第6話 No Time To Die

無人調査艇は、まっすぐに潜水艇から離れていく。

海底を這うように進む調査艇は、前方をライトで照らしながら、ただ前に進むだけだ。

2人は身を寄せ合って、モニタごしにそのカメラを覗き込んでいた。

しばしの時間の後、頭上に巨大な影が現れる。


ライトの反射で、白い影が無人調査艇に向けて伸ばした2本の触腕が照り返る。


「――コウ!」

「ああ」


コウの操作で、無人調査艇は身をよじり、危ういところで触腕をかわす。

今の無人調査艇には、セツの最後の通信データが搭載され、再生されている。


繰り返し、調査艇から水を伝い周辺に響く音の波長。

かつてのコウの仲間たちの、最後の会話。

そして、その向こうに、たぶん人類には聞き取れない波長の――5年前に現れた化け物イカの鳴き声。


はたして、2人の予想通り、化け物イカはその音の出どころを追ってくる。

調査艇は、巻き起こる泥煙を突っ切って、先へ、更に先へと進む。

背後からミサイルの如く降る触腕が、調査艇を捕らえ損ね海底に足を差し込んだ。

柱のように突き刺さり、ぶるぶると震える触腕の脇をすり抜ける。


調査艇の向かう先には、赤く輝くコンテナが見えた。

コウとルールがかき集めた動力素、今回の潜航の結果がそこに詰め込まれている。

調査艇は、そのまままっすぐにコンテナを目指す。

背後からは、化け物イカが大きく足を広げ迫っている。

あわや、その足が調査艇を捕えようとした、瞬間――


「目を閉じて伏せろ!」


コウに押し倒され、ルールは潜水艇の床に伏せた。

きつく閉じた瞼の向こうで、すべてのモニタが真っ白に輝く光が映る。

一瞬の安息をおいて、すぐに衝撃波が潜水艇を大きく揺らした。

結晶である動力素のエネルギーが、すべて爆発に変化した、その余波による衝撃だった。



◇◆◇◆◇



緊急上部ハッチを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは青空だった。

コウが長い安堵のため息をついている。

ルールもまた、似たような表情をしていたはずだ。怠い身体を無理やり動かして潜水艇の上に出ると、足元に染みてくる海水を気にも留めず、甲板にごろりと転がった。


恒星のまぶしい光が目を焼く。

数日間、この強度の光を浴びることのなかった網膜が痛みを訴えているが、今はそれさえも喜ばしい気分だ。


「あっぶなかった……」

「まったくだ」


転がっていたルールの隣に、どさりと腰を下ろしたのはコウだった。

脱力したその様子が、普段あれほどに傲慢なコウらしくなく、ルールはくっくっと押し殺した笑いを漏らす。


「こっわかった……けど、ど、どうする……? この後、基地に戻って……これを掃除するのがいちばん怖い、かも……」


見下ろせば、潜水艇には爆死したイカの残骸があちこちについている。

これをもと通り綺麗にして、あちこち破損した箇所を直し、また潜れるまでに整備するのは、確かに骨が折れるはずだ。


回収した動力素もすべて爆発のための燃料に使ってしまった訳だし、しばらく回収作業に出られないならば、今期の回収目標はもはや達成も危うい。

呆れた顔でそれを見下ろしていたコウも、しばらくの沈黙の後、唐突に笑い始め――結局2人は、腹を抱えて笑い転げることになったのだった。


笑い疲れて、甲板に2人で転がり、太陽をじっと見上げる。

ふと、ルールの視線が甲板に転がるイカの一部に向けられた。

今、ちかりとなにか光ったような。


手を伸ばす。拾ったものをぎゅっと握りしめ、ルールは神に祈るように拳を胸元にあてた。


「どうした」


ルールを追って起きたコウが、背後から声をかける。

振り向けば、濡れた髪が張り付いた額を、コウの手がそっと掬った。

節くれだった指先の思わぬ優しさに、ルールは、言わねばならないことを思い出した。


「あ、の……私、まだ、言わなきゃいけないことが」

「お前が何者かって話か」


こくりと頷き、ルールはゆっくりとコウに近づいた。

首元のボタンを開け、中からチェーンに吊られたリングを取り出す。

外してコウに手渡すと、コウは手を近くに寄せ、まじまじとそれを見た。


裏側に彫られた名前は――SETSU AMAGAI――セツの名だ。


「やっぱり、そうか」


落ち着いたコウの声を受けて、ルールは深く息を吸うと――


「――ごめんなさい!」


その場に土下座する勢いで頭を下げた。


「ごめん、本当にごめん! 君がそんな勘違いをするなんて思ってもみなかった! その、私としてはちょっとあんまり気まずいし、君の人となりも知らないし、なんなら怖そうな人だからプライベートについては黙ってた方がいいかなって、それだけで……」

「……なに?」


まくしたてたルールが、ぴたりと声を止めると、恐る恐る顔を上げる。


「その指輪、ペアリングなんだ。その……つまり、私は」


もじもじと身体をよじる様子で、コウは、ようやく察したようだった。

ペアリングに彫る名前は、相手の名前にするのが一般的だ。


「お前が……セツの、恋人……?」


ルールの頬が、ぽっと紅潮した。


「な、長年遠距離が続いてて……それが、5年前にあんなことに。私のところに届いたのは結果の報だけで、なにがあったかもわからない。けど、行方不明だ捜索不可能だと言われてはいそうですかと諦めきれるものでもないし、慌てて全宇宙動力素回収協会に入会して事故の件を調べたら、君は今もここにいて仕事に就いていると言う。なら、いっそ私がここに来て調べるのがいちばん――」


一息に言った後、はあ、と息を吐いて空を見上げた。


「……セツとのデートは、いつも草原みたいな解放感のある場所だった。仕事中とは気分を切り替えたいと言って。君に言ったように、私はもともと整備士で……潜水艇の整備をセツに教えることも多かった」


指先で、スパナを回す仕草をして見せる。

気になって調べていたとは言え、ルールにとっても5年も前のことだ。

今になって、仕事場でのセツがどんな話をしていたかなど、知ることができるとは思っていなかった。

喪ってから、5年も経って。


「……セツの指輪は、こっちだ」


ルールの差し出した手は、イカの破片で汚れている。

だが、その中央で、先ほどと同じ指輪がきらりと光りを放った。

――RULE AURACLUM。


「そう、か……」


指輪を取り、コウは静かに空を見上げた。

甲板の濡れた雫が、指先からぽたりと落ちた。


しばらくの無言ののち、セツがふとルールを振り向く。


「これからどうするんだ、お前は」

「事故の事実はわかったし、個人的にこだわっていた点も解消した。もともとそれ以外に目的があって入った訳でもないし……だから」


ルールは、言いかけてふとコウを見る。

コウは既にいつも通りの仏頂面で、ルールを見下ろしている。

言えと言われた気がして、ぎゅっと拳を握る。

口を開きかけたルールの肩を、ぽんとコウが叩いた。


「整備は俺も手伝う。早めに終わらせて冥海(ヘイデスゾーン)に戻ろう。俺達には、戻る――それが、なによりしっくりくるだろう?」

「そ、そうかなぁ」


否定の返答をしつつも、ルールは笑顔で頷いた。

青空の下にいてさえ、あの暗闇は恐ろしく、そして懐かしい。

外界と切り離された深い海の静けさを、2人はそれぞれに思い浮かべた。

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