ゼゼル鬼と星々の箱

鳥辺野九

ゼゼル鬼と星々の箱


 星影薄れ 鬼は現れ


 鬼は鬼喚び 大角揺れて


 鬼は裏面で 鬼を喰らい


 鬼影潜め 箱が建つ


 箱に秘められ 夜を閉じて


 夜明けなれば 星に聴け


 何処へ往くのか 星たちは


 星明け待つのか 鬼たちは


 空から降るのか 夜たちは




 三本角の鬼の子らが木鉾の鈴をシャンと鳴らす。

 覚束ない列を成して、とことこと跳ねるように歩く子鬼たち。列の隣同士はしゃいでは木鉾に結えられた鈴を打ち鳴らし、鈴声に負けない澄んだ唄声で韻を詠み、黒装束の脚も高らかに石畳を踏み鳴らす。

 町にオイル燈のオレンジ色が灯る時間。子鬼たちの行列も、引き連れる黒箱が家々の戸口を叩いて振る舞われる焼き菓子で満たされる頃合いだ。

 ゼゼル鬼を模した樫の木の仮面は年端もいかない子どもたちでもそう重くは感じないだろう。しかし天を刺すような異形の三本の角はやはりバランスが取りにくく、右に左にふらふらと頼りなく仮面が揺れる。それがまた微笑ましい。

 甲冑のような黒装束に黒く塗り潰した仮面の子鬼たちが楽しげに家々を巡る。目印は戸口にぶら下げた石山鹿の角だ。

 角で扉をノックすれば、家主が顔を出してこの宵のためにこしらえた焼き菓子が振る舞われる。子鬼たちにとって一番の楽しみだ。

 引率の大人たちが、神輿のように装飾した台車に乗せた黒い箱を引き連れて歩く。子鬼たちは振る舞いの焼き菓子を黒箱へ笑顔で納める。しかし、楽しげな笑い声が収まる黒箱の由来を大人たちは教えない。子鬼たちにとってはただの秘密の黒い箱だ。その時が来るまで教える必要もない。


「── 箱に秘められ 夜を閉じて──」


 ウリムタの宵祭りは子鬼行脚で幕と閉じる。やがて、オイル燈のオレンジ色が潰える頃に、本当のウリムタの夜祭りが始まることを、子鬼たちは知らない。


「──星に聴け 何処へ往くのか──」


 唄声は暗くなるまで途切れることはなかった。




 まだ声変わりも迎えていない甲高い唄声が炭鉱の町を渡り往く。鉱山は静かに町の声を聴いていた。そして言葉は水に流れて家畜の喉を潤して、陽に溶けて畑の土を温めて、風に乗って粉挽き小屋の風車を回す。

 今年の夏に十六の歳を迎えたばかりのトゥルエクの耳にも、風は唄を届けた。

「私もこの唄を詠んだっけ。こんな怖い唄だったのね」

 水車が粉挽き機の軸を回す音に隠れて、トゥルエクの声はかすれて消えた。ケンライは粉挽き機の車軸を切り替えて、回転運動を緩めて、消えゆく幼馴染のか細い声を追った。

「何て言った?」

 トゥルエクは髪を揺らす程度に首を横に振る。話したかったから言葉を口にしただけだ。別に伝えたかった声ではない。こちらを振り返った幼馴染の視線から逃げるように軽い嘘をつく。

「子鬼を演じた時は黒い箱の中身なんて知らなかったって言ったの」

 箱。

 その箱は凶々しいほどに黒かった。鉱山から流れ出る鉄炭石水で染めたウリムタ染めよりも黒々として、空に浮かぶ月が二つとも隠れてしまった夜の闇を彷彿とさせる。

 以前のウリムタの夜は黒くなかった。濃紺の夜空には星々が瞬き、ウリムタの山々に小さいながらも眩い光を降らせていたという。遠い昔々の話だ。いつからか、ウリムタの夜から星が消えた。もう誰も星空なんて覚えてはいない。のっぺりと真っ黒く空に蓋をされるような夜が訪れる。

