天使と保健室の女神①

 ホームルームが終わるや否や、生徒全員が待ちかねたように、一斉に席から立ち上がった。その大半は、我先にと、まだ席に向かっている途中のノエルを取り囲み、


「ノエルくん!先週のダンス動画マジやばかったんだけど!今度うちのダンス部とコラボしてくれない?!」

「私、この前の新曲、毎日ヘビロテして聴いてるよ!ガチで今度、生歌聴かせてね!」

「わっ、私は、この前動画で紹介してたコスメ買ったよ!また何かオススメがあったら教えて!」


 と、寄って集って好き勝手に黄色い声で自己アピールをしている。当のノエルはというと、有名人にあやかりたいという彼女たちの見え透いた言動にも、嫌な顔ひとつ見せない。それどころか人だかりに埋もれているにも関わらず、教室の反対側にいる莉恋りこのところまでよく通る声で応対するほど、嬉しさを露わにしていた。

 しかし、全員が全員ノエルを受け入れたわけではない。

 ごく少数ではあるものの、一部は教室の隅へ移動すると、ひそひそと囁き合いながら、遠くから訝しげな目でノエルを眺めている。

 無理もない。いくら有名人とはいえ、女子高に男子という異物が入ってきたことに不信感を抱くのは当然だろう。何だったら男性教諭の存在すら、不満を漏らす生徒がいるくらいだ。だからといって、反対派がわざわざ波風を立てる真似をすることはないだろう。さすが県屈指の進学校だけあって、頭が回る生徒が多く、自分たちに不利が及ぶ行為は普段から慎んでいる。現に、こうして消極的な手段でしか不満を示せていないのだから。

 歓声と微声が入り交じる中、莉恋はスクールバッグの持ち手を掴むと、そのまま肩に担いだ。そして、角砂糖に群がる蟻を見るような冷めた気持ちで、ノエルの周りに集まる生徒たちを一瞥すると、廊下へと出ていった。


「待ちなさい!!」

 数歩進んだところで、突然の怒声に行く手を阻まれた。振り返ると、学級委員の磐城いわきがこめかみに青筋を立てて、莉恋を睨んでいる。

「何か用?」

 莉恋は無意識に目を合わせまいと視線を逸らし、気怠げな態度で返答した。

「『何か用?』じゃないわよ!先生の話を聞いてなかった?アンタだけよ!文化祭のアンケートを出してないの!」

 やっぱりそのことか、磐城の真面目さに辟易した。

「確かに『早急に』とは言っていたけど、『今すぐに』とは言ってないじゃん」

「締め切り期限はもうとっくに過ぎているのよ!来週の月曜日にホームルームで出し物を決めるために、早めにアンケートを取りまとめなくちゃいけないの!」

「……はいはい、わかりました。今出しますよ」

 莉恋は心の中で舌打ちすると、鞄の中を漁り、半分に折った一枚の紙切れを差し出した。

「ほら。じゃあ、アタシはいつも通り保健室に行ってくるから。あとはよろしく」

 莉恋はアンケート用紙を渡すと、背を向け、すたすたと歩き始めた。

「何よ、全く。書いてあるならとっとと渡しなさいよ」

 磐城は愚痴をこぼしつつ、用紙を開いて、中を確認すると、

「……何よこれ!?――待ちなさい!!」

 慌てて莉恋を呼び止めた。

「今度は何?」

 莉恋は再び数歩進んだところで足止めされた。いよいよ全身を翻すのも億劫になったので、首だけで振り向く。もちろん1ミリたりとも目を合わせずに。

「これはどういうことよ!?白紙じゃない!?」

 磐城はさらに声を荒げると、まっさらなアンケート用紙を突き出した。それに対し、莉恋は特に悪びれることもなく、開き直って答えた。

「出せって言われたから、しょうがなく出したんだけど」

「私が言いたいのは、記入してから出してってことよ!」

「別に文化祭でやりたいことなんて何も無いよ。そっちで勝手に書いといて……」

「アンタそう言って……。まさか体育祭の時みたいにボイコットする気!?」

「そのつもりだけど。どうせアタシみたいなネクラで無愛想な人間がいると空気悪くなるだろうし」

「ふざけないで!!」

 磐城の声が廊下に響き渡る。ただならぬ雰囲気に廊下を歩く他の生徒たちは気圧けおされ、遠巻きに通り過ぎていく。

 腫れ物に触りたくないという周囲の態度は、通学途中の電車で見かけた老人たちを想起させる。今の莉恋はそんな彼らと同じ境遇にいる。違いがあるとすれば、今ここに助けてくれる者が全くいないという点だけ。自力で打破する他に道はない。

