鬼が再び刀自売と会ったのは、それから五年後のことだった。

 きっかけは鵜足郡の山中を通りがかった時、

「結界を張ってるのって疲れるんだよな……どうせ誰もいないんだから解いちまえ」

 そうつぶやいて姿を消すための結界を消したことである。

 閻魔庁の鬼が魂を迎えに行く時に結界を張らねばならぬことは既に述べたが、それ以外では「なるべく張っておくように」と言われている程度だ。現代でいう努力義務なので、よほど騒動になりそうにない限りは破ってもとがめられることはない。

「……あら、あなた。いつぞやの鬼じゃないの」

 消した途端にいきなり藪の向こうから女に話しかけられ、鬼はすくみ上がった。何がどうしてこんな獣道しかない山の中に、若い女がいるというのか。

 藪をこいて来るのを固唾を飲んで見ていると、何と刀自売――正確には「山田の刀自売」の姿をした刀自売その人がためらいもなく姿を見せた。

「じょ、嬢ちゃん!?随分と久しぶりだな……」

「ええ、お久しぶり」

 余りに意外なところで余りに意外な人物に出会ったことにあわてる鬼に対し、刀自売の方は不気味なほどに落ち着き払っている。 

「その分だと、あれからどうにかなったみたいだな」

「……一応はね。それで、あなたはどうなの」

 急に躱されたような感を覚えつつ、鬼はその問いに答えた。

「罰としてしばらく牢に放り込まれた。よくお役目に戻れたと思うよ」

 あれから鬼は、役を解かれ飲まず食わずでの入牢じゅろうを命じられている。

 丸一年もの間苦しみながらもおとなしくしていると、運のよいことに恩赦があった。これにより「神妙である」として罪を赦され、役にも戻ることが出来たのである。

 そして今度はしっかり態度を改め、今では部下を持たされるほど信頼を置かれる存在となっていた。

「ああ、ついでに言っとくか。あのお前さんの従姉妹な、見事に地獄送りになったよ。血の池地獄にぶち込まれたらしいから、今頃延々と池の血を飲まされてるだろうな」

 この結果を獄中で聞かされた鬼は、本人の下衆ぶりを見ていただけに溜飲が下がる思いがした。

 被害者ならなおのことだろうと訊かれる前に言ったのだが、

「……そう」

 意外にも刀自売の反応はひどく薄かった。

 当然だと言いたいのか、それとも関心がないのか。その顔色一つ変えぬ表情からは全く読めぬ。

 一瞬奇妙な空気が漂ったのを払拭しようと、鬼は愛想笑いをして続ける。

「それで、嬢ちゃんの方はどうなんだい?どうやってあれを収めたのか気になるんでさ」

「まあ、聞いてもつまらないと思うけど」

 刀自売が語ったところによると、やはり生き返った直後はかなりの騒ぎになったという。

 何せはたから見れば、確かに鬼に魂を連れて行かれて死んだはずの「山田の刀自売」が生き返ったようにしか見えないのだ。それも健康だった刀自売の魂が宿ったせいか、病まで何もなかったかのごとくけろりと恢復しているのだからその驚きは並々ならぬものがある。

