千手観音は末端冷え性

水帆

千手観音は末端冷え性

 我輩は千手観音である。

 名前はたぶん無い。


 人の想いのこもった品物に魂が宿るとは太古の昔よりよく聞く話だが、俺も例に漏れずそんな存在である。

 ちなみに冒頭の「我輩」は言ってみたかっただけだ。百年くらい前にうちの坊主がお堂に置き忘れていった本に書いてあったのを真似した。


 誤解のないよう言っておくが、俺には人の願いを叶える力は無い。後から魂が宿ったとはいえ、元々ただの金属の塊だから当たり前だ。


 しかし千手観音としてここにいる以上は、何もできなくとも人の願いを静かに聞き続けるしかない。家族の健康や病気平癒、良縁祈願なんかはいつの時代でも定番だ。


 だが、願い事も時代によって移り変わっていく。ついこの間まで「年貢ねんぐをちょろまかしたのが見つかりませんように」なんて不届き者が来ていたのに、今では「自社が受けたサイバー攻撃の責任を取らされてクビになった」と泣きながら就職祈願をする奴が来たりもする。世の中も随分変わったものだ。


 俺のように魂が宿った物にも色々あるのだが、ただ意識があるだけで全く動けないものが大多数だ。


 しかし、千年もの間、人の願いを湯水のように浴び、大量の思念を向けられてきた俺は自由に動くことができるし、喋ることもできる。まあ古い仏像にはそういう連中が多いらしいが、俺がいる寺にはそこまで古い仏像が他に無いので動くのは俺だけだ。


 ちなみに、動けるということは五感もある。どうも俺は手や足先に寒さや冷たさを感じやすいらしく、人間でいう末端冷え性に近い状態のようなのだが、よりにもよって千手観音なので末端が死ぬほどある。

 

 しかも、俺を作ったやつが何も考えずにデザインしやがったから、手袋もしていないし足袋も履いていない。だから冬場は冷気を防げず冷えっぱなしだ。今時のITっぽく言えば「エンドポイント末端のセキュリティがガバガバ」なのだ。この前クビになって泣いてた奴が言ってたのを真似したんだけど使い方合ってる?

 

 ちなみに夏場はワキが蒸れる。

 ワキ多いから。

 まあそうは言っても、末端冷え性だから冬の方がきついんだけど。


 しかし、ストーブは人間の素晴らしい発明だ。俺のお堂でストーブが使われるようになるまでは、冬の夜中は大量の腕を斜めに折り重ねて自分の体温で暖をとっていた。見た目は巨大なしめ縄みたいになるが、腕が腕に挟まっていれば指先もまあまあ暖かい。

 

 だが、今はストーブがある。だから俺は、人間が寝静まった後に夜な夜な動いては、勝手にお堂のストーブをつけて暖まっている。昔は燃料の減りを不審がられることもあったが、今は電気だからバレにくくて最高だ。


 

 師走のある日の夜。

 その夜も俺は電気ストーブの前に大量の手のひらを差し出して暖まっていたのだが、急に背後からカタッと音がした。思わず振り返ると、この寺で飼われているブチ柄の猫だった。どこかの隙間から入ってきたらしい。


「なんだ、驚かすなよ」


 人間に見られたのかと肝を冷やしたが、猫でよかった。猫は俺が動いてもあまり気にしないし、意識はあるけど動けないタイプの仏像を時々じっと見上げていることもある。人間に見つかるとお祓いをされたりして色々と面倒だが、猫は普通に共存できる相手だ。


 するとガラリと音を立ててお堂の引戸が開いた。


「あっ、ダイちゃん! いた!」


 髪を2つに結んだ幼稚園児くらいの小さな女の子が、猫を追ってお堂に転がり込んできた。もこもこの白ベストにピンクの手袋と暖かそうな姿のこの子は、このお寺の住職の孫娘、カナミだ。


「……あっ」


 カナミが俺を見て固まる。ストーブに向かって大量の腕を伸ばしたままの俺も固まる。

 えっ、どうしよう。泣かれる? またお祓いされちゃう? 効かないけどあれ面倒くさいんだよなあ。


「……おてて、さむいの?」


 カナミは俺の手をじっと見る。

 そして俺に近づくと、なんと自分の手袋を外して差し出した。可愛らしい、ちいさなピンク色の手袋が左右二つ。


「これね、カナミがつくったの。あげる」


 カナミ曰く、ママに編み物を教わって自分で作ったらしい。多少編み目がゆるいところはあるが、子どもが作ったにしてはよくできた手袋だ。


「そ、そんな大事な物、受け取れねえよ! 気持ちだけで十分だ」


 俺が慌てて断ると、カナミは小さな頭をこてっと傾けた。


「あ、ちいさい? ぶつぞうさんのおてて、カナミよりおっきいね。おてていっぱいあるからたりないか」


 カナミは俺の手のひらに自分の手のひらを近づけた。小さいもみじのような手のひらが、俺の手のひとつにぺちっと重なる。

 この子、俺が怖くないのか? 全然動じていない。 


「ぶつぞうさん! カナミがてぶくろつくってあげるよ。またくるね」


 そう言うとカナミはブチ猫を抱き上げてお堂から出ていった。


 ここまで人間に怖がられず、しかも会話までできたのは初めてかもしれない。俺はカナミが出ていった引戸を呆然と眺めていた。



 年が明けると、千手観音にも初詣で人間が大勢やってくる。冷たい台座に素足で立っている俺には、ほんの少し動いて足を暖めたりもできないこの時期は結構辛い。 


 やっと夜になって坊主たちもお堂から出ていった後、俺がやはりストーブの近くで暖まっていると、小さな音を立てて引戸がそっと開いた。カナミだ。


「ぶつぞうさん、ごめんね……」


 なんでも、お小遣いでは大量の手袋を作れるだけの毛糸を買えなかったらしい。お年玉はママがカナミ名義で全額貯金してしまうのだそうだ。本当に大量に作る気だったのかと驚いている俺に、カナミが別のものを差し出した。


「これ、くつした。あんよもさむいでしょ? あんよならふたつだから、てぶくろのかわりにつくったの」


 それはカナミの手袋と同じ色の毛糸で編まれた、ピンク色の靴下だった。


 俺は泣きそうだった。千手観音の俺の足が寒いことを気遣ってくれた人間なんて、これまで一人としていなかった。


 俺はその靴下を受け取ると、何本かの手で靴下の口を広げ、カナミの前で履いてみせた。なんとサイズも結構いい感じだ。


「あ! ねえ、ぶつぞうさん。カナミも『はつもうで』のおまいり、していい?」


 そう言うとカナミは、二つしかない小さな手を顔の前でぱんと打って目を閉じた。


「ことしもみんながしあわせな、いいとしになりますように!」


 そして目を開けて、可愛らしい顔でにっこりと笑った。


「ぶつぞうさんに『おいのり』したから、きっとかなうよね」


 俺は願いを叶える能力のない、ただの金属の塊だ。

 しかし今だけはこの子のために、どんな人も千本の腕で救う本物の千手観音でいてやりたいと、心の底から思った。


「叶うよ。俺がいるからね」


 そんなわけで、末端冷え性の俺のつま先は、今はピンク色の毛糸に包まれている。

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