星の骨

朝吹

星の骨


 子どもの頃から廃墟の写真や映像を見るのが好きだった。だから中学校の美術の時間で切り絵の課題が出た時、ぼくは躊躇うことなく、題材を廃墟に決めた。

 他の連中が持ち寄ったのは、アニメのキャラや自作のイラスト、飼っている犬や風景の写真だ。それを薄紙に書き写し、黒い画用紙の上に重ね、線画部分だけが残るように細刃で切り込みを入れていく。ひと筆書きのように全てがどこかで繋がっているようにしなければならないのだが、画によってはどうしても切れてしまう部分が出てくる。


「なるべく島は作らないで。島とは、他から離れて取れてしまう状態です」

「人の顔でそれをやるのは難しいです、先生」

「原画どおりでなくてもいいから、影や髪の毛を工夫して、台紙と繋ぐこと」


 ぼくが下絵として選んだのは原発事故で放棄された街だ。錆びついた観覧車をメインにして、半壊のアパートと、空を飛び交う鳥の写真を背景に組み合わせた。

「もっと遠景にして森を真っ黒にしたら、画面の半分くらいは埋まるよな」

「そんなことをしたら手抜きの意図が先生にばればれになる」

 友だちにはそう応えたが、確かに樹林の部分を大胆に黒く残すほうが画が引き立ってみえるような気がした。そこで、観覧車をうんと引きにして、海底から天然ガスを採掘する石油リグのように見えるまで遠くにおき、奥に枯れ木のような観覧車、比較対象として手前に針葉樹を立ててみると、白黒の分量もなかなか良い感じに収まった。

 廃炉となり封棺された発電所の周辺に栄えた街は、廃墟となった後も一部が観光地と化している。遊園地はそのアイコンだ。放置しておくと樹海に沈むので、定期的に軍や管理人が木の枝を払い、そのお蔭でバスで乗り付けた旅人は放射線測定器を手にして限定された範囲をうろうろ出来る。

 土中から押し上げる植物のためにひび割れている路面。市民の姿が絶えた公園。

 本当の廃墟は立ち入り禁止地区の方にあって、そちらは特別の許可がないと行くことは出来ない。映画館も体育館も荒れ放題のまま、遠くない未来に、建物の老朽化を理由に完全に進入禁止になるだろう。

 黒画用紙は失敗した時の予備として二枚もらっている。課題用に一つ仕上げた後で、残った一枚には、黒い森の上に雲だけが流れている絵を写した。

 ぼくは無性に廃墟に恋をしていた。そこには人がいない。集中力を高め、細刃で観覧車を黒く切り出す。窓の破れたゴンドラ。かつてはそこから街を眺めた女の子がいたのだろう。女の子の幻は影絵の中から空に流れる雲を見上げている。

 穏やかに河が流れていたある晴れた日の四月。

「出来上がった作品には題名をつけて下さい。氏名も忘れずに」

 ぼくは少し考えた後で、住人が一斉退去させられたその街の名を、黒い線で浮き上がらせた切り絵につけた。

 

 

 廃墟好きと云うと怪訝な顔をされるが、意外と根強い人気があり、毎年のように写真集が出る。たいていの廃墟はそこに辿りつく道からすでに失われている上、接近するには躊躇するような場所にある。訪れる側も命がけだ。

 鬱蒼とした森へと変わりつつあるかつての街路樹。豪雪と時の重みに親柱すら地べたに四散した集落。

 緑に包まれるようにというよりは、太陽光と冷たい雨に容赦なく突き刺されて色褪せ、欠けて、朽ちていく建造物。人が去った後のそれらの都市は人間と共にゆるやかに劣化していた時間を一度止めると、弓から放たれた矢のようにそこからいそいで原始に巻き戻る。たとえ人が消えてからまだ二十年も経たない跡地ですら、狂暴な自然に侵食されてかび色だ。

 そこには風の音がする。

 無人になったビルの間を通り抜ける風だ。

 ゴーン……。

 鉄骨のひとかけらが錆を浮かべた赤い水たまりに落下する。誰もいなくなった街中にその音が、巨人の鳴らす鐘の音のように木霊する。

 土中を掘れば銅鐸が出てくるように、全ては何処かに埋もれてしまうのだ。


 おーい。


 鳥の鳴き声に重なって捜索隊の声がきこえた。顔の上を小さな虫が這い回る。熊が藪をかき分けるような音が接近するがよく見えない。がさっがさっ。頭蓋骨が冷凍庫に入れられた西瓜のように重たく、身体がまるで動かせない。