 何も知らない叔父たちは自分たちの娘が鬼か閻魔王の図らいで蘇ったと解釈し、ありがたいありがたいとうれし泣きに泣いて話すに話せぬ状態に陥った。

 落ち着いたところで自分は躰こそ山田の刀自売だが魂は鵜足の刀自売だと話すも、今度は病で頭をやられてしまったのかと悲嘆に暮れられてしまう。

 鬼に魂を連れて行くなとせがんだ時もそうだが、どうもこの叔父夫婦、三文芝居の役者のごとく感情表現が大きすぎて手がつけられなくなるようだ。

 これでは埒が明かぬと思った刀自売は、

「ともかく私は本当に鵜足の刀自売なのよ。多分まだ父様たちが私のお骨を持って帰ろうとしてると思うから、一緒に追いかけてちょうだい。話はその時に改めてしましょう」

 そう言って無理矢理叔父夫婦を引きずり出し、大急ぎで西へと街道をたどる。

 果たして二つ先の宿駅で、刀自売の遺骨を持って宿を出た両親を見つけた。愛娘が横死した悲しみから蹌踉としており、のろのろと歩いていたことが幸いしたようである。

 これも会ったら会ったで大騒ぎだ。臥せっていたはずの姪が駆けて来て、手許で骨壺に入っている自分たちの娘だと名乗ったのだから当然だろう。

 ともかくここでは事態を収めることが出来ないと判断した刀自売は、国府近くにある本家の屋敷に寄って部屋を借り全ての事情を話し、質疑応答にも応じて刀自売本人にしか分からないことも全て当てた。

 ようやく全員が納得したところで、その場に起こったのは喜びである。本来なら二人とも死んでしまうところ、折半で一人になってしまったとはいえ生きて手許に戻って来たのだ。

「それから叔父さんたちと話し合って、四人の娘として育てるってことになったわ。こっちじゃ姿は変わっても魂は娘だし、あっちじゃ魂は変わっても姿は娘だしってことで、家を行き来することになったのよ」

 さらには四人の娘という扱いから、それぞれの両親の遺産は全て刀自売が受け取ることになっているという。庶民とはいえ二軒分も受け取れば、相当な額となるはずだ。

「落としどころはそんな感じになるよな……。まあともかくよかったじゃないか、親が倍に増えて充分かわいがってくれてるんだからさ。人生楽に生きられるだろ」

 思ったより悪い事態となっていないと知って鬼がうれしそうに笑いかけるが、

「……それ、本気で言ってるの?」

 当の刀自売はやや怒気をはらみつつもどこか冷ややかな声で答えた。

「え、何かおかしなこと言ったか」

「あなた、私が閻魔庁に行く時話したこと忘れたの?今の私の躰は散々私をいじめてくれたやつの躰、そして両親も叔父さんたちも私が苦しんでても何もしてくれなかった人たちなのよ」

 刀自売の憎々しげな言葉に、鬼はようやくはっとなる。

「両親も叔父さんたちも、以前のことはきれいさっぱり忘れてるわ。そりゃそうでしょうね、最初から助ける気もなかったんだから。興味のないこと覚えてるわけないでしょ」

 本家の当主である伯父に至ってはかつての自分の行為が偽善だったと気づくことすらなく、

「名実ともに仲よしになれて実に結構」

 そんな太平楽を言って恵比寿顔をしているという。

 こんなありさまであるから、四人の親たちのかわいがり方もひどくいびつなものだ。

「叔父さんたちは『たとえ魂が違っても自分の子だと思ってる』としきりに言ってるけど、私のことは『鵜足の刀自売』じゃなくてあいつとして見てるのが丸分かりよ」

 事実叔父夫婦は、言動のよさより容姿のよさの方を目ざとく見つけてほめたりかわいがったりする。気のきいたことを言ってもすぐにはほめられないが、今の躰に似合う髪型をすれば即座にほめられるのだ。

 さらに刀自売が屈辱を感じたのが、山田の刀自売の遺品を中身も見ずに全部与えられたことである。

 嫌いな相手の持ち物というだけでも癪なのに、その中から昔こっそり盗んだらしきおもちゃや筆などの自分の私物が大量に出て来たのだからたまらぬ。中にはかつて大人たちに盗難を訴えても取り合ってもらえず、結局戻って来なかったものもいくつもあった。

 そしてとどめに字の練習に使っていたらしい木簡に自分の名前が書かれ大きく×印が書かれていたり、悪口がずらりと書き連ねられているのを発見してしまったのである。

 かっとなって即日かまどの焚きつけに混ぜて火に放り込んだが、虚しいばかりだ。

「そのくせ叔父さんたちは、お膳を門の前に作って置いておいたおかげとか言って仏様を拝んではありがたいありがたいと繰り返すばかり。あなたのうっかりのせいだって話したのにね」

