つま先に咲く花の名は不浄、あるいは――。

夕藤さわな

第1話

 白い部屋着を脱いでぬるま湯を張った木製のたらいに立つ。一糸まとわぬ私の肌をナターシャはきつくしぼった布で拭いていく。

 彼女は私の世話係であると同時に護衛でもある。腰には剣を差し、ゆったりとした服の下には鍛え上げられたしなやかな筋肉が隠れている。そこいらの男性なら軽くひねれるだけの腕力を持っているというのに、私の肌に触れるナターシャの手付きはとても優しい。

 銀食器の手入れをするように丁寧に、割れ物を扱うように慎重に、やわい花に触れるように優しく。

 足以外を拭き終わると修道服を着る。着る、と言っても私は着せ替え人形のようにじっとしているだけ。ナターシャがすべてやってくれる。部屋同様、部屋着同様、白い修道服を頭から被せ、袖を通し、長いすそがたらいに浸かって濡れないように紐で留める。

 白に近い銀色の髪を背に流して手櫛で乱れを整え――。


「サラ様、どうぞ」


 ナターシャは私へと手を差し出す。手を取ってイスに腰掛けるのを見届けて私の前に片膝をついてひざまずく。立てた足に乾いた布を掛け、私の濡れた足を乗せて拭いていく。まずは右足。

 銀食器の手入れをするように丁寧に、割れ物を扱うように慎重に、柔い花に触れるように優しく。

 拭いた右足を白いサンダルに通す。木を削って作った靴底を白い布で覆い、白いリボンを足首に結んで留めるサンダルだ。

 次に左足。同じ様にして私の足を拭き、サンダルを履かせたナターシャは――。


「……」


 最後にサンダルの先から見えている私のつま先に口付けた。


「足になんて汚いわよ。口付けるならせめて頬か手の甲にしなさいと何度も言っているじゃない」


「サラ様の一体、どこに不浄な場所などありましょう。浄化の花を咲かせる力を神より分け与えられた、神のいとし子たるサラ様に」


 いつも通りのお小言をため息交じりに言う私を見上げてナターシャもまた、いつも通りの言葉を返す。つま先への接吻せっぷんは崇拝を表わす。向けられるナターシャの目も表情もまさに〝それ〟だ。


「これも何度も……それこそ毎日のように言っていることだけれど、あなたが崇拝するその神は意地の悪いろくでなしよ。その、神の愛し子である私だって似たようなもの」


「これも何度も……それこそ毎日のように言っていることですが、そう感じ、そうおっしゃれるのはそれだけサラ様が神を近しく感じているから。サラ様が近しく感じられることを神が許しているからですよ」


「……」


 ぬるま湯の入ったたらいを片付けるために真っ白な部屋を出て行くナターシャの背中をじっと見つめた後、私はうつむき――。


「無垢に崇拝する敬虔けいけんな信者を不浄扱いしないで」


 つま先に咲く白い花に気が付いて冷ややかな声で言った。ナターシャが口付けたつま先を見つめて、だ。


『あの者が口付ける、その心が不浄だと言っているのではない』


 すぐそばに感じる気配は笑みを含んだ声で言う。


『あの者に口付けられた、その心が不浄だと言っているのだ』


 くすくすと楽し気に笑う気配に私は背中を丸めてつま先へと指を伸ばした。けがれを浄化する、神が咲かせる白い花。その白い花をつまんで手折たおる。


「私の心が不浄だと言うのなら浄化の力を奪ったら? これまでもそうやって気に入らない愛し子たちをお役御免ごめんにしてきたのでしょう?」


 神に愛され、穢れを浄化する力を分け与えられた者。それが神の愛し子。これまでに何人もの神の愛し子が現れたけれど、十代後半には浄化の力を失う者もいれば、年老いて死ぬその瞬間まで失わなかった者もいるという。

 若いうちにろくでなしの神から自由になれた元愛し子たちを今の私はうらやましいと思うどころか、いっそ怨めしいとすら思っている。


 手折った白い花に口付けようと唇を寄せ――。


『不浄ゆえに愛し子でなくなったのではない。つまらなくなったゆえに愛しくなくなったのだ』


 でも、唇が触れる前に白い花は灰のようにもろく崩れ落ちた。


『お前はまだ私を楽しませてくれる。ゆえに愛おしい』


 ナターシャの口付けに咲いた白い花。密かな想いを胸に手折った花に口付ける自由すらも許されず、私はかたわらの気配を睨み付けようと顔を上げた。

 でも――。


『その顔だ』


 そこには誰もいない。


『だから、私はお前を愛すのだ』


 しかし、確かに気配は傍らにあって笑うのだ。私を――私の淡く幼い恋を嘲笑あざわらうのだ。


「このろくでなしの神が」


「サラ様、どうかしましたか?」


 たらいを片付けて戻ってきたナターシャに尋ねられ、私はゆるゆると首を横に振った。


「いいえ、なんでもないわ、ナターシャ」


 どれだけろくでなしの神でも、今の私はそのろくでなしの神の愛し子で――。


「それでは、夜の礼拝に参りましょうか、サラ様」


 ナターシャはそのろくでなしの神の愛し子の世話係兼護衛でしかないのだから。つま先に口付ける彼女の|期待を裏切る度胸も、想いを告げて彼女を失う勇気もないのだから。

 イスから立ち上がろうとする私にナターシャが微笑んで手を差し出す。一瞬、躊躇ためらって――しかし、何食わぬ顔で手を取る。

 と――。


『ほら、不浄が咲いた』


 傍らの気配がくすくすと笑い、熱を持つ手とつま先に白い花が咲いた。その花はすぐさま灰のように脆く崩れる。

 慌てて顔を上げる。先を歩くナターシャは護衛としての仕事に集中している。前を向き、あたりを警戒し、私の手とつま先に咲く不浄の証しには気が付かない。


「……」


 今日もナターシャは私の想いに気が付かない。

 そして、今日も傍らに気配だけがあるろくでなしの神は楽し気に、私の想いをあざけるように笑うのだ。

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つま先に咲く花の名は不浄、あるいは――。 夕藤さわな @sawana

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