 反響する自分の声に羞恥心を抱いたのか、あるいは大声で喉を涸らしたのか、磐城は軽く咳払いをして続けた。

「……アンタ、まるで分かってないみたいね?文化祭は、私達生徒が主体となって、高校生活の大切な思い出を作るのと同時に、保護者や学校関係者の方々のために――」

「そういう綺麗事はどうでもいい」

「ど、どうでもって!?……あー……なるほど、フフフ……」

 磐城は憤慨したと思いきや、今度は悦に入った顔で、不敵に笑い始める。

「ははん、分かったわ。アンタ、養護教諭の呉羽くれは先生の妹だからってちょっと調子に乗ってんじゃない?」

 磐城の口調は一転して、学級委員の責務から来る言葉とは別の、どこかねじれた感情が顔を覗かせる。

「はぁ?関係ねーだろ、そんなこと」

「関係大ありよ!だからそうやって大口叩いて、いつも保健室に逃げてるんでしょ?」

「逃げる?保健室通いは、朝と下校時のホームルームには必ず顔を出すっていう条件で、ちゃんと学校から許可をもらってる」

「でもそうやって、文化祭当日も逃げるんでしょ?に負担をかけてでも」

「……」

「ひとつ聞きたいんだけど、アンタはなんで、学校ここに通ってるの?ここは集団生活の場よ。ただ学歴欲しさで通っているなら、はっきり言って迷惑なんだけど」

「……それって嫌味?」

「あら、そう聞こえちゃった?ごめんなさぁい♡」

 磐城の露骨な態度に、いやでも拳に力が入る。

「あっそ……」

 もうこれ以上は関わりたくない。そう思って無理やり会話を打ち切り、再び歩き出した。

(こういう奴がいるから、教室にいたくないし、行事も参加したくないのに。少しはアタシのキモチを汲んでよ……)

 そう、同じ――。

 昔、転校した時、他人ひとのことも考えずに質問攻めしてきた連中も。今、ノエルを取り巻いて媚を売っている連中も。そして目の前にいる、目的のためなら分別をわきまえない学級委員も。

 相手という鏡に映し出された自分たちに、勝手に陶酔しているだけ。映った姿ばかり気にして、鏡そのものを見ようなんてしない。

「ねぇ、何か言い返すぐらいしたらどうなの?」

 磐城がまだ噛みついてくる。莉恋はまたしても数歩進んだところでぴたっと止まった。

 これで三度目。もはや振り返ろうとする気すら起きない。

 もう我慢の限界、この吠えまくる駄犬に何か言い返してやらないと――。握りしめた拳と唇を小刻みに震わせながらも、あくまでも冷静さを装って、重々しく口を開いた。

「じゃあ、お言葉に甘えて、アタシからもひとつ嫌味。磐城って、優等生ぶってるわりに、この間のテストの点数、アタシより下だったよね?アタシがいなくなれば、めでたくアンタが学年成績上位十位に食い込める。だからていよくアタシを排除しようとしてるんでしょ?」

「なっ!?」

「授業に出てないアタシが、ちゃんと授業に出てる磐城に勝てちゃうんだから。確かに、わざわざ学校に通う意味なんかこれっぽちもないのかもね」

「アンタ……!!」

蓉恋姉ようこねえ――呉羽先生に負担をかけていることも、迷惑をかけていることも、アタシが一番分かってる。けど、学校に通い続けることはアタシよりも呉羽先生が一番望んでいることだから。……だから、もうこれ以上は口を挟まないで」

「何でアンタみたいな不良の妹を呉羽先生が……」

「……アタシはアタシで、呉羽先生は呉羽先生で、重い十字架を背負しょってんだよ」

「十字架?ますます意味分かんない!」

「別に分かってくれなくていいよ。それこそアンタには関係ない」

「――っ!!」

「まあ、とりあえず。磐城がいかに呉羽先生のことが大、大、大好きかは伝わったから。あとで本人に伝えておくよ」

「はっ!?えっ!?ちょっ、ちょっと!?待って!?な、なんでそうなるの!?」

 思わぬ反撃に狼狽えた磐城は、言葉をつかえさせ、早口でまくし立てる。振り返らずとも分かるくらいに動揺している。きっと顔を真っ赤にしているに違いない。

(逃げるなら今かな……)

「じゃ。アタシは行くから」

「くっ――!!呉羽莉恋ーー!!先生に絶対、変なこと言わないでよ!!」

(うっさ……。ツンデレかよ……)

 背後で磐城の絶叫がこだまする中、耳の奥にこびりつく不快さを払い落とすようにその場から足早に去っていった。

 四度目の正直。もう莉恋を止める者はいなかった。


 ――歩きながら、莉恋は後悔していた。相手を負かすためとはいえ、姉を盾にしてしまったことを。自分もまた、姉という鏡に映った哀れな姿を見て、自己憐憫れんびんに浸っているだけの人間なのかもしれないと。

 そんな自分に嫌悪感を抱きつつ、莉恋は保健室に赴いた。

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