第3話 リベンジ初夜

「奥様!! 旦那様がお帰りになりました!!」


 侍女のアンヌが叫びながら、アデライドの部屋に飛び込んできた。

 アデライドは驚いて立ち上がる。


「アンヌ、急いで支度を———」


 しかし、すぐにドアのノックの音と共に、ヘンリが入ってきた。


「夫人……」


 後ろめたさと、同時にかすかに見える、嬉しそうな表情。

 久しぶりに見るヘンリのごつい顔が、アデライドにはなぜかすごく懐かしかった。


「ヘンリ様」


 アデライドは腰を折って、深くお辞儀をする。


「ご無事でお帰り、何よりでございます」

「ありがとう、夫人。……顔を、上げてくれないか?」


 アデライドは頬を赤くして、顔を上げた。

 アデライドは、ヘンリの贈ったドレスに、ヘンリの贈ったアザミのブローチをつけている。


「あ」


 城に戻ったヘンリは、即座にアデライドの部屋まで飛んできた。

 着替える時間などはなかったはずだ。


(身に付けてくれていたのか……)


 ヘンリも顔を赤くして、二人はじっと見つめ合う。


 照れくさそうに顔を赤らめ、視線を右に左にと泳がせるアデライド。

 ヘンリは、そんなアデライドを、可愛い、と思った。


「そう決めたのか」


 ヘンリの言葉に目を丸くしたものの、アデライドはすぐに気づいた。


(あ、呼び名のこと?)


「閣下がいつも、お手紙の結びには、ヘンリ、とお書きになっていて。わたくしのことも……アデライド、と。何だか、昔からそう言い合っていたような気持ちに」


 ヘンリは、表情を和らげた。

 部屋に控えている侍女のアンヌに声をかける。


「アンヌ、私達にお茶を用意してくれないか」

「はい、旦那様」


(まあ、ヘンリ様がお茶を、なんて、初めてだわ)


 アデライドはヘンリを見つめた。


「ブランシュ侯爵夫人が持たせてくれた菓子がある。それを付けてくれないか」

「かしこまりました」


 アンヌはにこにこしながら、お茶の支度に向かった。

 ヘンリはアデライドの手を取って、ソファに座らせる。


「ブランシュ侯爵夫人、とは」

「私の伯母だ。母の姉で、何かと世話になっている。あなたにもすぐ紹介しなければいけない人だ……そこにいたんだ。すまない、黙っていなくなって」

「いえ」


 お茶の支度が整い、ヘンリとアデライドは、二人でお茶を楽しむ。


「こうして茶を飲むのは、初めてだな?」

「さようでございますね。結婚式が初顔合わせでしたから」


「茶を飲むのも悪くないな」

「ええ」


 二人は長く連れ添った夫婦のように、お茶を味わった。


「アデライド、あなたともう一度話し合って、夫婦の着地点を決めたい」

「!」


 アデライドは驚いて顔を上げた。

 ヘンリは間髪を入れずにアデライドを抱き上げると、軽々とベッドに運んでいく。


 アデライドの視線の先には、王都の最高の寝具で揃えた、真っ白でふかふかのベッドがどーん! と鎮座していた。


「ヘンリ、様!? 話し合うって言ったではありませんか!」

「ベッドで、な」


 アデライドの顔がみるみる内に赤くなっていく。


「———で、つま先のキスから始めるのか?」

「何ですって? このエロゴリラ!! どこで勉強してきたのよ!?」


 アデライドが思わず言い返してしまって、慌てて口元を押さえると、ヘンリが笑った。


「あなたはそのままで、とてもいい。それがわかったのが、俺の救いだ。アデライド」

「はい?」


「あなたはあの時、俺に証明しろ、と言った。俺にチャンスを与えてくれるか?」


 アデライドの顔はもう真っ赤だ。

 両手で顔をおおう。


「あ、あれは……悪ノリしすぎました……」


 アデライドが小さな声で言う。


 そんな様子のアデライドを見つめるのは、すごく楽しかった。

 ヘンリはあの初夜の日に触ってみたかった、アデライドのふわふわした赤い髪の毛の束をすくって、そっとキスを落としてみる。


 アデライドの顔は、もう完熟のリンゴのよう。


(これは愛らしい)


 ヘンリはにっこりと笑うと、今度はアデライドの小さな顎を持ち上げた。


「アデライド。俺はあなたを愛することに決めた」


***


 汗だくになった辺境伯は、髪の毛が濡れて、くるくる巻き毛に戻ってしまった。

 目を丸くして、アデライドは夫を見つめる。


「可愛い……」

「むぅ。濡れると、巻き毛に戻ってしまうんだ。子どもみたいだろう? すぐ乾かしてくる。おまえも汗くさいのは嫌だろうから」


「あら。わたくしは別に。ヘンリ様。それより———、一緒に、お風呂、入りますか……?」

「ぐふぉっ……!!」


「はしたなかったかしら。実は、愛読している宮廷恋愛小説に、あったんですの……。愛する旦那様との、一緒のお風呂シーンが」


(愛する旦那様!?)


 ヘンリは真っ赤になって慌てて立ち上がると、コーヒーテーブルの上に載っていた本を数冊、ひっつかんだ。


「ほ、ほう! それは奇遇だな!? どの本か教えてくれないかな、奥方よ?」


「はい。宮廷恋愛小説の天才作家、愛するシンプソン夫人の最新作ですの。書名は『勇猛武骨な辺境伯は純白の伯爵令嬢を離さない〜政略結婚から溺愛へ、偽りだった妻への愛はもう止まらない〜』。一緒のお風呂シーンはですね……ええと」


 アデライドは嬉しそうにパラパラとページをめくって、「ここです」とイチ押しの挿絵付きお風呂シーンを示した。

 ヘンリは照れてしまって、そのページを見ることができなかった。


(アデライド、一緒のお風呂シーンから離れてくれ……っ!)


 ヘンリは幸い、一緒のお風呂は免れた。

 いや、本音ではすごく魅力的だったのだが、紳士の心は複雑である。

 もう少し楽しみを取っておきたい、いや、時間をかけてみたかったのだ。


 これから、可愛らしい妻との時間は、たくさんあるはずだから。

 その代わり、二人はその夜、一晩中、宮廷恋愛小説について熱く語り合った。


***


 その後。

 オルデンブルク辺境伯領に寒い冬が来る前に、ヘンリは夫婦の寝室を改装した。


 部屋のファブリックと寝具はオルデンブルク名産のチェック柄の毛織物に替え、浴室にはゴリラでも入れそうな、特大の浴槽が備え付けられたとか。


 それとこれは、オルデンブルク城内の噂だが。


 オルデンブルク辺境伯夫妻には、ケンカした時の、秘密の仲直りの儀式があるらしい。

 それは、夫が可愛い妻に贈る、『つま先への**』だと、言われている。

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【短編】つま先にキス〜辺境伯は可愛い妻のつま先に愛をささやく〜 櫻井金貨 @sakuraikinka

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