「俺も子鬼を演じて箱を引いたよ。お菓子でいっぱいになって、重かったな」

「町のみんな、いっぱいお菓子を焼くものだから、重くって仕方なかったね」

 ケンライとトゥルエクは笑い合った。あえて黒い箱から話を逸らすように。

 ウリムタの山々は大小二つの月に照らされている。しかし月齢周期の違いから、一年のうち三日間だけ二つの月が闇夜に消えてしまう周期がある。双新月と呼ばれる三日間の夜は本当の闇が降ってくる。

 箱は双新月の夜のように黒い。そして、双新月の真っ黒い夜にはゼゼル鬼が現れる。

 息を潜めた恐ろしく静かな町をカラカラと車輪の音を響かせて真っ黒い箱を引き回し、三本角の黒い鬼たちが夜を練り歩く。

「今年も、もうそんな季節なんだね」

「今年はいつもより寒いな」

「うん。今年は焼き菓子を準備しなくてもいいかな」

「お菓子を? どうして?」

 トゥルエクは言葉の先を継がなかった。

 子鬼たちの宵祭りが終われば、本当のウリムタの夜祭りが始まる。

 選ばれた町の若い衆がゼゼル鬼の黒装束を身に纏って箱を引き、オイルランタンの乏しい光の中を練り歩く。箱に重さは感じない。まだ中に何も入っていないからだ。

 箱が石畳に車輪の音を響かせている時、町の民は緩々と寝静まったふりをする。雨戸を閉ざし、オイル燭台の火を落とし、息を潜める。ある者は寝台で毛布に包まり、ある者は食卓で手を組み祈りを捧げる。子は母親に抱かれ、父親は黙して酒を煽る。

 誰もゼゼル鬼の姿を見てはならない。古くからの習わしだ。

 箱の引き回しは双新月の三晩続けられる。ゼゼル鬼の黒装束は鉄と炭の匂いがするウリムタ染めで繕われており、頭にかぶる三本角の仮面も重いトウヒの木で掘られている。金属の輪を幾つも連ねた鉄鉾を打ち鳴らし、身体に重たくのしかかる重装束で町の通りを三周する。漆黒の夜、無人の町に空の箱を引く虚しい音を響かせるのだ。

 双新月三日目の晩、中身が詰められた箱の引き手が町を通り過ぎたら、新光祭が始まり、新しい一年がやって来る。

 生き残った町の人間たちは新たな生活を謳歌する。畑に種を撒け。羊の毛を刈れ。漁に出ろ。炭鉱の新しい坑道を掘れ。忙しい一年になる。

 生き残れなかった人間。それは箱に詰められる生贄の娘。ゼゼル鬼に捧げられる巫女。黒い箱は、新しい一年に捧げる生贄の箱。毎年双新月の三日目の夜、誰かが選ばれる。

「私ね、箱に選ばれた」

 何の前触れもなくトゥルエクは言った。俯いて目をそらし、一つ一つ丁寧に言葉を紡ぐ。

 二人で会って話したいことがある。粉挽き職人の仕事に忙しいケンライへ、わずかな時間の逢瀬を求めたトゥルエクだった。伝えたいこと。それは、箱に選ばれたこと。

「お別れを言いに来たの。箱に入れられるって、誰にも言っちゃいけないことだけど、ケンには知ってもらいたいから」

 トゥルエクは俯いたままだった。生け贄の娘を見つめるケンライの目を見ていられない。少年は、その純粋な目にどんな色を浮かべて少女を見つめているのか。

 粉挽きの水車小屋に二人きり。水車はもう動きを止めている。水の流れる音が穏やかだ。ケンライも小さな声で答えるしかない。

「俺も、今年はゼゼル鬼だと言われている」

 少年と少女はそこでようやく見つめ合った。箱の引き手であるゼゼル鬼と箱に入れられる生贄の娘と、三日後の夜祭りには命運を分つ者同士が同じ場所で同じ刻を過ごさなければならない。

