第3話
祖母は、無事に乗れた列車の中で何もかも話してくれた。
登場人物の一人目は祖母、名前は友紀代だけどみんなは「ゆっぴ」と呼んでいた。登場人物の二人目は祖父、名前は哲也さん。ゆっぴは、高二の冬に塾で知り合った一学年上の哲也さんに映画に誘われてオーケーしたものの、内心、不安でもあった。無口でいつもムスッとした感じの哲也さんがちょっと怖くて、果たして気が合うのだろうか疑問だったから。では誘われても断れば良かったようなものだけど、反面、哲也さんの持つ雰囲気がミステリアスにも感じられていた。
その日は、クリスマスイブの前日で、日曜日だった。映画の前にサンドイッチでも食べようと入った喫茶店で、二人に会話はなかった。窓の外には、綿のような雲から今にも雪が降り出しそうだった。
そんな時、窓の外を見ていた哲也さんが、通行人の中に知った顔を見つけたようで、「ちょっと席外していい?」と言ったので、ゆっぴは驚いた。誰と話すのだろうと目で追っていると、哲也さんは、街角のラフな身なりの男性の方へ向かっている。これが登場人物三人目。
すでに高校生ではないようだけど、まだ若く、卒業して間もないように見えるその男性は、目の前のちょっと不良っぽい男に頭を下げ、離れて行った。そこへ哲也さんが現れ、何か二人で話している。
ゆっぴはお店の人に話をして、バッグとマフラーとコートを席に残したまま、店の前の道路へと出た。
切れ切れの会話から、それは哲也さんのかつての先輩である事が分かった。
「先輩、何、謝ってたんですか? 金返す話みたいだったけど」という哲也さんに対し先輩は「ちょっと借りてただけ。そんな額じゃない。いろんな人から借りてたけど。あの人からは五千円だけなんや。心配せんでえーから」なんて言っている。
「五千円で済むなら貸すので使ってください。先輩の家、色々大変だったでしょ? お店も閉店してるし」
「そういうのいいから」
「いや、だめです」
そう言って哲也さんは鞄の中から財布を探しているようだった。
ゆっぴはバレないように席に戻った。
サンドイッチをほとんど無言で食べた後、二人は店の外に出た。
「あの、友紀代さん、今日今から映画に行く予定でしたが、都合があり、行けなくなりました。悪いのですが、また今度でよいでしょうか?」
「都合って持ち合わせのお金がなくなったからですか? さっき、人にお金を渡したから? それならさっきの人が、先輩が勘定先に済ますってレジに行ってる間に返しに来ましたよ。私、今からそれを渡そうと思ってたんですけど」
「は?」と哲也さんはよく分からない様子だった。それでゆっぴは、バッグからハンカチに包まれた五千円札を取り出した。
今、取り出すとその端っこには、さっきゆっぴも気が付かなかった落書きが書かれてあった。
「好きなコと楽しい時間をすごしてな」
それを見た哲也さんは宙を見上げ、眼には涙を浮かべていた。人に涙を見られたのは、その時が初めてだったと後々ゆっぴは聞いた。
そして、かつて一本気で要領の悪い哲也さんが高校で孤独になりかけた時に、気さくに声をかけ、哲也さんが独りぼっちにならないようにしてくれたのがこの先輩だった事も。見上げる空からは、頼りない雪が風に舞っていた。
その時は事情をよく知らなかったゆっぴだったが、哲也さんと先輩、二人の間に何らかの絆がある事を理解していた。
「この五千円札、哲也さんへのメッセージが書いてあるから、何か勿体なくて使えませんね。とっておいて下さい。大丈夫ですよ。私、余分に持ってますから」
そう言ってゆっぴは自分のつま先を見つめた。お金が仕込まれてあるつま先を。
そしてこの落書き入りの五千円札は、それから四十年以上が過ぎても使われる事なく、思い出の品として、家に保管される運命となったのだ。
それは、長い年月の間、たまに会う「先輩」との話のタネにもなっている。
「おじいちゃん、泣く事あったんだ」
「その時、一度だけだったの」
「先輩」と「涙」と「つま先」のおかげで、二人はほとんど言葉を交わさないうちに、相手の心をよく知る事になったのだ。だから、その後の人生であまりお喋りしなくても仲良かったんだ、と私には思えた。
家に帰った時、庭の寒菊が優しく迎えてくれた気がした。
そして私は、言葉とは一体何だろうかと考えて、ゼミの論文を今は放り出してみたくなっていて。
綿のような雲から雪が舞い降りたある日の昔話をまた振り返るのだった。
〈Fin〉
先輩と涙とつま先と 秋色 @autumn-hue
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