 鬼が後ろめたさに視線をそらすのにも構わず、刀自売は続ける。

「うちの両親だって似たようなものよ、気を抜くとあいつみたいな扱いするんだもの。で、言いわけは全部『仲よしだったから』の繰り返しなの」

 両親は普段はしっかりと自分たちの娘として扱っているものの、急に姿を見せた時などにうっかりして「山田の刀自売」として扱ってしまうことが少なくなかった。

 刀自売がそれをひどく嫌がると、

「仲よしだったんだからいいじゃないの」

 そんな筋の通らぬ意味不明のことを言ってなだめすかして来る。

 そして叔父夫婦から山田の刀自売の遺した着物などが届くと、どんなに趣味に合わないと断っても、

「仲よしだったんだからそんなこと言わないで着てやりなさい」

 そうたしなめられ、嫌々着る羽目になったことも数知れなかった。

「そして両親も叔父さんたちと一緒。死ぬところを助けていただいたと仏様をひたすら拝んでありがたいありがたい。閻魔様が留めておけないから帰しただけだって話したのにね」

 刀自売はそう言い、眼をつむりあきれたように首を振る。

 鬼はもはや何も言えなかった。この一件が起きる前のいじめの始末もそうだが、刀自売の両親も叔父夫婦も一切自分たちの娘と向き合わず、茶を濁した上に自分の都合のいい方へことを無理矢理運んでいる。

 一言で言えば独善、偽善。刀自売はそれらをぶつけられて生きて来た上、躰が従姉妹と入れ替わるという悲劇によりさらにえげつなくたたきつけられて暮らしているのだ。

 そんな偽物の家族とでも評すべき場所に幸せなぞ、あるはずもない。否、元々この事件が起こる前から既になかったと考える方が自然だ。

「だからあの時、閻魔庁へ連れて行かれると聞いて少しうれしかったのよ。あいつの身代わりは癪だったけど、その代わりこれで永遠にあんな一族とはおさらば出来るって」

「………!それ、お前!」

 もしかして死にたかったのか、そう続けようとしたが絶句して言葉が出ぬ。

 だがそう考えれば連れて行かれる時いやに達観しきって冷静だったのも、一生閻魔庁に置いてもらっても構わぬと言ったのも、魂を帰すと言われて食い下がったのも全て平仄が合う。

「だからあなたには感謝してるわ。ことの経緯いきさつはともかく、その願いがかなう場所まで連れて行ってくれたんだから」

「………」

「結局閻魔帳に載ってないってだけで、かなわなかったけどね」

 刀自売は心なしか、泣き笑いのような顔となっていた。

 大人たちに不信を抱きに抱き、完全に追いつめられて死をこいねがう。

 人間は生に執着するもの、そんな鬼の考えが今こそ音を立てて崩れ去った。

 鬼が固まっているのをよそに、刀自売は改めて頭を下げる。本当に自分に感謝しているのが分かって、鬼は人生で初めて胸が潰れるような思いにかられた。

 がさりと草を揺らし、刀自売がこちらへ歩みを進めて来る。どこへ行くのかと問おうにも声が出ない。

「……ああそうだ、頼みがあるの」

 鬼の横を通り過ぎようとして立ち止まり、思い出したように言い出した。

「もし帰って伝えられるのなら、閻魔様に伝えてちょうだい」

「………」

「深くお怨み申し上げます。私めを生けるかばねとなされたこと、たとい無間地獄に落とされようとも未来永劫深く深くお怨み申し上げますと」

「………!」

 鬼は息を飲んで固まる。そんな頼みを受けるわけには行かぬ。

 行かぬのだが、口に出せなかった。

 何の反応も見せぬ鬼に承諾を迫るでもなく一瞥すると、刀自売はそのまま背後の藪へと入って行く。

 確実に家出だ、一体どこへ行こうというのか。その疑問さえ、投げかける暇もなかった。

 鬼は藪をこく音が消えるまでうつむきながらその場にたたずんでいたが、ややあってどんなに苦しむ亡者を見ても起こさなかった烈しいえずきを覚え、そのまま胃の中身が空になるまで吐いた。

 ――刀自売の名が永久に戸籍から消えたのは、それからまもなくのことであった。


<了>

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生ける屍 苫澤正樹 @Masaki_Tomasawa

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