 粉挽き職人の水車小屋に、水が流れる音だけが鳴り響く。ようやく顔を上げた生贄の娘が幼馴染に訊ねる。

「箱に入れられた子って、どうなるの?」

 箱に選ばれた人間が町に戻ってきたことはなかった。炭鉱の町ウリムタの長い歴史の中でただの一度もない。

 ゼゼル鬼を演じる箱の引き手もそれを知らない。ただただ、何も入っていない黒い箱が乗った台車を引いて二日間町を練り歩き、三日目の夜、中身が詰まった重たい箱を町のお社へ運ぶだけだ。そこから先、黒い箱がどうなるか、誰も知らない。ゼゼル鬼たちが去ったお社に、翌朝、バラバラに裂かれた箱の破片が散らばっているだけだ。

「わからない」

 ケンライは首を横に振った。

「夜祭りの箱引きに関しては、俺たちは何も聞かされていないんだ」

「そう。そうだよね」

 顔を伏せてトゥルエクは小さくつぶやく。何もかもを悟ったような目で、自分の細く頼りないつま先とケンライのがっしりと大地を踏み締める足先とを見比べる。まだ幼い頃、ともに炭鉱の町を駆け回って遊んだその足はより逞しく見えた。

「トゥルエク」

 ずいぶん遠くに見えたつま先が、一歩進み出た。ゼゼル鬼の仮面をかぶる少年はさらにもう一つ歩み寄って、生贄の娘のそのか細い手を握る。

「俺と逃げよう。ウリムタを離れて、どこか遠くへ」

 それは心から聞きたかった言葉だが、鬼が口にしてはならない言葉、贄が耳にしてはいけない言葉だった。

「ダメ。私が逃げたら、きっと妹が箱に選ばれる」

 夜祭りに娘が一人箱に入れられる。ずっと古くから執り行われてきたしきたりだ。当たり前のことと思っていた儀式だ。それを破るだなんて考えたこともない。

「それでも、俺は君を選ぶ」

「ゼゼルに選ばれるなら、それも悪くない」

 二人の他に誰もいない水車小屋の作業部屋で、トゥルエクは強く温かいケンライの手をわずかな力で引き寄せた。ケンライもまた一歩トゥルエクに寄り添い、お互いの体温が感じられるよう身体を預け合った。

「トゥルエク。誰にも知られずに箱から逃げるんだ。中で静かに時を待て」

「ケンライがそう言うのなら、夜祭り中ずっと箱の中で待ち続けられる」

「俺はゼゼル鬼の一人だ。皆同じ黒装束に大袈裟な角の生えた仮面を被る。誰が誰だかわかりっこない。うまく箱から出してやれるさ」

「どうするの?」

 考えることをやめてしまった少女は少年の身体を抱き寄せた。粉挽職人であるケンライの身体は同年代の若者に比べて逞しかった。このゼゼル鬼になら、箱の中に詰められて引き回されたって構わない。

「箱に穴を開けて、誰にもバレないように黒板をはめておく。双新月三日目の夜、箱の引き手はお社へ黒箱を設置したら、みなお社から降ろされるんだ。箱だけがそこに残される。その時に、箱を叩く。俺の合図だ」

 ケンライはトゥルエクの肩に手を回して言った。箱に選ばれた少女は毛を刈った羊のように華奢で柔らかかった。この少女なら、箱を引いても重さなんて感じないだろう。

「お社に一人残されたら、静かに箱から抜け出るんだ。俺もゼゼル鬼の行脚から抜け出してすぐにお社へ向かう」

 トゥルエクが静々と顔を上げると、先程までとても遠くに感じていた幼馴染の顔が驚くほど近くにあった。息を呑む。ケンライの目を真正面から見つめ返し、その真っ黒い瞳の中に小さく怯える少女の影を見る。

 ケンライはゼゼル鬼の役目をしっかりと果たそうとしている。それでいて、一人の少年として古いしきたりから脱却し、未来ある前へ突き進もうと決意を固めている。自分もそれを追うべきだ。前へ進むのだ。トゥルエクは小さく、それでいて、力強く頷いた。ケンライの瞳の中の少女はしっかりと前を見据えていた。

「この町から離れよう。二人で、誰も知らない新しい土地へ」

「わかった。箱の中で、ケンの合図を待つ」




 ケンライの他にもゼゼルの仮面をかぶれと言われた若い衆は十二人いた。炭鉱で栄えたウリムタと言えど、他の都市圏に比べてその規模は小さい。加えて歳が近いこともあり、皆顔馴染みだ。ともに学校へ通い町の歴史を学んだ友人もいる。一つ所に集まれば、つい話も弾む。

