魚の骨

六散人

何だこの魚は!旨すぎるだろう

出張の楽しみは何と言っても、旅先でその町の旨いものを食べ、旨い酒を嗜むことだろう。

俺は仕事やプライベートの旅行で、日本中の殆どの都道府県に行ったことがある。


行ったことがないのは、岩手、山形、茨城、栃木の四県くらいか。

他の御道府県には、一度は足を踏み入れたことがあるのだ。

殆ど仕事だったけどね。


大した趣味もないので、楽しみと言えば食べることと呑むことくらいだ。

そして今日俺は、これまで来たことのない町に来ている。

〇〇県にある太平洋沿いの町だ。


仕事を終え、ホテルにチェックインしたのは午後六時を過ぎていた。

狭いシングルの部屋に荷物を置き、取り敢えずネクタイだけは外して街に繰り出した。


それ程大きな街ではないので、飲食店も小さな一角に固まっている。

俺は狭い繁華街をそぞろ歩きながら、好みの店を探し歩いた。


俺の好みと言えば和食だ。

勿論洋食、中華、旨い物なら何でも好きだが、旅先で一人嗜むとしたら和食だろう。


そして見つけた。

路地の奥にそれらしい提灯。


惹き込まれるように路地に入っていくと、突き当りに風情のある店が一軒。

定番の赤ちょうちんに、くすんだ茶色の格子戸がいいね。


扉を開けて暖簾を潜ると、カウンターだけの狭い店だった。

他に客はいない。


カウンターの向こうには五十絡みの眼付きの鋭い男が、何やら忙しそうに手を動かしている。

店主らしいその男は俺をちらりと見て、「いらっしゃい」とあまり愛想のない声で言った。


しかし俺は気にしない。

要は旨ければいいのだ。


店主の前の席に腰を下ろした俺は、一先ずビールの中壜を注文する。

ジョッキの生ビールはあまり好きではない。

お腹が張るし、直ぐ炭酸が抜けて味が落ちるからだ。


「料理は何になさいます?」

一杯目のグラスを飲み干した俺に、店主は訊いた。


「お薦めはあるの?」

初めての店では必ず訊く台詞だ。


「そうですね。

今の季節ならゴンスイがお薦めです」

「ゴンスイ?

それって毒のある奴じゃないの?」


「それはゴンイですね。

一字違いで紛らわしいんですけど、うちに置いてるのはゴンイです。


ゴンイも白身の上品な味で美味しいんですけど、ゴンイの比じゃないですね。

何しろ食べたら魂盗られるくらい旨いってんで、<魂消たまげ>なんて呼ばれてるくらいですから」


「そ、それ頂戴」

俺は思わず言っていた。

偶にハズレもあるが、こういう店の店主のお薦めは大体当たりが多いからだ。


「食べ方はどうされます?

刺し身と煮付がありますけど」


「どっちが美味しいの?」

「まあ好みですけど、この辺のお客さんは刺し身の後で煮付というのが定番ですね」

「じゃあ俺も両方貰おうかな」

「承知しました」


店主はそう言うと、早速刺し身を引きに掛かった。

そして出て来たのは、いかにも上品そうなプリプリの白身。

見るからに旨そうだ。


これはビールの当てには勿体ない。

俺は辛口の冷酒をたのんだ。


「刺し身はたまりじゃなく、岩塩をほんの少しだけ付けて召し上がって下さい。

その方が身の旨味が引き立ちますんで」


俺は言われた通り、刺し身の横に沿えられた岩塩を少しだけ付けて口に含んだ。

旨ああああああい。


何だこれは?

今まで食べたこともないぞ。


淡白な白身の奥に隠された、芳醇な旨味が口に中に拡がる。

そして岩塩がその旨味を、十二分に引き立てているではないか!


――この店は大正解だ!

そう思いながら俺は、辛口の冷酒を一口啜る。


旨あああああああい!

得も言われぬゴンスイと酒のハーモニー!

正に至福の瞬間と言えよう。


俺は瞬く間にゴンスイの刺し身を平らげていた。

そしてそれを見計らったように、煮付が俺の前に差し出される。


小ぶりの金目鯛に似た外観の魚だ。

煮汁にその色艶が見事に映えている。


「煮付は美味しいんですけど、小骨が多いんですよ。

気をつけて下さいね」

店主の注意に頷いた俺は、早速黄金色の煮付に箸を付ける。


旨ああああああああああい!

何だこれは。

この世の食べ物とは思えんぞ!


余りの旨さに感動したその時、喉に違和感が走った。

拙い。

喉に小骨が刺さったようだ。


違和感が半端ない。

呼吸する度に、骨が筋肉にめり込んでいくような気がする。


「おや、お客さん。

やっちゃいましたか。


しかたないですね。

私がお取りしましょうか?」


店主の申し出に俺は少し驚いた。

それを察したように、店主は続ける。


「いやなに。喉に骨をつっかえさせるお客さんは多いんで、私も慣れてるんですよ。

少々不躾ですが、菜箸を口に入れて骨を抜き取るだけです。

直ぐに終わりますよ」


そう言われた俺は喉の違和感に堪えられず、「お願いします」と言って大口を開いた。

この年になれば、この程度は恥ずかしくも何ともない。


店主はカウンター越しに、手慣れた手つきで菜箸を俺の口に突っ込むと、あっという間に骨を抜き取ってしまった。

たちまち喉の違和感は消えて、スッキリだ。


店主に礼を言おうとした俺は、別の違和感を覚えた。

何かが口の端に付いている。


「あれっ」と思って口に手をやると、糸のようなものが触れた。

よく見ると店主が持った菜箸の先に、俺の口から糸が伸びている。


「おお、釣れましたね」

店主はそう言うと、その糸を手に持って勢いよく引っ張った。

そして俺の魂は消え去った。


***

「お客さん。言ったでしょう。

魂吸ごんすいは魂消る程旨いって。

魂頂戴しましたんで、お代は結構ですよ」


そう言って北叟笑んだ店主は客の躰を担ぎ上げ、店の奥に運び込む。

奥には大きな水槽が置かれていた。


店主が客の躰を水槽に投げ込むと、中にいた魂吸たちが一斉に群がった。

それを見ながら店主は呟いた。

「後二、三体は餌がいるな」


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魚の骨 六散人 @ROKUSANJIN

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