらりと落ちていった。


 お色直しのドレスは淡い桃色で、姉のお腹の膨らみも胎動も私には分からなかった。

 披露宴には、姉と旦那の仕事仲間や友人が一堂に会し、私は姉から遠く離れた位置で礼服を纏った両親と円卓を共にしていた。両親の側に黒髪を後ろに撫でつけた男性スタッフがやって来て、滑らかな手付きで円卓にビール瓶を置き去っていく。そして私の向かいで父がビールグラスを傾け、母が父のグラスにビール瓶を傾ける。

 薄らと赤みを帯びていく顔に、調子の上がった笑い声。黄金色の液体の中で、細やかな泡が弾けては消えていく。

 私は手に持っていたビールグラスを円卓に戻し、お手洗いに行くと偽りクラッチバッグを手に席を立った。歩き出す寸前、小刻みに肩を揺らしながらビールグラスに口を付ける両親が視界に入り、私は顔を逸らし歩き出す。そして重厚な扉を開け、グラナストーンのカーペットに黒のグリッターパンプスを沈ませ背後で鈍く重い音が響くと、唇の合間から深い吐息が漏れた。

 排出した息の代わりに吸い込んだ酸素は、清々しい。けれど胃の腑に落ちた途端、沈み込むように重苦しくなっていった。

 一歩二歩。お手洗いはこちらと親切な赤いワンピースの絵図を素通りし、エレベーターホールに向かう。

 壁側に沿うように立ち顔を持ち上げ表示灯を見ると、算用数字が半円を描きながら並んでいた。時折立ち止まりながら左右に行ったり来たりする淡い光は不規則で、まるで私のようだと、そう、思った。

 唇を噛み、常磐色のドレスを突っ張らせながら腰を折り膝に手を付く。顔を伏せると目の奥がじんわりと熱を帯び、喉元まで滲んでいく。そしてそれが唇の内側まで迫り上がり、

「――大丈夫ですか?」

 瞬間、涼やかな声が鼓膜を揺らした。のろのろと顔を持ち上げ右を向くと、黒髪を後ろに撫でつけた男性と視線が交差する。黒のフォーマルベストに、黒のスラックス。一見細身に見えるのに白シャツから覗く首元はがっちりとしていて、見た目、姉と同じ年のくらい。

 眉尻を下げた彼は肩幅分ほど距離の先にいて、既視感のある相貌に海馬を刺激すると、少しして、円卓にビール瓶を置きに来た会場スタッフの影と重なった。きびきびと動き回っていた割に、後ろに撫でつけた黒髪も首元の蝶ネクタイも一糸乱れることなく規律を守っている。その整然とした様相に息苦しさを覚え振り払うように前を向くと、表示灯の淡い光が中央で止まった。

「……大丈夫、です」

 絞り出した声が掠れて揺れる。少しばかり目を伏せる私に、彼は何も言わなかった。代わりに、とん、と軽い音が耳に届く。

 釣られるように顔を上げると、距離を保ったまま壁に背を預けた彼の姿があった。再び視線が交差し、彼が目元を和らげる。

「少し、休ませてください」

 そう言って、彼は「内緒ですよ」と唇の前で人差し指を天に向けた。目尻に寄った皺と、うっすらと残る笑い皺。その眼差しの柔らかさに息が和らいでいく。撓んだ空気はあの日姉に降り注いだ日差しとよく似ていて、吸い込んだ酸素は胃の腑に落ちても、重くならなかった。

 表示灯に視線を映すと、立ち止まっていた淡い光がひとつずつ動き出す。壁に背を預けた彼の影は、私には見えなかった。

「角川さん」

 少しして、会場の方から硬質な渋い声が飛び込んできた。続いて「やべっ」と彼の乱れた声が微かに鼓膜を揺らす。見ると、右奥の方で彼と同じ制服を纏った年配の男性が立っていた。彼よりもくっきりと浮かぶ笑い皺に、静謐さを帯びた深い瞳。