「みんな、そろそろ鬼の行脚を始めます」

 お社に務める神主が若い衆の扮するゼゼル鬼たちをまとめる役に就く。

 いくら古いしきたりとは言え、伝承しなければいずれ廃れてしまう。ウリムタが栄えたのもゼゼル鬼の夜祭りがあるおかげだ。若い世代にしっかり教えなくてはならない。

「ゼゼルの作法をおさらいしますよ」

 ぱん、と柏手を一発打つ。乾いた破裂音は薄ら寒い社務所によく響いた。黒装束に身を包み、それぞれ談笑していた十二人の若い衆が緊張感を纏う。

「一つ。ゼゼル鬼は喋ってはならない」

 ゼゼルの仮面をかぶるということは自らが人外になることを表す。言わば鬼の領域への越境である。人の言葉を口にしては、それが人であると鬼に見抜かれてしまう。

「一つ。行脚を続けていると、やがてゼゼル鬼が一体増えていることに気付くでしょう」

 黒装束の若い衆に動揺が走った。鬼が増える。そんなこと聞いていない。本物のゼゼル鬼がやって来るなんて。喋ってはならないと注意を受けたばかりなのに、口々に喧しく疑問を訴えかける。ただ、ケンライだけは違った。ゼゼル鬼が一体増えるなら、一体減っても気付かれないかもしれない。行脚から一人抜け出るのに都合がいい。

 神主はまた一つぴしゃりと柏手を打って騒つく少年たちを鎮めた。

「一つ。ゼゼル鬼が現れたら、決して背中を見せてはならない。大事なことです。守ってください」

 黒装束の少年の一人がおずおずと手を挙げた。

「もし、鬼に背中を見られたら、どうなるんですか?」

 神主はこのような質問を心得ていたのか、すらすらと祝詞を唱えるように淀みなく答える。

「本物と思われるゼゼル鬼は道中振り返りません。前だけを見て歩きます。鬼とはそういうものです。今まで、何十年何百年と夜祭りのゼゼル鬼行脚は行われてきましたが、未だ誰一人として鬼に背中を見られた者はいません」

「どういうことですか?」

 ケンライが若い衆を代表して訊いた。

「誰も見られたことがないから、何が起きるのかわからないということですよ。心配はいりません。背中を見られなければいいのです」

 黒装束の若い衆はただただ押し黙り頷くしかなかった。

 夜祭りが始まる。

 深く黒い夜が始まる。




 ケンライは町の若い衆として、ゼゼル鬼として、箱の引き手としての働きを受け入れて、静かに全うした。

 三本角のゼゼルの仮面が重い。黒装束がこれほどまで身体を縛り付けるものだったとは。総勢十二体のゼゼル鬼は、夜の底に沈む町を練り歩く。オレンジ色のオイル灯篭で尖った影を揺らし、鉄鉾の鋭い金属音を奏でる。箱が来たぞ、箱が来たぞと、ゼゼル鬼の往来を町の人間たちに知らしめる。

 夜祭りのゼゼル鬼には声を発してはならない掟がある。紛いもののゼゼル鬼だと見抜かれないように。本物のゼゼル鬼が息を潜め、耳をそばだてて、この深い夜のどこかで見ている。鬼のせいで夜祭りの町は静まり返っている。宵祭りの華やかな空気感が嘘であったかのようだ。

 張り詰めた夜の町に、一際大きく金属音がかき鳴らされた。ケンライがわざと鉄鉾を取り落とし、ゼゼル鬼の行脚の静謐なリズムを乱した。

 足音が止み、先頭を歩く一体のゼゼル鬼が振り返る。若い衆は皆顔見知りだが、大袈裟な三本角の仮面と強剛な黒装束のため誰だかは判別できない。ケンライは片手を挙げて頭を下げ、鉄鉾を拾い直した。その一連の仕草のまま、通りの一軒の民家を見上げる。

