一番星を見上げて

藤原 清蓮

あなたの帰る場所


 こんな事になるなんて、想像すらしていなかった。


 私は、あの時、なんで「もう帰るね」なんて、言ったんだろ。

 

 振り返ってみなくたって、わかる。

 単なるヤキモチだった。


 私以外の誰かと楽しげに話す貴方を見て、なんとなく疎外感が私の中にあったから。




「今からファミレス行って、その後カラオケ行こうぜ」

「おう、いいね。なぁ、行くよな?」


 友達に誘われて、愛想よく答えた彼は、私を振り返って、来るのが当たり前みたいに手を差し出した。


 いつもなら、その手に手を重ねて隣を歩く。

 でも、その日の私はその手を拒んだ。


「ごめん、今日はやっぱ先に帰るよ」


 精一杯、いつも通りにしてみせて。笑顔で言ったの。


「え……? どうした? 具合悪いのか?」


 笑顔で言ったのに、彼は心配気に眉を八の字にして、私に近寄ってきた。


「あー……いや、レポート! レポートが終わってないの、忘れてたから!」


 笑いながら言えば、彼は一瞬呆けた顔をしたけど、すぐに笑って私の頭を優しく撫でる。温かい、私の大好きな手で。

 

「なんだ、ハナにしては珍しいじゃん。いつもサッサと終わらせてるのに」

「ん〜。今回のは、少し題材が難しくて」

「そっか。あ、今日、ウチ来るだろ?」


 彼が更に身を寄せて訊ねる。もう、殆んど半同棲みたいな私たちだけど、お互い部屋の鍵は持っていない。


「ウチでレポートやれば良いよ」

「でも……」

「ウチに帰ってて。はい、鍵。絶対、家いてよ」


 いつになく強引に鍵を手渡すものだから、断れなくて受け取った。受け取ったということは、鍵はこれだけだから、私は絶対、彼の部屋に行かないといけない。


「早く帰るから」

「ゆっくりでいいよ。友達付き合いは大事です」


 心にも無い事を言っている自覚はある。

 でも、私は強がって。笑顔でそう言った。


 向こうで彼の友達が呼んでいる。彼は軽く手を挙げて返事をすると、再び私に向き「じゃあ、また後でな」と言って、小走りで去って行った。


 私はその後ろ姿を見送って、小さく「また、後でね」と呟いた。



 どうやって、彼のアパートまで来たんだっけな。ぼんやりし過ぎて、気が付いたらもう彼のアパートの部屋の前に立っていた。


 私は彼から預かった鍵を出そうと、鞄の中を探ったけど、見つからなくて。めちゃくちゃ焦って、玄関前で鞄の中を広げて探した。


「うそ……無くした? どうしよ……どこで無くしたんだろ……」


 私の心臓はあり得ない動きをして、身体が冷えてくる。焦って、スマホで彼に電話しようとするのに、上手くスワイプ出来ない。顔認証も出来なくて、私は半泣き状態になった。

 こうなったら、自分で来た道を歩いて探すしか無い。私は半泣きというより、もうほぼ泣いてるんだけど、更に泣かないよう堪えて、地面を見ながら、ゆっくり歩いて探した。


 今日、私、どっちから来たんだっけ。

 彼のアパートに来るには、二つのルートがある。


 少し遠回りになるけど、池のある公園を通って来る道のりと、素直に駅から真っ直ぐ来る道のりと。

 多分、今日は何となく彼のアパートに真っ直ぐ行きたくなくて、公園を通った様な気がして。私は公園へ向かった。


 もう夕焼け空で。秋も深まった公園の木々に夕日が当たり、更に茜色に染まって綺麗。


 そんな色を眺めていたら、涙はいつの間にか止まってて。


「さぁ、暗くなる前に見つけないとね」


 私は気持ちを切り替え、鍵を探した。


♦︎


「なぁ、居る?」


 アパートから少し歩いたところに、公園がある。俺は、公園の中の池が近くにある場所で、力無く友達に訊いた。


「いるよ。何か探してる」

「……どの辺?」

「行くのか?」

「うん……」


 俺は……友達がいうには、ボート乗り場の近くにいるというから、ゆっくりと近寄った。

 もう夕暮れ時で、ボート乗り場は閉まっていた。


 俺は、ゴクリと生唾を飲み込む。


「ハナ……」


 彼女の名を呼べば、冬の冷たい風が頬を通り過ぎる。


「ハナ、迎えに来たよ。遅くなってごめんな? もう、帰ろう?」




「たぁくん……。たぁくん、ごめん。私、たぁくんの部屋の鍵、無くしちゃったの。ずっと探してるけど、見つからないの」


 私が泣きながら言えば、彼の少し後ろに居た彼の男友達が、小声で彼に何か耳打ちをする。


 たぁくんは、何故か悲し気に眉を寄せ、再び私を見た。


「ハナ、鍵はあるよ。大丈夫。もう、探さなくていいんだ」


 そう言って、たぁくんは、デニムのポケットから、鍵を取り出して見せる。

 二人お揃いの色違いで買ったキーホルダーが付いている。