「しっかりしろ。今、助けてやるからな」

 美術室の長机に並べられた見本の画用紙。

「金網に絵の具を塗って、ブラシで擦ると、霧吹きをかけたように細かい飛沫模様で紙を染めることが出来ます」

 うつつから離れてぼくはしばし過去の夢の中にいたらしい。スパッタリング技法で紙を染めるのは楽しかった。その上に黒画用紙で作った切り絵を貼り付けると、背景色とのコントラストが出来上がる。

 何色にしようかな。考えた末にぼくは、群青と白で画用紙を染めた。

「みんなの推薦を参考にして、その中から市内のコンクールに出す作品を選びます」

 美術教師が一学年分の切り絵を壁一面に貼り出した。一番いいと想った作品の下に生徒が各人で星のかたちをした小さな金色のシールをつけていく。合体した切り絵は遠くから見ると大きな壁画のようだった。

 こういうことはひどく苦手だ。素直にいいと想うものに星をつければいいのだろうが、誰からも星をもらえないであろう不器用な作品にもつけてあげたくなってしまう。たとえ未熟でも、表現したかったことが画面の背後から強く伝わる作品の方がぼくの好みに合うようだ。切り落とした黒い部分にこそ、大切なものを篭めているような。

 人気があるものには理由がある。流行に沿っており親しみやすい。ぼくとてもそれは重々承知だが、テレビで放送されるお見合い番組でも、大人気になる男女がいる一方で誰からも選ばれない人がいる。ああいうのを見るのがとても嫌なのだ。

 どこかの離島で行われた見合い回。大皿に盛られた取れたての刺身や、新調した寿司桶に詰めたちらし寿司を座卓に並べて待っていても、その家を訪ねてくれる「お嫁さん候補」は誰もおらず、食べきれないご馳走を前にして朝から立ち働いていた父と母とその家の漁師の息子が地蔵のように何かを耐えてじっとしていた。

 ああいう場面を、「滑稽だ」と指さして嗤える人も世の中にはいるのだろう。晒し刑のようなあの場面を愉悦に浸りながら放映する者がいるくらいなのだから。

 その頃からぼくはますます廃墟に惹かれていった。そこには人がいない。選ばれない人たちも、誰かを見下げて嗤う顔も。




 ぼくの廃墟の切り絵にも、二枚ほど推奨の星がついた。「星二つだけか」と少し残念だった。

 高く評価されたものは、かっこいいバイクや、毛玉のような猫、有名サッカー選手。または編み物をする祖母の切り絵。

 美術教師は「なぜそれを選んだのか」をひとりずつ云わせていく。

「受け狙いは駄目ですよ」

 先生はそう云ったが、持ちネタを演じる芸人の切り絵は誰が見てもそれと分かるところが大いにウケて第三位。第二位は大縄跳びをする様子をとらえたもの。

「大人が選考するならあれがきっと賞に近い」

 作品の下部には題名と氏名を書いた紙きれが下がっており、余白を金色の星のシールが埋めている。大縄跳びに星が集まったのは生徒たちなりの忖度だったが、躍動感があってなかなか良かった。

 いちばん多くの星を獲得したのは、水槽の中の金魚を描いた切り絵だった。スパッタリングで彩られた明るい黄色の鉢の中を二匹の金魚が泳いでいるだけのものだが、魚眼レンズのようにわざと誇張して工夫しているだけでなく、ひらひらとした尾びれの線を丁寧に切り出し、その一本一本が髪の毛のように細い。

「巧いなぁ」

 群を抜いて繊細な工作はプロの作品のようだった。得票数最多も納得だ。


「わたしは、これが好きです」


 その金魚の切り絵を作ったのは、ぼくの廃墟に星のシールをつけてくれた女生徒だった。美術教師がその理由を彼女に訊いた。

 星を散りばめた明るい夜空を背景にしたぼくの切り絵を前にして、真面目そうな彼女はよどみなく応えた。

「この絵の中には、星の音が鳴っているような気がします」

「そう。それはどんな音だと想いますか」

 教師の問い返しに、彼女はちょっと困ったような顔をした後、

「かーんごーん。……かな」

 照れたように鐘の音の口真似をした。教室にゆるい笑いが広がった。

 廃墟の絵にもう一つの星をつけたのは、ぼくと同じ吹奏楽部の男子だ。友だちだからという理由で安易に星をつけるのは駄目だと美術教師は最初に告げていたが、終わってみると、好感度の高い作品にはちゃんと星が集まっていた。