 鉄の音を聞いていたトゥルエクは寝室のカーテンをこっそりと開いてそうっと夜を覗く。

 夜の闇に十二体のゼゼル鬼が練り歩いている。一つ、黒い木箱を引き回して。

 箱が町を通る時、それを誰も見てはならない。だが、そんな古いしきたりなどもう守る必要はない。夜祭りの最後、少女と少年は町から、箱から逃げるのだ。




 二日目の夜もまた、鋭い金属音が夜祭りを掻き乱す。

 トゥルエクが窓から黒に染まる町を覗けば、一体のゼゼル鬼が二階を見上げるようにしてオイル灯篭をかざしていた。

 そして何事もなかったかのように、十二体のゼゼル鬼たちは黒い箱を引き回した。




 三日目。

 トゥルエクの家の前で、ケンライが鉄鉾を取り落として金属音のリズムを乱しても、トゥルエクの部屋のカーテンは揺れることはなかった。

 そういえば、黒い箱が重い。ひとりの人間の人生が詰まっているかのように重い。

 そういえば、神主は何も語らなかった。昨日まで優しげな口調でゼゼル鬼の行脚を応援してくれていたのに、お社の境内で箱を見送る時に見たこともない険しい顔をしていた。

 そういえば、いつのまにかゼゼル鬼が一体増えるとか言っていたが。ケンライは箱の引き手のしんがりを務めていた。ゼゼル鬼の数に変化はない。

 そういえば、今夜はやたらと夜が黒い。

「なあ。おい、なあって」

 ケンライの前を歩くゼゼル鬼が小声でケンライを呼んだ。

「なんだよ?」

 聞こえるか聞こえないか、吐息のような小声で囁き返す。

「本物のゼゼル鬼、現れないな」

 どこかしら安堵の息が混じった声でつぶやくゼゼル鬼。

「ああ、もうすぐ夜祭りもおしまいだ」

 ケンライはお社の境内へ続く階段を見上げて言った。町の練り歩きも終わり、あとはこの重い箱をゼゼル鬼のみんなで担いで石階段を登れば、夜祭りも終わる。ゼゼル鬼から解放される。黒い箱に何が入っているか、皆知っているが、知らないふりをする。そうでもしないと、ゼゼル鬼の仮面など被っていられない。

「おまえら、喋るなって言われたろ。階段を登るぞ」

 先頭を歩くゼゼル鬼が叱りつける口調で声を出した。お社に登る階段までたどり着いた。ここからは箱を担いで登る。

 二列になり箱を引いていた十二人のゼゼル鬼が横に展開し、箱の取手を担ぎ上げた。まるで人が横たわるような重みを感じる。昨日まで、あんなに軽かったのに。

 先頭のゼゼル鬼が階段に足をかける。続く鬼たちは黒い箱をひっくり返さないよう、足元に注意を払った。ゼゼルの仮面が重い。首を上から押さえつけられるようだ。

 ケンライがしんがりで箱を担ぎ、これから登る階段を見上げると、一つの影がお社の松明灯りを遮った。

 誰か、ゼゼルの面を外して掲げ上げたか? 頭一つ大きなゼゼル鬼の背中が見える。

 鬼たちに緊張が走る。それは冷え始めた空気を渡って最後尾のケンライまで伝わった。ひと回り身体が大きなゼゼル鬼が先頭に立っている。

 十二体のゼゼル鬼が、一体のゼゼル鬼の押し迫る背中を見つめる。松明の灯りを黒く遮り、漏れて光る篝火を三本の角に絡めて、ギシリギシリと黒装束を硬く軋ませて階段を踏み締める鬼が在る。

 誰も声を出せなかった。異形の影が放つ威圧感で皮膚が張り裂けそうだ。紛いものの面を外して柔らかい素顔を見せれば、たちまちその牙に噛み付かれて目玉ごと剥ぎ取られてしまう。

 階段を踏む足音さえ聞かれないよう、若い衆は震える手で箱を担いでお社に登った。先頭を歩く一体のゼゼル鬼に続いて、十二体の鬼たちが階段を登り切る。黒い箱は相変わらず重たい。お社の砂利に敷かれた石畳にゴトリと置かれる。

