四
鬼が山田の刀自売の魂を連れて戻って来たのは、何とそれから三日も経ってからのことだった。
今度は迷ったのではない。山田の刀自売その人と家族とが烈しく抵抗したからだ。
あれから山田の刀自売の魂は自分の躰に戻り、事実上生き返っている。
病が治ったわけではないので苦しいのには変わりなかったが、本人は今だけと思って我慢していた。
あの替え玉により人が入れ替わったことで、同時に寿命も入れ替わったからである。
あちらは一族でも躰が丈夫で有名な娘、五十や六十は生きるはずだ。
それだけあれば一時の病なぞ何するものぞ、じきに治って健康体で人生を送れるようになる、そんな根拠のない楽観をしてほくそ笑んでいたのである。
だが躰に戻って半日も経たないうちに、いきなりあの鬼が戻って来たのだ。
「な、何!?もう私には用はないはずでしょ!?」
「ああ、替え玉がうまく行ってればな」
息を上げながらやけくそのように言う鬼に、山田の刀自売は固まる。
「まさか……うまく行かなかったわけ!?」
重い躰を無理矢理起こして言うのに、鬼は何も言わずうなずいた。
これに山田の刀自売の顔が一気に青くなったのは言うまでもない。あの策が失敗したとなれば、今度は自分が連れて行かれることになるからだ。
「あの閻魔王様を騙そうと考えたのが間違いだった……」
「そんなことよりどうするのよ!私は嫌よ、せっかく生き返ったのに!」
「そう言われても困る。お前さんを連れて行かないと、今度は俺が処罰を受けるんだ」
「知らないわよそんなこと!」
「約束を破ったことは謝る、後生だからおとなしく連れて行かれてくれ!」
こう言われて素直にはいそうですかと言う者はいない。たとえ彼女でなくともお断りだ。
火事場の馬鹿力と言うべきなのか、山田の刀自売は重病人とは思えぬほどの抵抗を見せる。
本来死ぬべき運命の人間のため、生者と違って鬼自身が魂を抜いてしまうことも出来るのだが、それをやれないほどにまで暴れたのだ。
結局
「しまった、結界が破れる!」
閻魔庁の鬼は死者の魂を連れ出す際、生者に気づかれぬよう姿を消すための結界を張るのだが、山田の刀自売を何とか押さえようとしているうちにそちらに気が回らなくなっていたのだ。
当然家人に気づかれてしまい、部屋になだれ込まれてしまう。もはや滅茶苦茶だ。
鬼は身分を明かして家人をなだめ、魂を連れて行く旨伝えたが聞くものではない。
今度は暴れない代わりに両親から祖父母に至るまで総出で号泣しながらすがりつかれ、こちらはこちらで力に訴えることも出来ず困り果てた。
夜を通して何とか必死で説得し、せめて地獄に落ちないように口利きすると言ってようやく諒解を得たが、その場で大愁嘆場となってしまい本当に家族から離れた頃には夜が明けてしまっていた。
しかし安心したのもつかの間、山田の刀自売は地の利を生かして途中で何度も逃亡し、鬼が鬼ごっこをするという笑えもしない状況に陥る。
結局捕まえたところで無理矢理隧道へ向かう道を開き、そこへたたき込んでことなきを得たのだ。
こんなことがなければ半日かけずに連れて行けたものを、とんだ時間の浪費である。
「山田郡の布敷刀自売、今度は全て閻魔帳と合っておる」
気息奄々でたどり着いた二人に、閻魔王は淡々と告げた。
「汝のためにとんだ手間ぞ。……この娘を裁く前に鵜足郡の方を帰さねばならぬな」
そう言うと一旦山田の刀自売のみを別の鬼に渡して下がらせる。
顔を合わさせてもよかったのだが、どうも
奥から刀自売が眼前に連れて来られたのを見て、
「娘よ、間違いがあってはならぬゆえ汝は直接躰へと帰す。術者を呼べ」
閻魔王がそう言いすぐそばの鬼に命を下した時だ。
「……余りお手をわずらわすようならば、このままここに留めていただいても構わないのですが」
何と刀自売がとんでもないことを言い出したのである。
「何を申すか、汝はまだ四十年以上は生きることになっておるのだぞ」
「生きなければなりませんか?」
この問いに閻魔王が眼をしばたたかせた。生き返ることが出来るというのにどうして間接的に否と言うのか、人間が生きることに執着する姿を飽きるほど見て来た身として全く理解出来ない。
「生きてもらわねば困る。閻魔帳の中身を曲げることは出来ないのでな」
「お力で書き換えることは出来ませんか?」
ついに閻魔王はあっけに取られた。これまであまたの人間を裁いたが、閻魔帳の書き換え、それも自分に不利な方へ書き換えてくれと頼む人間なぞ初めて見る。
「こら、いい加減にしろ!お前の方がよほどお手をわずらわせてるぞ!」
ここで看過出来ぬとばかりに、平伏していた鬼が制止に入った。
さすがにこれには言い返せぬと思ったのか、刀自売はそれ以上何も言わない。
そして術者が何やら陣を描いて此岸らしき場所を見ているのを、ぼんやりと見始めた時だった。
術者が驚きに固まったかと思うと、
「申し上げます、大変なことになりました」
大急ぎで閻魔王の前に飛び出して来た。
「この者の躰、既に荼毘に付され失われております」
「……何と、時を置きすぎたせいか」
「そうと思われます。さらに死んだ場所が悪かったのもありましょう」
実はあの後、魂の抜けた刀自売の
こんなところに屍があれば、どうなるかは分かっている話だ。
これではさすがに何日もは置いておけず、泣く泣くその夜に荼毘に付さざるを得なくなったのだ。
これを聞いた時、刀自売の顔にわずかに喜色が浮かんだのを鬼は見逃さなかった。
「ふむ、ではさっきの山田郡の方の躰はどうだ」
少し考えて閻魔王が言うと、残っていた術者が、
「こちらは残っております。よほど娘との別れが恋しいと見ました」
陣の中を
「……やむを得ん、その躰に戻せ。聞けば従姉妹同士、まんざら悪いことにはなるまい」
閻魔王は眉間にしわを寄せて答えた。厄介なことになった、そう言いたげな顔である。
「………」
刀自売は明らかに顔を暗くして、嫌な顔を出来るならしたいという気配を醸し出していた。
「俺が言うのも何だが、生き返れるんだからさ……な?」
鬼が恐る恐る励ますような声をかけるが、刀自売はなおも黙ったままである。
その間にも先ほどの命のままに術者が陣を描き、ついに刀自売の魂を返すための儀式が始まった。
無気力に陣の中に入った刀自売は、術者の長々とした呪文の読誦の中で次第に消えて行く。
陣をのぞき込み、無事に刀自売の魂が此岸に戻ったのを確認すると、
「……はあ、はあ、こんな強く術をかけたのは初めてだ」
術者が両のこめかみを手で押さえながらよろめいた。
「どうしたのだ、大丈夫か」
「ご心配には及びませぬ。ただ、押し込めるのにひどく力を要しただけです」
「ふむ……やはり他人の躰ゆえ、無理があったか」
そう納得するが、鬼はもしかすると違うのではないかという思いにかられる。
「裁きに戻るぞ、みな持ち場に帰れ」
術者が下がったところで呼ばわった閻魔王に、
「汝の沙汰はまた後で決める、下がれ」
そう命じられ静かにその場を後にする鬼の足音が、いやに虚しく閻魔庁の中に響いた。
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