 男性の真っ直ぐな視線が彼に伸び、

「すみません、今戻ります」

 壁に背を預けていた彼は慌てて姿勢を正し、足早に足早に歩き出す。

 遠ざかっていくふたりの背をぼうっと眺めていると角を曲がりかけた彼がふと立ち止まり、私に向かって頭を軽く下げた。

 整然としたそれに、息苦しさは微塵も感じない。

 私が頭を軽く下げ返すと彼は瞬きをし、小さく笑う。そして持ち上がった口角と共に壁の向こうへと消えていき――瞬間、飛び跳ねるようなエレベーターの到着音が響いた。

 扉が開き、私は淡い吐息を漏らす。疎らに降りた人影に紛れるように会場の方へと歩き出し途中お手洗いに寄って鏡を見ると、反り返ったまつ毛と朝日を浴びた霜のような光が瞼の上に散っていた。

 光は、眩いというには足りない。でもそのぐらいの浅さが、今の私にはちょうど良かった。

 

 会場に戻り重厚な扉が閉まると、清々しかった空気に圧が加わった。眼前には、赤みを帯びた両親の顔。壇上には、旦那と目を合わせ顔を綻ばせた姉の姿。目を滑らせグラスに唇を付けると、黄金色の中で弾けた泡が胃の腑にまろび転ぶように消えていく。しゅわしゅわ、しゅわしゅわ。苦い苦い、ビールの味。

「お注ぎいたしますか?」

 グラスを空にしてテーブルに置くと、不意に涼やかな声が鼓膜を揺らした。釣られるように顔を右方向に持ち上げると、私の立つ席の後方近くに目元を和らげた彼がいて。私は一拍言葉を詰まらせ、やや目を伏せて小さく顎を引いた。

「ええ、お願いします」

 すると、ふっと彼の小さな笑みが鼓膜を揺らし、すらりとした指先が伸びグラスを掴む。その指を追いかけ見ると、とくとくと軽やかに注がれる黄金色の液体があって、その中で泡が消えては生まれていった。

 グラスに口をつけると、喉元でビールが弾けるように触れる。しゅわしゅわ、しゅわしゅわ。苦くて甘い、ビールの味。瞬きをすると、視界に入った円卓の上でグラスの影がちらちらと揺れて見えた。


 やがて披露宴が終わる。席を立ち、扉を抜ける前に振り返ると壁際にいた彼と視線が交差した。一拍、そして二拍後、彼が頭を軽く下げる。

 発見。彼の旋毛は、多分右巻きだ。

 私は小さく笑みを溢し、頭を下げ返す。そして左右に開け放たれた扉から真っ直ぐに、会場を出た。

 扉を抜けると、姉夫婦と両親が招待客を見送っていた。穢れない姉のその手にはスクエア型の籐かごにプチギフトがあって、桃色のリボンが控えめに覗いている。

「梢」

 姉と向かい合い視線を交差させると、姉のその頬が次第に緩まっていく。

「来てくれて、ありがとう」

 ドレスを纏ったその柔かな眼差しに、幼い頃の姉の眼差しが重なり、それを認めた瞬間、グラスの縁から溢れるように胸の奥で光が爆ぜた。


 ――ああ、そうか。

 姉さんはもう、冬の中にいないんだ。


「おめでとう……、姉さん」 


 私が目元を緩めて言うと、姉が言葉を詰まらせたのが分かった。反り返ったまつ毛は一糸乱れず凛とした相貌を着飾っていて。姉の唇が微かに震え、下ろした瞼がゆっくりと持ち上がる。

「……ありがとう。梢」

 桃色のドレスを纏い微笑む姉のその顔は雪解けを待ち開いた花のように美しく、多分どんな光よりも洗練され輝いていた。


 洒落たドレスは、十二月には早い。それでもコートを羽織り歩く内に生まれた熱が、私の身体を温める。

 横断歩道の手前で歩行者用信号が赤になり、立ち止まり振り返る。そこには、橙色の陽に照らされながら天に向かって聳え立つ堂々としたビルの姿があった。

 灼きつけるように目を細め前を向くと交通量の多い都心の道路を次々に車が過ぎ去っていき、信号が青くなり「進め」の人影が現れる。

 家族。カップル。学生。子供。男。女。

 私は黒線だけを踏み、そして確かな足取りでゆっくりと、駅へ向かった。

 ぎゅうぎゅう詰めの電車に揺られ、一時間弱。最寄駅から歩いて十五分。根城となっているマンションに着いた頃には、橙は消えていた。

 装飾を全て取り払い身体を湯船に浸けると、途端、睡魔に襲われた。船を漕ぐ前に慌てて風呂から出てルームウェアに身を包み、ベッドの上で横になる。けれど全身に響き渡る鼓動にその内頭まで冴え冴えとしてきて、なかなか寝付けなかった。諦めて、ぱんぱんになった脹脛の抗議を無視して掛け布団を捲る。