「みんな、このまま背を見せずに下がるんだ」

 ケンライが声を潜めて仲間たちに告げる。

「石階段まで降りて、そこから走って逃げるぞ」

 若い衆はそれに従った。とにかく目の前の鬼から離れたい。この場に留まりたくない。十二体のゼゼル鬼が黒い箱からじりじりと後ずさる。一体のゼゼル鬼は境内に仁王立ちし、黒い背を向けたまま微動だにしない。

 ゼゼル鬼の一人が石階段にたどり着く。その途端、ひゅうっと息を漏らしてお社に背を向けて走り出した。その覚束ない足音が合図となり、悲鳴のような吐息をこぼして若い鬼たちは我先にと石階段を駆け降りて行った。

 境内には大きな一体のゼゼル鬼と、黒い箱と、小さな一体のゼゼル鬼だけが残された。ケンライは階段まで引き下がることはなかった。箱を開けなければならない。あの黒く狭い箱の中で、トゥルエクは不安に押し潰されそうになっているに違いない。

 境内の玉砂利を踏み鳴らさないように石畳を忍び足で歩く。ゼゼルの仮面に生える三本の歪な角が重い。ゼゼルの仮面の視界が狭い。荒れた呼吸、心臓が暴れる音が鬼に聴かれやしないか。ゼゼル鬼はまだ立ち尽くしている。

 黒い箱には誰にも悟られないように昨晩のうちに切れ込みを入れて木板を当てはめていた。中からでも容易に開けられるはずだ。

 ケンライが黒い箱の側面に触れるように押し込めば、箱の一部が抵抗もなく外れて中に引っ込んだ。そこから白く細い指が覗く。

 細い指は夜の暗い光を恐れるように震えて、そうっと木板を掴んで音を立てずに引き開けた。トゥルエクの目が真っ黒い箱の中に光る。それは夜に怯えた色をしていた。

「……シッ!」

 ケンライは堅い息を呑み、ゼゼルの仮面を外した。素顔を見せてやれば、トゥルエクも安心するだろう。黒い箱から静々と這い出るトゥルエクの頬に赤味が差す。しかし、すぐに場の異常さを察知してか細い両手で口を塞いだ。

 ケンライの他にもう一体のゼゼル鬼がいる。それはケンライよりもはるかに大きく、禍々しさを感じさせる後ろ姿だった。

 緊張の渦に飲まれたトゥルエクが箱から抜け出ようとした時、ずっと黒い箱の中で揺られていたせいで膝ががくがくと震えて身体がよろめき、石畳を越えて玉砂利に片足を踏み込んでしまった。

 硬い小石が擦れ合う音が境内に響く。その鋭い音はゼゼル鬼の耳にも届いた。ゆらり、三本の歪な角が揺らぐ。頭が振られる。ゼゼル鬼が、こっちを向く。

「逃げろ、トゥルエク! そのまま下がるんだ!」

 もうなりふりかまっていられない。ケンライは鋭く叫んだ。トゥルエクだけは、何が何でも守らなければならない。

 トゥルエクは火がついたように駆け出した。ゼゼル鬼とは対照的な生贄の白装束が脚に纏わりついて走りにくいが、あの大きなゼゼル鬼が振り返ろうとしているのだ。より速く、より遠くに、動かなければならない。

 ゼゼル鬼が完全に振り返った。その顔はケンライと同様にゼゼルの仮面に覆われているが、面の一部が欠けていた。自然と欠けた部分に意識が吸い寄せられる。その欠けた形に、ケンライは心当たりがあった。黒い箱だ。

 トゥルエクを逃すため、ノミとノコギリを使って側面に穴を開けて細工を施していた。慣れない大工仕事のせいで穴はぎこつなく不恰好に曲がってしまった。斜めに歪む曲がり具合やギザギザしたささくれが、ゼゼルの仮面の欠けと一致している。

