第5話サージェント領にて
夏の日差しを遮る木々の下で冷たいレモネードを飲みながら、ベアトリスは報告書に目を通していた。
12歳の少女らしさのない、鋭さのある視線は一文一句も見逃さないと言わんばかりだ。
少しして、さして厚みのない報告書を丁寧にまとめてテーブルに置く。
「思ったより早くに自滅してくれたのね」
手紙はサージェント侯爵家と同じく、国内では中立的な立場を取る遠縁の伯爵家からだ。
過去も今も交流のある家で、ベアトリスより三つ上の嫡男がいる。
手紙にはアルフレッド第二王子が起こした暴挙の限りが書かれていた。
婚約者や側近を決めると噂されていたお茶会でハリス伯爵令嬢を罵り、果てにはベアトリスが婚約者になるはずだと妄言を口走って中止になったのだと綴られている。やはり過去の記憶があるのだと確信する一方で、思った以上に踊ってくれる姿が滑稽で堪らない。
「まるで道化師のようね」
マリア・ハリス伯爵令嬢の名はベアトリスも覚えている。
以前のお茶会では彼女がアルフレッド第二王子に話しかけ続けたせいで、辟易とした彼が逃げる為にベアトリスを盾にしたのだ。
確かに初対面であれほど印象の悪い態度は無かっただろう。
けれどマリア・ハリス伯爵令嬢も無作法であったが、元々お茶会はある程度の無作法を認められていたのだ。
そしてハリス伯爵家は第二王子の派閥と関係があったのだから、お近づきになろうと少々はしたない行動を取ってしまったのも仕方のないこと。
上手にあしらうべきだったし、それが無理ならば大人に助けてもらえば良かったものを、マナー教師から国王陛下に報告されるのが嫌な余りに目立たないよう控えていたベアトリスを盾にしようと狙いをつけたのは忘れていない。
今でも思い出すだけで腹立たしい記憶だ。
ベアトリス付きの侍女が近付いてくる。
「お嬢様、お客様でございます」
その言葉と共に姿を見せたのは、幼馴染のテオドールだった。
「ベアトリス!」
こちらの姿を見つけると先導していた侍女の横をすり抜けて、足早にベアトリスへと近づく少年の姿。
きっと馬で駆けてきたのだろう。
息が上がって頬に赤みが差していたが、健康的に焼けた肌の上に形作られた顔は笑みを作っていた。
「テオドール。この週末も会いに来てくれたのね」
自然と声が晴れやかなものに変わり、ハンカチを出して、少年の額に浮かぶ汗を拭う。
「婚約者なんだぞ、当然だ」
どことなく勝ち誇った顔に笑いかけながら向かいの席を勧め、冷たいレモネードの追加を侍女に伝えた。
テオドール・バイヘル辺境伯令息。それが彼に与えられた身分だ。
バイヘル辺境伯は石壁の向こう側にある帝国の辺境伯で、サージェント侯爵領に隣接している。
国境ゆえに高い石壁を築いているものの、友好国であることから頻繁に互いの領を行き来している仲だ。
幼い頃から顔を合わせている間柄なことから、ベアトリスの新しい婚約者はバイヘル辺境伯の次男であるテオドールに決まった。
互いに年も近く、相性も悪くないことから選ばれたのも大きいが、それよりも大事なことは時を遡る前にあった侯爵家の危機に手を差し出してくれたことだ。
あの時国境の門を開けて出迎える準備をしてくれており、後一日到着が早ければ、バイヘル辺境伯領への門をくぐれたはずだった。
侯爵家が逃げている際、テオドールからは門で待っていると手紙が届き、胸を高鳴らせたのは今でも惨劇の中にあった一時の幸せだと憶えている。
あの手紙がどれ程ベアトリスを励ましてくれたことか。
だからベアトリスは、夫を迎えるならばテオドールがいいと願ったのだ。
勿論テオドールの意志も大事なのでドキドキしながら婚約打診に対する返事を待っていたが、あっさりと了承の言葉が返ってきたのが嬉しい。
他国との婚姻ともなれば婚約の手続きに大量の書類が発生して両親に手間をかけさせてしまったが、あの悍ましい事件のことを考えたら、復讐のためだとしてもアルフレッド第二王子との婚約なんて選択肢にも無かった。
ベアトリスにできることは持ちうる知識で侯爵に相応しいと国に認めさせ、同時に良き伴侶を選ぶことだったが、両親も娘がしっかりしてくれて喜ばしいとニコニコしながら手続きをしてくれた。