「巧い作品がいい作品だと想いますか?」

 窓の外を眺めながら、美術教師が謎めいたことを云った。



 十数年前にぼくが仕上げた廃墟の切り絵は、母が「なかなかいいわね」と額に入れて家の壁に飾った。女生徒の金魚の絵は、その年の市のコンクールで佳作になった。最優秀賞に選ばれたのは別の中学の男子生徒の作品で、自治体の消火訓練の模様を力強く切り出したものだった。

 ゴーン……。

 腐食した鉄骨が腐り落ちて落下する廃墟。宵空にかがやく衛星もいつかはその姿を消してしまう。細かな破片が雪のように星の表面に降りしきる。いつまでも、いつまでも。

「おい、もう大丈夫だぞ」

 救助ヘリの起こす風がぼくの頬を叩いた。人の手から手へとバケツリレーのように渡されて病院に搬送されたぼくが病室でようやく口をきけるようになったのは、数日後のことだった。

「道を曲がった途端に身体が跳ね上がったんだ」

 あとは記憶無し。

「大雨の後で斜面がゆるんでいたのね」

 昼間でもあまり使われていない旧道でのことだ。乗っていたロードバイクごと崖下に押し流されたぼくが助かったのは、たまたま林業で山に入っていた組合の者が崩れ落ちる山肌と呑み込まれていくぼくの姿を目撃していたからだ。それがなければ、ぼくがそこにいることすら誰も知らなかったことだろう。

「あの切り絵ね、男子が作ったにしてはきれいだと、女子の間では評判だったのよ」

 愕いたことに運び込まれた病院には、中学の同級生が看護師として勤務していた。こちらはまるで憶えていないのに、彼女はぼくのことをよく憶えていて、「美術の授業で廃墟の切り絵を作ったでしょう」と云い出すからほんとうに愕いた。女子の記憶力はすごい。

 人の顔も名もまるで憶えないぼくとは違い、看護師は同窓生の近況にも詳しかった。金魚の切り絵の子はもう結婚していて、昨年二人目の子を出産したそうだ。

「みんなを呼びましょうか。病室での同窓会」

「いや、いい」慌てて固辞した。

「そうよね」

 機敏に動き回り、「君は昔からそういう人よね」と歌うように云いながら看護師は点滴の落ちる速度を確認してから出て行った。机を並べた同級生が今はもう立派な看護師になっているというのもおかしな気分だ。彼女は元からしっかりしていたが、リハビリに励むようになった頃、女の手だけでぐるっと起こされて車椅子に乗せてもらった時にはその手際の良さに感動してしまった。

 退院まで介護老人のような生活を送りながら、ぼくは病院の庭を散歩するのを日課とした。ぼくが転落した山にはもう雪が降っており、頂きが白く変わっているのが遠目に見えた。

 葉の落ちた静かな林に太陽神の放つ矢のような晩秋の陽が斜めに差している。ベンチに座って松葉杖を横に置き、ぼくは端末を取り出した。小規模な崩落だったが、一緒に流されたガードレールが飴のように曲がって途中の樹々に引っかかっている当時の報道。

「それで、今はなにしてるの」

「フリーライター」

「あら、そう」

 大仰に愕いてみせながらも、同級生の看護師は何かに納得したように「うんうん」と頷いていた。

「それで食べていけるの。あ、お節介よね」

 栄えたものが滅びた址地。人間が取り払われた地表。遺跡を呑み込んで地平線まで続く深い森には寂寥を超えた圧巻があって、なぜか安心してしまう。

「人間が嫌いだから?」

 違うよ。ぼくは力強く否定した。

 あれはぼくたちの辿る長い道の先にあるぼくたちの墓地。文明の遺骨が散乱し、鐘に似た荘厳な音色が月に向かって鳴り響いている。

 他の患者の介添をしながら庭を通りがかった看護師が「あの観覧車、崩れたそうよ」と教えてくれた。検索してみると、昔ぼくが切り絵にしたあの観覧車が倒壊していた。てっきり観光用に補強して永久保存しているのかと考えていたが、激動の政変の中で管理が疎かになったようだ。

 遠い大地にあった観覧車。力尽きてばらけた支柱。その上空に流れているのは女の子が見上げていた夕映えの雲。


 

 

[了]

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