 私は「え! なんで!?」と、驚いた。


「ハナが、握り締めていたんだ」


 たぁくんのその言葉に、私は首を傾げた。キーホルダーをよく見ると、なんだか随分と汚れていた。


「なんで……。私、確かに鍵貰ったよね? なんでたぁくんが持ってるの? 私が握り締めてたって、どういうこと?」


 私が混乱しながら訊ねれば、また、たぁくんの友達が耳打ちする。


 なんで、こんな時まで友達を優先するの……。


 私は、また醜い自分の心が現れた事に、自分で自分を嫌なって、再び泣きそうになった。


「本当のこと、話して大丈夫なのか?」

「まぁ……衝撃は受けるだろうけど……でも、伝えないと、彼女はずっとこのままだよ」

「……わかった。俺の目の前に居るんだよな?」

「ああ」


 男友達が話を終えたのか、たぁくんは再び私を見て、ゆっくり一歩ずつ近寄って来た。そして、後ろを振り向き「この辺?」と訊ねる。

 男友達が頷くと、たぁくんは再び私に向いて、その腕を伸ばした。

 私は、その腕に抱き締められる。


 温かい……。なんだか、随分とこの温もりと香りを懐かしく感じる。


「ハナ……。よく聞いて。ハナはね、あの日、先に俺の部屋に帰る途中、事故に遭ったんだ」


 え。


「ハナは、俺の部屋の鍵を握り締めてた……。

あの日、ハナの様子が少し変だったから、どうしても部屋にいて欲しいって思ったんだ。帰ったら、たくさん話を聞こうと思ってた。それと、卒業したらさ……実家に帰るって、言ってたろ? なんか、ハナは俺と別れたいのかなって思って……その話もしたかった。卒業したら、結婚しないかって、言いたかったんだ。俺はね、ハナ。色々下手くそで、ちゃんとハナに好きって伝えて無かったなって。だから、ハナが離れていこうとしてるのかなって。でもね、俺は別れたくなかった。だから、あの日は、絶対、ちゃんと話をしたかった。俺はね、ハナ。ずっと後悔してるんだよ。あの日、君を一人で帰さなきゃよかったって。そしたら、ハナは、今でも俺の隣に居てくれたのにって……」


 震える声は、泣き声で。

 たぁくんの言葉を、私は信じられない思いで聞いていた。


「私、死んじゃったの……?」


 私は囁いた。

 たぁくんの肩越しに見える、男友達に向かって。


 男友達は、真っ直ぐ私の瞳を見つめ、少し険しい顔で、ひとつ頷いた。そして、彼の喉が、コクンと動く。


「そうなんだ……」


 鼻の奥が、ツンと痛む。

 目が、沁みる。


「死んでも、痛みは感じるのかな。不思議」


 私は泣き笑いしながら彼に言うと、彼もグシャリと顔を歪め、涙を溢した。


「ねぇ、伝えてくれる? 私の声、たぁくんには聞こえないんでしょう?」


 そう問えば、彼が頷く。


「私、たぁくんが大好きだよ。実家に帰ろうかなって言ったのはね、私のヤキモチから……たぁくんに振り向いて欲しくて言っただけ。たぁくん、友達が多いから……。時々ね、疎外感があったの。私、人付き合い下手くそだから……。ごめんね、変な心配させて。もっとちゃんと話せば良かったね。ねぇ、たぁくん。結婚しようって、思ってくれて、ありがとう。すごく嬉しい。私、めちゃくちゃ幸せ者だね。好きな人に、こんなに愛されてたんだから……」


 彼が、たぁくんに私の言葉を伝えてくれる。その言葉で、たぁくんの泣き声は、大きなものになった。その声に、私も涙が止まらなくなる。


「たぁくん、ごめんね? こんな事になってしまって……。たぁくん、ありがとう……」


 声が詰まる。私は、どうにか呼吸を整えて、満面の笑顔で、精一杯の大声で言った。


「たぁくん! ずっとずっと、大好き!」


 私を抱き締めるような姿勢を取っていたたぁくんが、大きく身体を振るわせ、ハッと何かに気が付いた様に顔を上げた。


「ハナ……!! 俺も、ずっと大好きだよ!」


 その言葉を聞いた私は、なんだかとても身体が軽くなった。

 

 私の声、ちゃんと届いたんだ……。


「ありがとう、たぁくん……」


♦︎


 どのくらい経ったろう。


 男友達の声が、背中に当たった。


「彼女、空へかえったよ……」


 その言葉に、俺はブルゾンの袖で涙を拭いて「そうか……」と、どうにか声を振り絞った。


「最後……声、聞こえた気がしたんだ……」

「お前ら、全くおんなじこと、言ってたよ」


 その言葉に、目頭が再び熱くなる。涙を溢さないように天を仰げば、空には一番星が瞬いている。


 その星の瞬きが、彼女の笑顔に見えた気がして、俺も笑った。


「さぁ……帰ろうか」


 手の中の鍵を握り締めて、星に向かって呟いた。



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