 そして仮面の穴の向こうに見える風景もまた、彼の意識を縛り付けた。

 もう誰も見たことがない濃い群青の星空がそこに広がっていた。

「これは、星か」

 思わず吐息とともに言葉が漏れる。ゼゼル鬼と黒い箱、そして本当の星空はすべて繋がっていたのだ。ゼゼル鬼とはすなわち生贄の黒い箱であり、星空の見えない閉ざされたウリムタは黒い箱の中にあり、いつもゼゼル鬼の仮面の奥に沈んでいたのだ。

 星の光の下、ケンライを見下ろしていたゼゼル鬼がくいと三本そそり立つ角を揺らした。面を上げて、走り去るトゥルエクを星々で捉える。それは、駄目だ。いくら星空と言えど、それだけはさせてはならない。ケンライの身体が自然と動き出した。星からトゥルエクを守るために。

 ゼゼル鬼が現れたら、決して背中を見せてはならない。神主が教えてくれたゼゼル鬼の理だ。星々のゼゼル鬼がトゥルエクへ顔を向けようとしている。無防備な背を晒して走る彼女を、絶対に守らなければならない。

「トゥルエク! ゼゼル鬼に背を向けるな!」

 星々の箱に収められていた生贄の少女はその声に即座に応えた。石畳を蹴り、身を滑らせて反転し、ゼゼル鬼のいる方向に向き直る。そして、ケンライの最期の姿を目視した。

「ケン!」

 ケンライはゼゼル鬼の前にその身を投げ出した。生贄の少女を守るように力強く両腕を広げて、その可憐な姿を星々から遮るように両脚で地に踏ん張って、自らの背中をゼゼル鬼へ晒した。

 ゼゼル鬼の仮面から星の光がこぼれ落ちる。

 硬い黒装束を引き裂く鋭い破裂音が境内に響き、黒い箱が破壊された。大きなゼゼル鬼の身体が脆く崩れ落ち、星々が解放される。

 ウリムタの夜空が音もなくひび割れ、黒い夜が砕けて破片となって炭鉱の町に降り注ぐ。その夜の破片はお社の境内にも舞い落ちてきた。細かく炭粒のように粉砕され、地面に吸い込まれるように消えていく。そのうちの一つの破片が動かないケンライに直撃した。

 黒い夜はぐるりとねじれ、三本の歪な角と化した。黒い箱の欠片が踊るようにケンライの身体に纏わり付き、黒装束を覆っていく。崩れ落ちたゼゼル鬼に成り代わって、ケンライは新たなゼゼル鬼となった。黒い箱を身にまとい、黒い夜を頭部に角としてかざし、星々の下に眠るウリムタを見守る鬼となった。

「……ケン」

 すべてを見ていたトゥルエクがおずおずと鬼に歩み寄る。幼馴染の少年の身体はひと周りもふた周りも大きくなり、鎧を纏っているかのように黒く歪んで見えた。

 ゼゼル鬼の仮面に、生贄の少女のか細い手が触れる。

 大丈夫。

 トゥルエクにはそう聴こえた。

 黙したゼゼル鬼は黒装束を軋ませて境内から望めるウリムタの町灯りを指差した。トゥルエクはその指先を見返る。星々の明かりがウリムタの町を照らし、とても明るい夜に満ちていた。昨日までの黒い夜とはまるで違う。ケンライとトゥルエクが生まれ育ったウリムタの本来の姿がそこにはあった。

 トゥルエクの背後で玉砂利が蹴られる音が聞こえる。行ってしまうのね、ケンライ。

 トゥルエクが振り返ると、ゼゼル鬼の姿はすでに消えていた。

 トゥルエクは、足元にケンライが脱ぎ捨てた夜祭りのゼゼルの仮面を見つけた。紛いものの三本角、目玉が潰れた黒い面を拾い上げ、胸に抱く。

「次は、わたしが」

 トゥルエクはゼゼル鬼の仮面をかぶる。

「あなたを見る」

 ゼゼル鬼は星々の下を歩き始めた。




 星影薄れ 鬼は現れ


 鬼は鬼喚び 大角揺れて


 鬼は裏面で 鬼を喰らい


 鬼影潜め 箱が建つ


 箱に秘められ 夜を閉じて


 夜明けなれば 星に聴け


 何処へ往くのか 星たちは


 星明け待つのか 鬼たちは


 空から降るのか 夜たちは

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