 ベッドから足を下ろし、紺色のダウンジャケットをルームウェアの上に纏い鼠色のスニーカーを履く。

 部屋を出て住宅地を歩くと唇の合間から白い息が立ち上り、ゆらゆらと揺れるそれを追いかける。

 藍色の空には細長い欠け月がひとつと点々とした疎らな星が、ビールの泡にも表示灯にも似た淡い光を放っていた。

 ひとつ、またひとつ。ゆっくりと、視界に映し出す。ポケットの中で握りしめた手は、温かった。

 コンビニに辿り着き、左右に開いたガラス張りの自動ドアを潜る。雑誌、弁当、お菓子、アイス。順々に巡り、保冷棚の前で立ち止まる。目を滑らせ、黄金色にも銀杏にも似たお目当ての缶ビールを見つける。扉を開き手に取ると、温まった指に冷感が伝う。けれど、芯の温もりはそのままだ。

 保冷棚の近くには、横並びに置かれたセルフレジが二台。右側に向かう男性らしき細身の背中に、私は左に足を向けた。タッチパネルにスマホを翳し、ポイントカードを読み取らせる。次に缶ビールのバーコードを翳そうとし――右の視界に、すらりとした手が伸びてきた。その手が什器に掛かった有料レジ袋を掴んで引く。すると、「あっ」と小さな声が隣から上がり、続いて渋い吐息が耳に届いた。見ると、その手にはレジ袋が二枚あって。惑うように固まった空気に、気が付けば口を開いていた。

「あの……。差し支えなければ、一枚いただけますか?」

 けれど返ってきたのは静寂で、今度は私が固まる羽目になる。でも、今更引っ込みなんて付かなくて、私は顔を上げる。

 そして、息を呑んだ。

 少し乱れた髪とは対照的な清廉な白シャツ。口元にうっすらと残った笑い皺。そこには数時間前に隣にいた彼の姿があって、彼の瞳孔がみるみる間に膨らんでいく様相が確かに見えた。

 沈黙は、何秒くらいだっただろう。

「助かります」

 静寂を破ったのは彼の声。彼が差し出した一枚のレジ袋を手に取ると、彼が私の眼前にある缶ビールに視線を向ける。

「それ、美味しいですよね……。僕、好きなんです」

 はにかむように笑う彼の目尻に皺が寄り、私は彼の眼前にある缶ビールにゆっくりと視線を向ける。

「私も。……私も、好きなんです」

 目元を緩め私が言うと、彼がまた笑う。それは淡い光のような、優しい笑みだった。


 会計を済ませ、左右に開いた自動ドアを潜る。そして彼とふたり隅に寄り、コンビニの壁に沿うように並び立った。

 私と彼の距離は、肩幅よりも短い。

 缶ビールのプルタブを手前に引くと軽やかな音がして、口をつけると弾けた泡が喉元を刺激した。

 しゅわしゅわ、しゅわしゅわ。

 苦い甘い、苦い甘い。交差するビールの味。

 顔を右に向けると、彼が視界に入る。視界に入った彼が、微笑む。

 私と彼の間に言葉はない。でも決して不快ではなく、私はまた前を向き、彼の隣でビールを飲む。藍色の空で淡い星がちらちらと光っているのがよく見えた。


 そして空は、移り変わっていく――。


 半年もしない内に、表参道を彩っていた銀杏並木は瑞々しい緑葉へと姿を変えた。私と彼はウッド調のカフェで向かい合い珈琲に舌鼓を打っていたが、西に陽が傾き始めた頃、店を出た。

 私は、彼の少し後ろを歩く。

 澄明な空を包むような橙色の光に、彼の影が延びる。私はそれを大きな一歩で踏む。すると影は逃げるように離れ、近づくようにまた延びてくる。影を追いかける。踏み、離れ、ふと彼の影が立ち止まり――振り返った彼と、視線が交差した。

「梢」

 耳を打つ、涼やかな声。私は口元を緩め、彼の影を追い越す。そして隣に並んで、彼の右手と温もりを分け合った。

 私は、彼と歩く。その度に影は揺れ、歪に溶け合いながら少しずつ形を変えていく。

 きっと私と姉の影も、形が違う。でも、地面に延びた影の色は、多分同じなんだ。

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