第3話 皇帝の夜 

 兄が去り際に嫌なことを言う。


「アレックス、これから天気悪くなるな。明日予定があるから泊まれないけど――」


 雲の動きが怪しい。風が段々と冷たくなってくる。


「……私ももう子供じゃないですから」


 兄が心配しているのは、アレックスの唯一の弱点。


「もう雷なんて怖くないですよ」


 そう言って安心させるように背中を押した。


(私は皇帝なんだ。もう大人なんだ。雷なんて怖くない。怖く……ない)



◇◆◇



 雨が次第に激しくなってきた。強い雨音が屋根や窓を叩きつける。遠くから雷鳴も聞こえてきた。


「…………やっぱり怖いっ!!」


 アレックスは黒猫の抱き枕を強く抱きしめてベッドの中に潜り込む。身体がガタガタと震えた。


 あのゴロゴロという音も、空気を切り裂くように地に落ちる音も苦手だ。閃光を放ちながら空を走るジグザグとした青い光の線も――つまり、雷の全てが苦手なのだ。


 

 アレックスは五歳の時に母を亡くしている。


 母は頭に悪い腫瘍ができて、段々と苦しみながら弱っていった。亡くなる前夜は雷が激しく鳴り響き、その音に呼応するように母はもがき苦しんだ。


 兄は懸命に母を励ましていたが、アレックスは怖くて病室から逃げ出したかった。そんな風に思う自分も薄情に思えて嫌になった。


 雷が遠くで落ちる音が聞こえた。耳を塞ぐように抱き枕に耳を押し当てる。


(こわいこわいこわいこわい…………っ)


 雷鳴が段々と近づいてくる。心臓の音が身体全体に響くほど大きくなり、冷や汗が全身から溢れてくる。目を瞑っても脳裏に浮かぶのは幼いころに見た母の病室の光景――母の苦悶の表情とそれを励ます兄。そして震えながら何も出来ない自分。


 アレックスは気付かなかった。ドアをノックする音に。近づいてくる足音にも、呼びかける声にも。


「陛下、お返事くらい返して……陛下……!?」


 突然ブランケットが引きはがされた。頬を涙で濡らしながら視線を上げると、そこにはクラウディアがいた。


「アレックス!」


 クラウディアは敬称ではなく名前で呼び、アレックスを抱き枕ごと抱きしめた。


「……やっぱり一人で震えていたのですね」


「クラウディア……」


 クラウディアの肩に額を乗せた。甘やかな香りに包まれる。


「すみません、クラウディア。まだ雷が怖くて。私はダメな男ですね。子供のようです」


「あなたは早く大人になり過ぎてしまったのです。今だけは子供でいて」


 クラウディアの腕の中で雷が遠く感じる。アレックスからも優しくクラウディアを抱きしめた。


 抱き締めながら、雷にまつわる母の思い出を話した。


「私は兄より優れていると、優れていたいと思っていました。でも、やっぱり敵わないんです。兄は苦しむ母に必死に寄りそい、励ました。私はただ怯えるだけで何も出来なかった。薄情にも母が早く楽になればいいと――」


「あなたは五歳だったのです。普段はお優しいお母様が苦しむ姿を怖いと思っても仕方ありません。こうやって十年経っても思い出すのですから薄情ではありません。お兄様より劣っているわけでもありません。お兄様は十一歳だったのですよ。当時の六歳差は大きな差です」


 クラウディアがうわべだけの慰めを言っているのではないとわかる。


「クラウディア、来てくれてありがとう」


 アレックスは吸い寄せられるようにクラウディアに口づけた。そのまま優しくベッドへ押し倒し――となったところでくるりと身体を反転させられた。


「陛下、調子に乗り過ぎです! もう雷は遠いですわ!」


 クラウディアはアレックスから身体を放し、ベッドから立ち上がった。


「わたくしはあなたが可愛いし好きです。でもそういう意味で好きではありませんから!」


 スタスタとドアまで歩いて行ってしまう。部屋を出て行こうとしてくるりと振り返った。


「そういう意味で好きではないですが、怖い時や苦しい時はわたくしに声をかけてください。形だけの婚約者、妻だとしても、あなたとわたくしは人生を共に歩むのですから。一人で泣かないでください。泣くときはわたくしと一緒に泣いて下さらないと」


 そう言ってアレックスに背を向ける。


「クラウディア、ありがとう……おやすみ」


 アレックスはクラウディアにそう声をかけた。


「おやすみなさい、アレックス」


 クラウディアも返してくれた。敬称ではなく名前を呼んで。それを聞いてアレックスは心が温かくなり、頬が思わず緩んだ。


「アレックス……かぁ……」


 単なる自分の名前なのに、彼女が呼ぶと特別な意味を持つような気がした。


「クラウディア、絶対そういう意味で好きになってもらうから」


 彼女と自分は夫婦になる。勝負は結婚してからも続く。


(私もあなたも長生きして。うーんと長生きして、六歳差なんて気にならなくなるくらい老いた時、その時までにあなたが私をそういう意味で愛してくれたらいい。言葉に出さなくても心の中でそう思ってくれたならどんなに幸せな人生だろう)


 その時には彼女との間に何人も子がいて孫もいるのかもしれない。


 アレックスはぎゅっと黒猫の抱き枕を抱きしめて眠った。


【 Episode 4 ・完】


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ここで完結とします~。

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【完結】恋はこりごりな悪役令嬢は、皇帝陛下からごりごりに愛されています 🐈️路地裏ぬここ🐾 @nukokoko

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