この婚約に対して王家としては渋い顔であったが、さすがにスペアであるアルフレッド第二王子を今の時点で婿に出すという選択肢は取れなかったようだ。
どうしたってスペアになどなれないだろうに、まだ幼いからか矯正できると思っているらしい。おめでたいことだ。
一国の王として冷酷なようでも人の親であるのだと思う判断であり、そして実に愚かな事だと思う。
どうしたって彼の愚かな行動が戒められるはずがないのだから。
現在、アルフレッド第二王子には婚約者がいない。
お茶会での醜聞は箝口令を敷かれたというのに、高位貴族達の間で回り始めている。表に出さないだけだ。
下位貴族にはまだ漏れてはいないが、それとて時間の問題だ。
今回直接の被害を受けたハリス伯爵家令嬢への暴言、不参加であったにも関わらず巻き込まれたサージェント家に対して、あらぬ誤解が生まれたと王家から謝罪がされている。
初対面の令嬢と、一度も会ったことのない令嬢のそれぞれに対して、勝手な妄想だけで侮辱したのだ。
アルフレッド第二王子と婚約しようものなら、いつ我が子がどんな難癖をつけられるのかわからない上に、ベアトリスに執着しているようにも見える態度である。たとえアルフレッドにスペアとしての価値があったとしても、どこの家も可愛い娘を差し出すのを躊躇うだろう。
妄想に囚われた暴君。
そう呼ばれているのを知らないのは部屋に押し込まれたままの本人だけだ。
本人がどうしているかすらも噂になるのだから、王家の威信はどこに消えようとしているのか。
まあ、それもこれも自業自得なわけだけれど。
どれだけ精神が成熟していたとしても、体の年齢に引きずられやすいのが秘宝のもたらす難点だ。
それを理解しているベアトリスは子どもであることを理由にして、下手な態度を取らないようにと領地に引き籠り続けたが、アルフレッド第二王子の立場では難しい。
公の場はまだにしても多くの人々の目に晒され、だからこそ19歳の時分に上手くできていたことが何もできなくなったことへの苛立ちも募らせやすいだろう。
感情を隠す。笑顔を保つ。都合の悪いことは聞き流す。軽い嫌味で返す。
以前のように何もかもが上手くできないことに苛立ち、その苛立ちが更に自分はできるはずだという勝手なプレッシャーで悪循環を生む。
10歳の体では過剰なストレスなど我慢できるはずもない。とはいえ19歳の時だって自制ができないから、ベアトリスとサージェント侯爵家に冤罪をなすりつけてきたのだが。
以前にベアトリスも参加したお茶会でも、確かにハリス伯爵家の令嬢は甲高く囀る鳥だと周囲から言われていたが、それは時を遡った今の話ではない。
せめて喋らせてしまえば何とでもなったものを、そういった考えにも至れない。
過去の記憶に対して過多な依存をすれば、想定外の事が発生したときに慌てることになり、そして以前の通りに上手く立ち回れなくなる。
正解の無い道を歩くのが普通の人生であり、だからこそ人は時に慎重に、時に思い切って道を選ぶのだ。
知らぬ間に正しいと思った道を歩いた気になるのは、成功した未来を知っているからこそ陥る罠だ。
今年、王家が避暑地に出かけた話を聞かない。
おそらくアルフレッド第二王子の起こした不始末によって後始末に追われたままか、それとも謹慎でもした本人を監視下に置いたままの方がいいと判断して対処したか。
「ベアトリス、悪い顔をしている」
テオドールに指摘されて、無意識に浮かんだ笑みに気づいて頬を押さえる。
「いやだわ、テオドールに見せたくなかったのに」
「俺はどんなベアトリスでも嫌いにならないから、別に問題無いよ」
あっけらかんと言われた言葉に、頬が熱を帯びるのを自覚した。
こういった感情を隠すのが上手になるのも、まだもう少し。
不愉快な思い出しかないアルフレッド第二王子と出会うのは先送りで構わないだろう。
けれど、それまでに出来ることは沢山ある。
ベアトリスの復讐は始まったばかりなのだから。
逆行令嬢ベアトリスは許さない 黒須 夜雨子 @y_kurosu
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